Wednesday, December 31, 2008

Thursday, December 11, 2008

さむい

温度だけみると毎日10度以上あるのだが、それでも寒い。
町中はFeliz Natal(=Happy X'mas)の言葉であふれ、サンタがのったNatalトラムも走っていた。

来週はまた雨だという。ウンザリ。

Thursday, December 04, 2008

じめじめ

今週は天気が悪い。雨ばかりで、雹までふった。さすがにおどろいた。
寒い寒いと思うが、しかし昼間は10度以上ある。こたえるほどではない。

ようやく気持ちが上向いてきた。スペイン人のAが、つめこんでつぶれるんじゃなくて、毎日少ない仕事ででも続けるんだよといっていたのを思い出す。それができればな。

先日メトロの電光掲示板に一月からタクシー料金値上げとでていて、バカみたいに安いリスボンのタクシーもさすがにやってけないのか、と思っていたら、今月からバスまで値上がりしていた。たしか75centぐらいだったのが、81cent、たいしたことないようだけど、いつも10回分まとめて買うので、8.10euroと店でいわれて驚いた。これはちょっと痛い。かといってこの天気で自転車は無理だ。;(

Saturday, November 29, 2008

forgiveness

A lot of works, or a pressure from "a lot of works".
I was quite depressed last and this month sometime from my situation, especially from a lot of paper works!! I hate it.
Yes, but I'm getting better.

Just I started to read Jacques Derrida's "Cosmopolitanism and Forgiveness", although I have not yet finished to read "Writing and Difference" :P
Forgiveness is very interested for me now. And also cosmopolitanism.... last month I read a book about a situation of immigrants in France(well, that was in Japanese though).
There's a lot I have to confront it. As a person, and (maybe... or hopefully) as an artist.
Somehow I will make an installation again in Instituto Franco Portuguese, as a consequence of my thought these days.

And I am also working with one Portuguese artists for her new piece. It would be shown on January.

Sunday, October 19, 2008

Wednesday, October 08, 2008

雑記

先週末は駆け足でスペインはTerrasaへ。Barcelonaから一時間の小さな町だけれど、おしゃれなカフェやレストランがたくさんあるきれいなところだった。
それにしても忙しく、木曜日にリスボンから着いたその足でリハをこなし、金曜日にマーケットでの即興(!)と、土曜日に今夏PortoでつくったスペインのIsabelとのデュオ。翌日曜日にはリスボンへ。結局バルセロナを見に行く時間もエネルギーもつくれなかった。
収穫はスペイン料理に舌鼓をうったことと(先に来ていたイタリア人の友人が最高のレストランを見つけていた)、一応は四つ星のホテルに泊まったことか。

日曜日に帰ってすぐに近くのtascaにいってTosta MistaとChocolate com Leiteをたのむ。すさまじく狭くお世辞にもきれいといえない店内に地元のおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんが溢れかえってペチャクチャペチャクチャ、お店のおじさんは一人でかけまわっている。Terrasaのキレイなcafeとはまるで対照的で、でもこれぞポルトガル、なんだかホッとした。

学校では今週Vera Monteroの授業。彼女の作品は好きなんだけど、授業ではどうも「教えよう」という姿勢がありすぎるというか、もっと生身の、アーティストとしての彼女と向き合えないのが歯がゆい。

Tuesday, September 30, 2008

あんまり休むヒマはない

夏のSKITe/Sweet and Tender(Porto)が無事終わり(インスタレーション+デュオピース発表)、学校が即始まり(mon.-fri. 10h-17h)、そして今週はバルセロナで先のデュオピースを踊りにいく。
来年のプロジェクトの準備も相変わらず忙しく、また11月に予定している某氏のコンサートのコーディネイトもある。あとスカラーシップの申請もしなくちゃならない…。ポルトガル語の勉強もしたい…。
正直あんまり休むヒマがなく、それでも無理矢理ウィークエンドは何もしない時間をつくったりして何とかバランスをとっている。

ルームメイトはまだ二十歳になったばかりだから、「もう少し学校に集中できる程度にしたら」というけれど、まさかもうティーンエイジャーでもあるまいし、人に迷惑までかけてヨーロッパまで来てるのだから、やれることをやっとかなくちゃならない。

Saturday, September 20, 2008

レヴィナス

 「事物のみに適用される諸範疇から人間を解放しようとする現代哲学の配慮は、静的なもの、惰性的なもの、決定済みのものに、人間の本質たる動性、持続、超越、自由を対置することに甘んじてはならない。何よりも重要なのは、人間が存在の地平を起点としてわれわれと係わることをやめるような場所、つまり人間がわれわれの権能に委ねられることをやめるような場所を、人間に対して見出すことである。(中略)」
 「了解は、存在の開けをとおして存在と係わりつつ、存在を起点として存在者の意味を見出す。このようにして了解は存在者に暴力をふるい、存在者を否定する。暴力とは部分否定である。存在者が消滅することなく私の支配下に入るという事態によって、否定のこの部分性は記述される。暴力という部分否定は、存在者の自存性を否定する。つまり、存在者は私の所有物となるのだ。所有とは、ある存在者が実存しつつも部分的に否定される様相である。(中略)他者との遭遇の本義は、私には対象を所有することができないという点に存している。すでにして私が身をおいている存在の開けは、私の自由の領域のごときものである。然るに、他者が全面的にこの領域に組み込まれることはない。他者が私と出会うのは、存在一般にもとづいてではない。他者のうちにあって、存在一般にもとづいて私に到来する要素はどれもみな、私による了解と所有に供される。他者の歴史、その環境、その習慣にもとづいて、私は他者を了解する。しかし、他者のうちで了解からこぼれ落ちるもの、それこそが他者であり存在者なのだ。私が存在者を部分的に否定しうるのは、存在一般にもとづいて存在者を把持し、それによって存在者を所有する場合に限られる。他者とは、その否定が全面的否定、つまり殺人としてしかありえないような唯一の存在者である。他者とは私が殺したいと意欲しうる唯一の存在者なのである。」
 「私は殺したいと意欲しうる。ところが、この権能は、権能とは正反対のものである。この権能の勝利は、権能としてそれが敗北することである。殺したいという私の権能が実現されるまさにその瞬間、他者は私からすでに逃れてしまっているのだ。たしかに私は、殺すことで、ある目的を達成しうるし、獣を狩ったり射止めたりするのと同様に、樹木を伐採するのと同様に、殺すことができる。しかし、私が殺しうるのは、存在一般の開けのなかで、私の住む世界の構成要素として他者を捉え、地平線上に他者を認めたからである。私は他者を正面からは見なかった。私は他者の顔と出会わなかった。全面的否定への誘惑は、全面的否定の企ての際限のなさ並びにその不可能性の尺度であるが、かかる誘惑こそ顔の現前なのだ。他者と対面の関係を持つこと、それは殺せないということである。それはまた言説の境位でもある。」(「存在論は根源的か」合田正人編訳『レヴィナス・コレクション』より

Tuesday, September 02, 2008

Text of my Research about/around the idea of the other

This texts are displayed in Teatro Caros Alberto(Porto, Portugal) in the 3rd open house of SKITe/Sweet and Tender 2008, as a part of my installation of Resarch about/around the idea of the other.

----
1

Na tentativa de criar relações com informação que já conhecemos, realizamos, no nosso dia a dia, qualquer tipo de coisas.

In our daily life, according to making a relationship with infomation we already know, we realize any kind of things.

In unserem taeglichen Leben nehmen wir unsere Umgebung in ihrer Gesamtheit wahr, da wir mit der Information vertraut sind.

私たちは日々の生活の中であらゆるものごとを、既に知っている情報と関連づけることで了解(realize)する。

2

Acontece que temos medo quando enfrentamos o desconhecido.

So, we get a fear when we meet up unknown things.

Deshalb bekommen wir Angst, wenn wir auf unbekannte Dinge treffen.

だから我々は何も分からない未知の存在、未知の領域に恐怖を覚える。

3

Na escuridão, um lugar nunca alcançado pela luz, nunca chegamos a descansar.

In the darkness where no light can reach, we never arrive to rest.

In der undurchdringbaren Dunkelheit, werden wir niemals Ruhe erlangen.

光の全く届かない闇の中で、安息は訪れない。

4

Este tipo de acções (ou auto-acções) acontecem porque precisamos de nos sentir em segurança. Então, muitas vezes, essas mesmas acções permitem-nos estar em contacto tanto o “desconhecido” como o “conhecido”.

This action(or auto-action) is because of to keep our security. Thus, often this action let us realize even “unknown things” as “known things”.

Diese Haltung (oder auch Reflex) existiert zu unserem Schutz. Sie laesst uns das Unbekannte oft als bekannt erscheinen.

この行為は自身の安全(security)を保全するためにある故に、しばしば本来「分からないもの」さえ「分かるもの」として了解しようと促す。

5

Por vezes, como consequência deste processo, acontecem “mal-entendidos” na nossa comunicação.

Sometimes a consequence of this process appears as “misunderstanding” in our communication.

Manchmal erscheint eine Konsequenz dieses Vorganges als “Missverstaendnis” in unserer Kommunikation.

その結果はコミュニケーションのレベルにおいて、時に「誤解(misunderstanding)」を生み出す。

6

O que é a discriminação? O que é o racismo? O que é a guerra?

What is the discrimination? What is the racism? What is the war?

Was ist Diskriminierung? Was ist Rassismus? Was ist Krieg?

差別とは何か。民族主義とは何か。戦争とは何か。

7

Mais ainda, quem é o outro?

Even more, who is the other?

Und ausserdem, wer ist der andere?

さらに加えて、他者とは誰なのか。

8

O outro não sou eu.

The other is not me.

Der andere ist nicht ich.

他者は私ではない。

9

O outro é diferente de mim.

The other is different from me.

Der andere unterscheidet sich von mir.

他者は私とは異なる。

10

O outro vem de um lugar que eu não conheço.

The other is coming from where I do not know.

Der andere kommt von einem Ort, den ich nicht kenne.

他者は私の知らないところからやってくる。

11

O outro é inesperado.

The other is unexpected.

Der andere ist unerwarted.

他者は予期し得ぬ。

12

O outro representa impossibilidades e possibilidades.

The other is impossibilities and possibilities.

Der andere steht fuer das unmoegliche und das moegliche.

他者とは不可能性と可能性である。

13

Apesar de tudo, temos que viver com o outro.

Although, we have to live together with the ohter.

Dennoch muessen wir mit dem anderen zusammen leben.

しかし私たちは他者と共に生きてゆかねばならない

14

Portanto, temos que ouvir a voz do outro. Temos que enfrentar a face do outro.

So we have to listen a voice of the other. We have to confront a face of the other.

So muessen wir auf die Stimme des anderen hoeren. Wir muessen uns mit dem Gesicht des anderen konfrontieren.

だから私たちは他者の声に耳を傾けねばならない。他者の顔に向かい合わなければならない。

15

O outro pede-nos sempre “Não me mates”. Este é o início da nossa ética.

Always the other asks us, “Don’t kill me.” It is the beginning of our ethic.

Der andere bittet uns darum: “Toete mich nicht”. Das ist der Beginn unserer Ethik.

他者は常に私に語りかける。「殺さないで。」 それは私たちの倫理の始まりである。

16

Eu “não matarei” o outro. Portanto, poderemos viver juntos.

I do “not kill” the other. Therefore we can live together with the other.

Ich toete den anderen nicht. Deshalb koennen wir mit dem anderen zusammen leben.

私は他者を「殺さないで」いる。それ故に私は他者と共に生きることができる。

Tuesday, August 12, 2008

レジデンスカード届く

レジデンスカードが届いた。これでようやく滞在のための法的プロセスは終了。長かった。ヨーロッパ諸国にはいきやすくなる。

Monday, August 11, 2008

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

ロシアは、この地域の分離独立派を支持することで緊張を高めてきたが、一方で米国も、今回の戦争に関して公平な監視役にはなれない。米国軍は何年もの間、グルジア軍の訓練や装備に協力してきたのだ。
米国政府は2002年の初めから、グルジアに対して、軍事面で莫大な額の支援を提供してきた。米国からグルジアへの支援はまず、『Georgia Train and Equip』(グルジアの訓練・装備)計画という名目で始まり(これは表向き、パンキシ渓谷にいるアルカイダ勢力に対抗するためのものと言われた)、その後は『Sustainment and Stability Operations』(維持と安定の作戦)計画へと引き継がれた。

既にそこにある

フランス人の旅行者が一泊していった。大阪に一年ほど住んだことがあるらしく、変な日本語を喋るが、注意するきもあまりおきない。自分の英語とポルトガル語もいいかげんなもんだ。


引き続き具合が悪く、そういう状況を彼に話すと、「今が一番悪いだったらこれから良くなる以外にないってことだよ、待つしかないさ」と言われる。それはそうだ。


彼の妹さんだかお姉さんだかはハープ奏者だそうだ。「芸術家っていえば聞こえはいいけど、実際生き延びるには散々」と言う僕の言葉に相づちで返すのは、その妹さんだか姉さんだかのことを知っているからだと。


------


机の前には2004年に上演した「これが私の優しさです」のチラシを貼っている。この作品は僕にとって大きな転機になった作品だった。それは前のめりになって何かを「創造」することへの疑問を肯定し、自分が既に見ているもの感じているものを素直に現すあり方への挑戦だった。


メルロ・ポンティの現象学的視点の基本は「既に(already/já)、そこにある」ということである。私は既に知っているのであり、「何を」知っているのかにとどまらず、「どうやって」知っているのかと問い掛けることが重要なステップである。


だけれども、残念ながら(コンテンポラリー)ダンスの世界ではこうした発想に至る人は多くない。詩や絵画にくらべて弱さと、また歴史の浅さを感じるのはこういうところだ。



Tuesday, August 05, 2008

SKITe/Sweet and Tender Porto 2008

I would participate this collaboration project from 14th Aug. this summer in Porto.
web site: http://www.sweetandtender.org/

----

Summary


Following the project held in PAF - Performing Arts Forum, in 2007, this second edition, co-launched by the Association SKITe and Sweet and Tender Collaborations, will gather 40 young artists from 26 countries and different performance-related disciplines during a period of a full month.
▪ Date: August 15th to September 20th 2008
▪ Place: Porto, Portugal
This project will bring together various institutional and non-institutional partners in Porto and open itself up to a wide range of international collaborations
▪ Theme: relation between artistic process & product through the creation of an environment based on constant showings and feedbacks.
▪ Primary purpose: A systematic experiment with modes of artistic exchange, creation and production inside a specific context provided by the hosts (Portugal, Porto)
Participants will engage in a practice of exchange and dialogue, open up their research to the others - from the formulation of their ideas to their referential sources, practices and concerns.

Events and activities

<laboratory>
▪ What Artistic experiments, research, workshops, dance classes, showings, feedback sessions, open house days, ...
▪ When August 15th to September 13th
▪ Where Porto: Teatro Nacional Sao Joao, 555, Maus Hábitos
▪ Duration One month

<running>
▪ What Remake of a performance choreographed by Meg Stuart in 1992
▪ When From August 17th to August 21st
▪ Where Porto: Mosteiro São Bento da Vitória (Teatro Nacional Sao Joao)
▪ Duration Five days

<fragments>
▪ What Public presentations of the work in progress
▪ WhenSeptember 12th and13th
▪ Where Porto: Mosteiro de Sao Bento da Victoria
▪ Duration Two days

<site-specific>
▪ What Residençial da Praça in the frame of FIMP festival: workshops, sound installations, radio show, ..;
▪ When September 14th, 15th and 16th
▪ Where Porto: Praça do Joao I
▪ Duration Three days

<debriefing>
▪ What Evaluation, General Assembly of SKITe/ Sweet and Tender Collaborations participants
▪ When September 17th to September 20th
▪ WherePorto: Mosteiro Sao Bento da Victoria
▪ Duration Four days

<diffusion>
▪ What International public presentations
▪ When February 2009 to May 2009
▪ Where Barcelona, Paris, Brussels, Oslo
▪ Duration Long run

To the Day-to-day schedule

Objectives
<Short Term>
▪ Consolidation of Sweet and Tender Collaborations network sustainability in the long run.
▪ Deepen a collaborative dynamic (sharing resources and initiatives) among young artists from different nationalities and working with various media.
▪ Involving a local community in discovering how a creative process evolves.
▪ Testing the validity of an experimental and autonomous project inside a specific context establishing a direct interaction to Porto city.
▪ Exploring modes of public presentation of artistic works
<Long Term>
▪ Openness and deepening of dialogue with certain cultural institutions in Europe to increase the support for emerging models of research and production in artistic creation, and different practices of interaction between artists and art institutions
▪ European diffusion of the SKITe/Sweet and Tender Collaborations results on a European level through the diffusion of Fragments of Experiences project
▪ Follow up of the initial proliferation of artistic projects started and nursed in SKITe/Sweet & Tender Collaborations in Porto – their further development.
▪ Research on European Financing to consolidate the structure of Sweet and Tender Collaborations as an artistic project and as a model of artist-led network organization

framelessframelessframelessframelessframelessframelessframelessframelessframelessframeless

Monday, August 04, 2008

休暇三日目

今日は休暇三日目。
大分調子がよくなってきたのを感じる。具合の悪いときは、考えすぎて何も手が付けられなくなる。
朝から、大分気持ちが落ち着いている。

仕事のメールを書いて、それからドイツのレコード会社に直販で注文したCDの代金を振り込む。
ドイツ人のスタッフからのメールはやたら気さくだった。

昼ご飯にご飯をたきつつ、その合間に汚れきったシャワーユニットを掃除。
今週の土日にフランス人の旅行者が泊まりにくるのだ。彼は大阪に住んだことがあるらしい。

昼間はさすがにこちらも暑い。しかし朝晩は肌寒いほど冷え込む。

Sunday, August 03, 2008

休暇

さて休暇である。昨日は休暇一日目。

朝からMedia Marktにいくために、Benficaスタジアムへ。バカでかい建物。必然的に「税金の無駄遣い」という言葉がうかぶ。すぐそばには新築のマンションがあり、売り出し中と大きく貼り出されているが、人気がさっぱりない。試合のたびに騒音で寝れなくなることは明らかすぎるほどだ。帰りにカフェでコーヒーを頼み、おじさんに「5centあるか」といわれ、つい反射的に「ない」と答えたら舌打ちされる。

昼にすうどんを作って食べる。

アニメーションをつくってみたいなぁと思っていたので机にむかってみるが、空回り。やっぱり今は何もしない方がいい。

リヴィングの缶詰などを置いているシェルフで蛾のような虫が繁殖しているので、夕方、窓を閉め切り、扇風機をまわして、殺虫剤をまく。一、二時間そのままにして見に行くと、でるわでるわ死体の山。掃除機で全部吸い取る。すっきり。

ワインを飲んでYouTubeを見ていたらいつの間にか寝る。休暇だ。

---

朝、しみじみ思ったが、こと家に関しては僕は本当にラッキーであったと思う。キレイではないが、なにせこの家はシャワーも広いリヴィングもちゃんとあるし、こまごまとした家電、家具まである。洗濯機、冷蔵庫、カウチ、ベッド、机…何一つ買わずにすんだ。

Friday, August 01, 2008

メルロ・ポンティ「哲学をたたえて」

なんとか(後半はかなりひどかったけれど:P)一週間をのりきり、夏休みに入った。二週間弱の休憩。ホッとひといきだ。
みんなも疲れていたし、Veraも疲れていて、彼女も一回こなかった。人間誰でもそんな時期がある。

少し落ち着いてきたので、読みかけてほったらかしにしていたメルロ・ポンティ「哲学をたたえて」(「眼と精神」所収)の最後5,6ページほどを読み終える。

途中引用されたアランの言葉「近くしか見えないわれわれ人間にとっては、真理は束の間のものである。それは或る状況と或る瞬間に属しているのである。滑稽にも前や後ではなく、まさにその瞬間に真理を見、言い、なさなくてはならない。何度もというわけにはいかない。何ものも何度もあることはないのだから」が見事だ。
果たしてこれがまさにポンティ的な現象学的視点の基礎であり、これによって世の中の見方はずっと広がるのであるけれども、そのことを「どうやって」伝えるのか、僕は言語としてもアートとしても格闘し続けている。

それから、最後のページ、最後の段落の始まりも美しい。---
哲学者は、おのれを世界や歴史に結びつけている真理の絆をよりよく体験するためであるにしても、まず<反省>によって世界や歴史から身を引き離すわけですが、その反省の果てに彼の見いだすものは、自己や絶対知の深淵ではなく、むしろ世界の新しいイメージと、その世界に他人とともに植え付けられている自己自身なのです。彼の弁証法ないし彼の両義性は、誰でもがよく知っているものの一つの表現方法にすぎません。
---

Monday, July 28, 2008

ボロボロだ

今週一週間をのりきればferias(おやすみ)だ。
しかしもうすでにボロボロである。木曜日、学校から帰ってくるも、Theoryのクラスのテキストが精神的にどうしても書けず、そのまま雪崩のごとく調子が悪くなり、金曜日は家から出れなくなってしまった。この土日も引きこもり。食料を買い込んでいたのが救いだった。
(引きこもれる家があるだけましであることは確か。)

それでもMySpaceに同級生からメールが入ってた。「みんな激疲れてるけど(exhausted)、あと一週間、そして夏だよ!!」
うんうん、あと一週間このぞうきんみたいな自分をひきずって頑張ろう;)

そしたらとりあえず一週間はガスぬきして、ビーチでもいこう…。

Sunday, July 20, 2008

何もしない日 -新作にむけて

今日は何もしなかった。そのために昨日やるべきことを無理矢理片付けておいたりした。
誰だって疲れる時はある。

来月からのポルト滞在もあるし、新作のことをぼんやり考えている。
今回のMontemorでのレジデンシーの間、自分の中で変わったなぁと思ったのは、あまり手法や方向性に固執する気概がなくなったということだ。それはこの五年ほどの挑戦のconsequenceであるんだろう。

「これが私の優しさです」では暴力的表現に頼った即興をやめ、コンセプトを下敷きとした振付作業に挑戦した。
「Parole」ではコンタクト・インプロはもとよりミュージシャンとのコラボレーションも行い、作品全体のプロデュースを通じて観客とのコミュニケーションを現象学的視線に基づいて模索した。
「visible/invisible」ではビデオを中心に、オルタネイティヴな表現のありかたでどれだけ自分の目指すことが実現できるか、必死に格闘した(それが表面的に観客を裏切るリスクを多分にはらんでいるということを自覚しつつ)。
「dontdiemyfriendtommy」では、逆に近年控えていた演劇的感情表現やnarrativeを再び取り入れ、個人のパースペクティヴを強烈に観客に押し付けることで、複雑な社会問題の一端を直接に観客に問い掛けた。

そしてもちろん、ライフ・ワークである即興作品「f/f」を、ポルトガル、フランスと上演を重ね、様々な観客との交流を重ねれたことも大きい。さらには、ワークショップ「Open Your Body to All The Possibilities」を行うことで、自信の経験、P.O.Vが他のダンサーやアーティストにとっても十分に興味深いことが分かってきた-confidence。

いろいろやってきたということだ。
それで、手法はある意味「道具」として(もちろんそれ自体をより探求し、自信を鍛錬していく必要性をしっかりと感じつつも)、何よりもアーティスティックには自分がそのときにやりたいこと、coreを明確にして、それに適した道具を気概なく使う、そんな肩の力がぬけた感じになってきた。

それで、今やりたいこと。
「他者」
それから
「narrative」。
もしかしたら、あまりにも普通にソロワークでいいのかもしれない。

coming back to Lisboa, my home

3週間のレジデンシーを終えてLisboaへ戻る。
集団食中毒が出て、最後の週は大変だった。幸い僕は何ともなかったが、もともとあまり体調が優れていなかったので、全体の雰囲気が重くなると僕も影響をうけてなかなかしんどかった。
ただ、Miguelとの一ヶ月に及ぶリサーチは非常に刺激的だった。

久しぶりのLisboaは、トラムのチケット代が値上がりしていたことをのぞけば変わらない。
Camopo de Ouriqueは大都市にあるとは思えないほど本当に静かでのどかだ。
帰り道、土曜日の昼下がりを子供たちがかけていく。

家に着くと、疲れがどっと出て、ベッドへ。
だらだらしながら、Miguelに寺山修司のことを簡単にメール。YouTube にもいろいろ資料があるものだ。

寺山修司 PlanBにて - 1/2/3/4

Sunday, July 13, 2008

Saturday, July 12, 2008

Basic philosophy of my work

This is a text which I wrote this week for one application: the explanation of my basic philosophy of all the artistic work.

---

  I chose art as my work, because I would like to affect general people on our primitive level of sense and thought. I would like to provoke people to confront or even just think about our social problems on their each own perspective, especially with focusing our communication.

  Speciality of art is that it can connect directly and profoundly people's mind at a moment. For instance, when we confront a great picture, it grabs our mind immediately; then often that great pictures also provokes us into thinking something about/around/beyond it. Dance has also the same effect, but dance has a "corpo". On the level of provoking people into thinking of a dance work, people can see the things through the dancers' body.

  Of course in our daily life, everyday we are seeing somebody's body. Although, under the certain structure or the frame of dance, I found that we can find a primitive level of human's activities: intension, personal history, cultural background, social behavior, etc. Those things are very subtle and rarely to be conscious about it, more than obvious characters such as race, language, religious and economical situation. Yet those human's primitive activities are important keys to realize our communication in terms of understanding(or at least being aware of) the other just as he/she is.

  In 2006 and 2007, I was traveling around western Europe. As an artist, I was working and studying in several places. But not only artistic experiences, also I could have experiences to see a lot of social problems on the very basic level. Most impressive experience is that, once I had to sleep on the street in London. I understood physically how the homeless people were feeling. How complex the problem of the poverty is. Clearly I could feel there is a certain gap between the mind of the politic and reality.

  Anyhow the politic is always assuming the center area(which often called "normal") in our society(community) even unconsciously, and excluding things out of its limit. This is a very first motivation of a mind to exclude homelessness, immigrants, aliens, different race... That means, in this process, the politic projecting its own perspective and ignore the personality/thought/philosophy/emotion/reason of each own excluded person. The war is good example of this, we assume some people as enemy and stop a effort to understand them just as they are, then start to exclude them physically.

  With a speciality of art and dance, letting people think about/around/beyond the art work and notice human's primitive activities(intension, personal history, cultural background, social behavior, etc), I would like to provoke people into re-thinking about our communication —re-looking the other just as he/she is before putting him/her into a particular context. Performance is a place where artists expose their work. At the same time, performance can be a place where people "experience" something through the art work. As a dance artist, again, in this way I would like to stimulate general people to confront or at least be aware of our social problems on their each own perspective.

Saturday, July 05, 2008

月光荘

銀座の画材屋さん、 月光荘、昨年無事お引っ越しされていたとのこと。あのキレイなお店にまたいけないのは残念だけど、なくならなかったことが本当に嬉しい。僕は月光荘の絵の具を入れる鞄を普段使いにもう5,6年肌身離さず。しっかりした裁縫で、ほころび一つない。

それから、代表の日比谷さんのインタビューもウェブに掲載されていました。以下はそのインタビューより引用。

---
小、中学生で
ものがなくなっても
気がつかない子もいるし
探そうともしない子もいる、
そういう物質文化のなかに
いま日本はいるんだなと思うんです。

(略)

自分が便利に使っていたものをなくして、
どこいった、大変だと、
思えないようなものを日常使ってるなら
その人の生活もそんなような程度の
ものなんじゃないかと思うんです、
----

ヨーロッパにきて驚いたのは皆ものを大事にするということ。
もちろんそれは、日本に比べて文房具だろうがなんだろうが高いということもあるのだけど。
モノがありふれると、当然社会も疎外化される。

Thursday, July 03, 2008

first week of the residence in o espaçao de tempo

O Espaçao de Tempoでのレジデンシー、今日で四日目。明日はMiguelのクラスはないので、ホッと一息といったところ。

こうしたグループでのレジデンスは、danceWEB、Pointe to Point、Sweet and Tenderと、まあ数は少ないものの、ある程度経験があるので、そんなにもう興奮もしない。加えてAnanilフェスのときここには既に泊まっていたので、余計新鮮味といったところはない。ただともかく、静かな環境でゆったりとMiguelのクラスに集中できるのがいい。

Sunday, June 29, 2008

2年間という時間

明日からは再びMontemor-o-Novo。3週間学校のプログラムでMiguel Pereiraとともにリサーチとプレゼンテーションを行う。
ここのところ連日30度を超す夏日で、夜は下着にタオルケットで寝ている(といっても夜の気温はかなり低くなるので、窓は閉めたまま)。

正直いって、疲れている。おそらく5月、6月からいろいろたて込んだこともあるのだろうけれど、というよりはもっと長期的に、ずっと不安定な生活が何年も続いてきたことに由来するようなきがする。
鬱もそうだが、「揺り戻し」というものがある。ちょっとよくなってきたな、と思ったら、また突然悪くなったりする。それを繰り返しながら、少しずついい方向へ向かっていく。だから、この「揺り戻し」も過程の一部として見なさければならない。あわててはいけない。

先日、学校のダイレクターが来年の話をちょろっとつぶやいた。バタバタしていると忘れてしまう。なんと僕は来年もここにいられるのだ。走り続け、息切れしそうになった二年間と、ひと呼吸をおくこの二年間。そんな風にうまくバランスがとれてくれたらと思う。たくさんの迷惑をかけているが、しかしこの機会を本当に有意義に、つまりはよく休んで、英気を養って、そして冷静に、自分の未来へ投資する時間にしたい。

ポルトガルは、そのために最適な場所だ。この土地と、人々と、文化が、暖かい。ありがとう。



---
ポルトガル語の基本的文法がよくまとめられたウェブサイトがあった(英文)。たすかる。

Learning Portuguese

Friday, June 27, 2008

Hard Times Come Again No More


by Nanci Griffith

This is a american folk song, also sang by Japanese pop singer Akiko Yano.
One of my favorite songs by Yano.

Here is the lyrics:
Let us pause in life's pleasures and count its many tears,
While we all sup sorrow with the poor;
There's a song that will linger forever in our ears;
Oh Hard times come again no more.
There's a song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin door;
Oh hard times come again no more.
While we seek mirth and beauty and music light and gay,
There are frail forms fainting at the door;
Though their voices are silent, their pleading looks will say
Oh hard times come again no more.
There's a pale drooping maiden who toils her life away,
With a worn heart whose better days are o'er:
Though her voice would be merry, 'tis sighing all the day,
Oh hard times come again no more.
Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,
Tis a wail that is heard upon the shore
Tis a dirge that is murmured around the lowly grave
Oh hard times come again no more.

---


by Stephen Foster


by Bob Dylan

腰椎椎間板ヘルニアのオランダ人を助ける(訳しただけだけど)

旅行者のメーリングリストに入っていて、まあ殆どまともに読んでないんだけど、なんと日本を旅行中にヘルニアになって緊急帰国したっていうオランダ人が、日本のドクターが書いた書類が意味不明で困っているとポストが入っていた。急いで連絡をとって翻訳して送ってあげたらたいそう喜ばれた。というか、おそらく頑張って仕事してお金ためて、休暇もつくって、ようやく日本にいけたというのにヘルニアって…どんだけついてないんだろう。
あと、おかげで学校の課題が間に合わなかった ;)

Tuesday, June 24, 2008

煮る、焼く…

メールマガジンのポルトガル講座が届いていた。
今回の語彙、これは便利!!

1. 焼く   assar
2. 煮る   cozer
3. 炒める   frigir
4. 揚げる   fritar
5. 蒸す   cozer ( banho maria )
6. 温める   aquecer
7. 沸騰させる   ferver
8. 冷やす   esfriar
9. 混ぜる   meser, misturar
10.茹でる   cozer

Sunday, June 22, 2008

New Video: f/f in Maus Hábitos(Porto, Portugal)

I uploaded the video of my work, "f/f", last month in Maus Hábitos(Porto Portugal). It was on 9th May 2008.

duration of the video: 10:18


About "f/f":
   f/f is improvisaton dance project, which is core of all of Hajime Fujita’s dance works, and has been presented in several places (Reims, Motemor-o-Novo, Osaka, Kyoto and Yokohama) since 2001. The original theme is showing the existance of himself, not only showing “dance” or “performance”. To do that, he trys to be honest and to show everything what he feels/thinks/reminds.... on the each moment. So sometime he losts, he hesitates, even sometime he starts to speak

   Recently, this piece is also involved by presenting in the alternative places. Especially, in the Festival Ananil in Motemor-o-Novo, Portugal, Fujita represented this piece on the path of country side besides old house, collaborating with Spanish musician, Andreu Jacob, was quite appreciated. All of the nature surrounding him affects his sence, and make the movements diverse and flexible. Also in the French momument, Palais du Tau, he danced in the outside place.

read more and watch other videos (on Hajime Fujita official web site)

Tuesday, June 17, 2008

danceWEBはやっぱり最後の青春だったんだな…

今週はLoïc Touzeが講師で、今年度の仕上げであるソロワークのためのイニシャル・ワークといったところ。
彼とは2006年のdanceWEB以来…。とにかく再び会えたことが本当に嬉しい。

それにともなって、ついついいろんなことを思い出す。
danceWEBに参加したときは確か24才。参加しているそのときから、「ああ、これがきっと僕の最後の青春になるんだろうなぁ」と感じ、だからこそバカなこと・無茶をたくさんやったけど、今更にそれを確認する。しみじみ。

---

ご飯の炊き方をほぼマスターしたので(ただし我が家のキッチン限定)、ここのところそればっかつくっている。慣れると手間がかからずすごい簡単、かつバリエーションがいくらでもできる。
1.材料を適当な大きさにカット。野菜、肉、魚、豆、なんでも、すきなもの、適当に。
2.鍋に米と1、塩少々を入れる。
3.米:水=1:1.3ぐらいの量で水を入れる(米以外が多ければ少し多めに)。
4.ふたをして、強火で加熱。
5.沸騰してきたら、トロ火にする。
6.待つ。水が沸騰しているのが見えなくなって、しばらくしたら、芯がなくなっているかみる。9割以上なくなっていれば大丈夫。
7.火を消し、鍋の上にタオルをかけて、10分ほど蒸す。できあがり。

Sunday, June 15, 2008

Coming back from Ananil

just coming back from Ananil. 2 performance + 1 workshop(my first workshop!!) in 3 days, pretty busy, but really great people and familiar beautiful festival. Now time to back to the reality again, and rest somewhat... zzz...





Wednesday, June 11, 2008

内田樹の研究室: 記号的な殺人と喪の儀礼について

今回の秋葉原の事件について僕(藤田一)としては今ひとつピンとこないところがある。
やはり離れてくらしていると、いくら母国のことといえあまり実感がない。
とはいえ、その在り方はまさに僕がそこにいたとき感じていた日本の人々のちょっと「おかしな」傾向に対する違和感を再確認させるものだった。ちょうど内田先生が分かりやすく書いて下さっている。

内田樹の研究室: 記号的な殺人と喪の儀礼について

ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること。
これは事実レベルの問題ではなく、物語レベルの問題である。
そして、この「ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること」は私たちの社会では「政治的に正しいこと」として、このような事件についてコメントしている当の社会学者や心理学者たちによって、現につよく推奨されているのである。
「ハラスメント」にはさまざまなヴァリエーションがあるが、私たちがいま採用している原理は、あるシグナルをどう解釈するかは解釈する側の権限に属しており、「加害者」側の「私はそんなつもりで言ったんじゃない」というエクスキュースは退けられるということである。
「被害者」はどのようなコメントであれ、それが自分にとってもっとも不愉快な含意を持つレベルにおいて解釈する権利をもっている。
「現に私はその言葉で傷ついた」というひとことで「言った側」のどのような言い訳もリジェクトされる。
これが私たちの時代の「政治的に正しい」ルールである。
その結果、私たちの社会は、誰が何を言っても、そのメッセージを自分のつくりあげた「鋳型」に落とし込んで、「その言葉は私を不快にした」と金切り声を上げる「被害者」たちを組織的に生産することになった。
たしかにそのような記号操作をしていれば、世界はたいへんシンプルになる。
私たちはメッセージを適切に解読するために、実際にはたいへん面倒な手続きを踏んでいる。
言葉が語られたときの口調や表情、身ぶりといった非言語的シグナル、前後のやりとりとのつながり、どういう場面でどういう立場からの発言であるかという「文脈」の発見、発言者のこれまでの言動の総体の中に位置づけてその暗黙の含意や事実認知上の信頼性、遂行的な確実性を査定すること・・・そういった一連の作業を経てはじめて、無限の解釈可能性のうちから、とりあえずもっとも適切と思われる解釈にたどりつくことができる。
これは面倒な仕事である。
特に、「おそらく『こんなこと』をいおうとしているのであろう」という暫定的な解釈に落ち着きかけたところで、その解釈になじまないようなシグナルに気づいて、自分がいったん採用した解釈を捨てて、もう一度はじめから解釈を立て直す、というのは心理的にはたいへんむずかしい。
この面倒な仕事をしないですませたいという人がふえている。
ふえているどころか、私たちの社会は、今ほとんど「そんな人」ばかりになりつつある。
目に付くすべてのシグナルを、「ひとつのできあいの物語」を流し込んでしまえば、メッセージをそのつど「適切に解釈する」という知的負荷はなくなる。
メディアで「正論」を語っている人々の中に「話の途中で、自分の解釈になじまないシグナルに気づいて、最初の解釈を放棄する」人を私は見たことがない。
この二十年ひとりも見たことがない。
これはほとんど恐怖すべきことであると私は思う。
知的負荷の回避が全国民的に「知的マナー」として定着しているのである。

Tuesday, June 10, 2008

"f/f" on 13th/15th June in Montemor-o-Novo

I would represent my improvisation piece called "f/f" in the festival Ananil in Motemor-o-Novo(eastern Portugal). This is 2nd time to show this piece in the same festival since last year. Please visit and enjoy the great summer atmosphere surrounded beautiful Portuguese country side :) :) :)

"f/f"
   f/f is improvisaton dance project, which is core of all of Hajime Fujita’s dance works, and has been presented in several places (Reims, Motemor-o-Novo, Osaka, Kyoto and Yokohama) since 2001. The original theme is showing the existance of himself, not only showing “dance” or “performance”. To do that, he trys to be honest and to show everything what he feels/thinks/reminds.... on the each moment. So sometime he losts, he hesitates, even sometime he starts to speak

   Recently, this piece is also involved by presenting in the alternative places. Especially, in the Festival Ananil in Motemor-o-Novo, Portugal, Fujita represented this piece on the path of country side besides old house, collaborating with Spanish musician, Andreu Jacob, was quite appreciated. All of the nature surrounding him affects his sence, and make the movements diverse and flexible. Also in the French momument, Palais du Tau, he danced in the outside place.


=videos from last year in Ananil (collaboration with Andreu Jacob)=

Saturday, June 07, 2008

Miguel Pereira "DOO"

部屋の外からまだうるさい音楽が聞こえる。今日はEuro 2008でポルトガル戦があって、どうやら勝ったらしい。

Alkantara Festival、今日Miguel Pereiraの"DOO"をCCBで鑑賞、これで僕は買ったチケット分全部みた。
他は、Berlin "Bonanza", Parts "New Works", Jonathan Burrows+Matheo Fargion "Speaking Dance"、Vera Montero "até que deus é destruído pelo extremo exercício da beleza"。雑感としては、Jonathan Burrowsはやっぱり面白かったけど(でも2006年の"Both Sitting Duet"の方がスッキリしていてよかった)、ほかは正直どうでもよかった。Partsは、友人二人のデュオはよかったけど、ほかの学生の作品があまりにも素人すぎて、翌日別のプログラムにいく気力がなくなってしまった(劇場が郊外にあるのと、公演が21時から3時間もあるというのも手伝った。昨年の卒業公演の作品は結構面白かったのに。)。Vera Monteroはいい作品だったけど、もう一つピンとこなかった。彼女の作品はともすると作り込みすぎるきらいがあるが、この作品もちょっと磨きすぎた感があった(お客さんの半分が帰ったというフランスでのプレミアを見たかった)。

で、Miguel Pereira。ほっとした。ちゃんとしたアーティストの作品だった。おそらく短期間のレジデンシーによるものだとはいえ、よく練られていた。

クレジット:
project by miguel pereira | in collaboration with ana pais, bernardo fernando (pak), nuno coelho, rui catalão, sérgio cruz, thomas walgrave, jari marjamaki | production o rumo do fumo | co-production alkantara, théâtre national de bordeaux en aquitaine | artistic residence and support centa (vila velha de ródão), culturarte (maputo), capa/devir (faro) | support balleteatro (porto), associação binaural, atelier re.al, centro cultural franco-moçambicano, rádio oxigénio, instituto camões| o rumo do fumo is supported by ministério da cultura/ direcção-geral das artes | project co-produced by next step, with the support of the culture program of the european union

以下は、学校で後日レポートを書かねばならないので覚え書き。

作品の流れ:
舞台、全体的にブラックボックス。スモークが舞台上にたかれていて、煙たい。CCB小アトリエ。舞台後方に木目の色そのままの長スツールがおかれている。中央にテーブル、ミュージシャンがパソコンほか機材をそこにおいてオペレーション。テープルの前には小さいスピーカー(モニター用?)、電源ドラムなどがおかれている。舞台上手側、スツールのすぐ脇には黒い扇風機。

開演、Miguel(以下M)、Bernardo(以下B)、Jari(ミュージシャン、以下J)上手より現れ、それれ上手、中央、下手に腰掛ける。MはすぐにLPレコードプレーヤーを舞台中央手前におき、自信はしゃがみこんでそのすぐ後ろに。クラシックミュージックながれる(曲目判別できなかった。)。スポットが、客席の中央あたりからと、かなり後方よりレコード番に投影され、Mの顔にレコード版の反射がゆらめいている。レコードは、始め通常に流されているが、途中からMが針を動かし何度か場所を変える。最後は短いフレーズが自動で繰り返される。

レコードプレーヤーを片付ける。その電源コードを扇風機に付け替える。扇風機動く。首をふりながら。扇風機は、舞台下手方向斜め後ろにむいていて、Mがスツールにすわるとちょうど彼にあたる角度になっている。

M、座っていた位置から真っ正面、つまり舞台上手側に立ちナレーションを始める。モザンピーク、アフリカ、彼の生誕の地。30年と足を踏み入れていなかった彼のふるさとに訪ねたこと。モザンピークはポルトガル・コロニーであったことの確認(一言で)。彼の思い出話。コカコーラを始めてみて、それはポルトガルもそのころ独裁政権化でみることが不可能であったからとても驚いたので、両親に「コカコーラだよ!!」といい、それから「コカコーラ」と呼ばれるようになったこと。そしてモザンピーグの伝統舞踊「Txava Txava (チャバチャバ)」という歌と踊りを学校で練習し発表したこと。歌と、チャバチャバの意味をとうとうと説明(しまった、詳細忘れた:P)。

するとおもむろにBたちあがり、舞台下手がわ、Mと同じライン上にたち、Mにチャバチャバの意味はそうじゃないと簡潔に、キッパリと反論する(たしか女でドラムの中に入るとか何とか)。二人、おもむろに後ろ向きで腰を左右に降り始める。スタンプも始める。ふたりで踊る/歌うチャバチャバ。腰を振り、スタンプをふみ、指差しながら左に回り、右に回り。しばらくして、Bを残しMはスツールにもどって腰掛ける。荒い呼吸。「Bにあって、45になったら自分がかつてのようにチャバチャバがおどれないと分かった」

(このへん少しうろ覚え)
二人で踊ること、Bが踊りながらMがナレーション。これを何度か繰り返す。途中、MはBと会って彼の過去のピースを思い出したといい、そのピースと思われる振り付けを二人で踊る。そのときMはかつら(アフロ)とハイヒール(ともにそのピースで使ったのだと説明する)を身につけて。Bがサイドステップを繰り返しているときに、M「モザンピークで、かつて自分たち家族が暮らしていた家に訪ねた。家はまだそこにあった。住んでいる人に、ぜひ中を見せてほしい、私にとって大切なことなんだと訴えるが、彼らは上司に尋ねないとわからないという。再び訪れ、その上司と話すが、彼は私を招く準備をしていなかった、また連絡するから、という。しかし連絡はこなかった。」

Bが靴をぬぎ、靴下を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンをまくり上げる。Mはかつらとハイヒールを舞台中央手前におく。かつらが上手側、ハイヒールが下手側で両者の間にはやや間隔がある。上半身裸になったはそこに近づき、しゃがみこんでかつらをみにつける。ハイヒールを両手でそれぞれにつかみ、トウの部分を握って、かかとの部分でリズムをたてる。アフリカドラムの律動。次第にはげしく。J、サンプリングしていたのか、Bのリズムと時にシンクロするようにドラム音がスピーカーより。どんどん両者の音が激しくなり、照明が暗くなっていく。代わりに舞台再度床からのライト(しばしばフロントライトに利用される小さな灯体が並列に並んだもの)があがっていき、Bはかつらとハイヒールをぬいで、Mがおいた元の位置に。舞台下手側にうつり、Bは次第に激しく踊り始める。Jの音も電子音がまじり、オリジナルのドラム音がどんどん遠くなりながら、激しさを増していく。照明は今度は全体に暗くなり始め、Bの影がはげしく躍動するのをみせる(このへん冗長だった)。舞台シーリングの蛍光灯が何度かパチパチと瞬き、暗転になっていく。クロスフェードして、後方のスツールにスポット。音は少し残っているが、Bは腰掛ける。J、ゆっくりと音楽をフェードアウト。M、立ち上がり、扇風機のコンセントをぬく(つまりこれまでずっと動いていた)。ファンが止まるまで動かない。静寂。3人立ち上がり、舞台上手へ消える。終演。

考察:
パフォーミングアートにおける現象学的可能性について意識的、戦略的である。
あらゆる情報は断片として提供され、それは作品内において対象化されない。すべては点として出現し、観客はその向こうへ誘われる。

当然ながら、断片はそれ自体として観客をその向こうに誘導しない。この作品では二つの事象を対比させ、その間を線として結ぶことを挑発することで、観客の思考を現象面の向こう側へと展開させる。

舞台美術そのものが、シンメトリーであり、左、右、中央と幾何学的に分割され、対比関係を想起させる。しかしここで秀逸なのは、中央のテーブルは厳密には中央ではなく、大体中央、であり、その前に置かれたモニター用と思われるスピーカーも下手側によっているなど、全体としてのシンメトリーを微細に崩している。上手側にも扇風機が置かれ、下手側とは完全に同一ではない。この崩しが、観客を強迫せず、リラックスさせる。中央にミュージシャンを配置することも、音楽を操作するという行為を見せることで、彼を観客の側の存在(オブジェクトとしての存在ではない)と見立て、架空の舞台であるという構造をあらわにし、了解させることで、観客に安心感を与えている。この崩しが、緊張感を与えずに、観客の視線における、対立という関係性の想起をゆるやかに助けている。

対立軸として何よりも考えさせられるのは、言うまでもなく、ヨーロッパ人とアフリカ人、ないし白人と黒人。これには当然植民地主義とポルトガル/モザンピークにおけるその歴史的事実を介在させる。白人であるMがアーティストとしてダンサーであるBに指示を与えている。Mが彼の個人的な経験を吐露し続けるのに、Bが冒頭をのぞいて無言であり続けることがそれを明示・強調する。また、Bが着ている服はヨーロッパ人の服である。しかし、Mが踊るその真後ろでBは淡々と同じステップを踏みながら、Mを超えて、虎視眈々とした眼差しで観客の方を向いている。先進国としてのヨーロッパ、開発途上国としてのアフリカ、しかしその構造がいつまでも続くとは限らない。
Mはモザンピークに行き、かつての家を尋ねたが、まるで断られてしまった。語られてはいないが、そこに住む人々が黒人であったとも考えられる。支配されていた側が、まるで違うあり方でふるまう。
あるいは冒頭でMがアナログレコードを聴きながら、まるで踊らずにじっとりとしゃがむ姿と、Bがデジタルミュージックで激しく踊る姿。それは皮肉か予言か。

もちろん、老いと若さも一つの対立軸としてとらえることができる。へたるM、無言で踊り続けるB。Mを始めとした、西側ヨーロッパの代表的アーティストの世代が老いに入ってきたという事実。

narraitive、特にここではMの体験と思い出話は、ガイドとしての役割を果たしながら、解説者にはならず、その柱から胞子をとばし、舞台という構造(visual/time)を利用して、観客を現象面の向こうへと誘う。彼の物語そのものにとどまらず、そこから想起させる社会や歴史といった一般的事象にまでその視線を拡散させる。それこそが、パフォーミングアートの現象学的可能性であり、「この次の世代」である私達がよりいっそう探求していくべき主題である。Mはプロフェッショナルとして、あるべきアーティストの姿を確かに見せてくれた。

Sunday, June 01, 2008

Renewal of Website

As you see, I am improving my web site and add the section of text. Moreover, the section of works shows a lot of information and videos.

Slowly, but certainly I am making better my web site. I would continue to organize to make it easier to get information of myself for the visitors.

Hajime Fujita Official Web Site

お金の手前にも人がいるが、お金の向こうにも人がいる

実に2年ぶりにone of my best friends(どう書いたらいいんだ日本語で:P)の友人Sに会う。落ち合った劇場で思わず感情的に声をあげてしまう:D インド人の彼はロンドンで働くダンサーで、僕とは似ても似つかないフィジカルなダンサーだが、どこか頭の芯が一本ぬけてて、なんとも美しい人間だ。

彼とともにリスボンの港湾地帯にあるクラブへ。20euroというエントランスがポルトガル人の若者にどう意味するのかは簡単に予想のつくことである。しかしそれはそれでよかった。お金の手前(持たない/持てない側)のことを、まあ自分がそうなんだから当たり前なんだけど、いろいろ考えてきたけど、お金の向こうにだって人がいるということも、決して忘れてはならないのだとフッと気づかされた。

薄明かりの中タクシーからおりて、ふらふらと少し歩き、帰宅。さすがに酔っぱらったか、思わずうずいて泣き出してしまう。いい友人ほど遠く、思ったときに会うことはできない。

Saturday, May 31, 2008

私を傷つけるもの、私をケアするもの

映画「Derrida」を観る。インターネットでの評価は分かれるようだけど、僕はiPodにうつして少しずつ観たので、それほど引っかからずすんなり見れた。ちょっとくさいところもあるけど、こういう切り方は嫌いじゃない。

他者とは遠いものである。(それがまずコギトを基点とした西洋哲学から生まれてきたという背景を持ちつつも…)
他者は私を傷つけるが、他者は私をケアするものである…。

昨日はちょっと悲しいことがあって、落ち込んでうろうろとバイロアルトを歩いて一人でコーヒーを飲んでいた。どうしようもない気持ちがぬぐい去れなかったけど、約束なのでその後友人と落ち合ってお茶をのんだ。彼も疲れていたが、一緒に話をするとこれほど気楽になれるとは思いもしなかった。

いい友達を持てることは何事にも代え難い。

---

友人の友人はウェブデザイナーで、いろいろと話をしていたが、今ここで行われているダンス・フェスティバルについて。チラシを見て何か面白いものがないと探したが、作品についてそこに書かれている情報はどこぞこの劇場で上演されたとか、どこぞこの文化機関に支援されているとかそんなことばかりで、具体的な内容がさっぱり分からなかったという。小さなコミュニティーに向けられた内向きなあり方。(でもこのフェスティバルも文化庁の支援という形で税金が使われてるじゃない!!) 思わず溜め息がつく。

そういえば先日フェスティバルのショウの一つにいってきたが、劇場につくとチラチラとこっちを見るような視線。「あれは誰だろう」なのか「ああ彼は…」なのか分からないけど、なんかこうコミュニティーに異物が入ってきたときのような気持ちの悪い空気。日本でもそうだし、ヨーロッパの大都市の劇場なんてどこでもこんな感じ…でも正直あんまり楽しくない。僕は作品を見に来ただけなのに…。そうでなくても普通に話しかけてくれればいいのに。
(まあ劇場が社交場だというのもヨーロッパの文化的歴史の断片といえるのかもしれないけど)

Wednesday, May 28, 2008

授業再開

今日から授業再開。
調子はボチボチ。学校の授業もボチボチ。

なんだか知らないがここのところ天気がしめっているし、やたら寒い。冬用ジャケットをまだ着ているなんて考えてもいなかった。

Monday, May 26, 2008

IHT: Burmese villagers had little, and lost it all

IHT: Burmese villagers had little, and lost it all

Since Cyclone Nargis devastated the area May 3, this isolated village in the Irrawaddy Delta has been all but ignored by the junta. As of this past weekend, it had yet to be reached by international relief workers.

Then Khin lost 15 family members when Nargis swept through. For those in the family who survived, life is a litany of woes and the recovery has only just begun.

-----

For people like Then Khin's family, for those who live in the isolated, outlying hamlets of the delta, putting their lives back together after Nargis has been a sad affair - and a struggle that international aid workers have largely been unable to help ease. The Myanmar government, critics say, is distrustful of outsiders and does not want the villagers to meet foreigners. Meanwhile, the ruling junta is unable or unwilling to provide adequate help on its own.

"I don't expect anything from the government. I never have and I don't now," Then Khin said. "I heard on the radio about foreign help on its way, but I haven't seen any in the past 20 days. It's the same as before, nothing changed."

Friday, May 23, 2008

今日の撮影はCascais

今日の撮影はCascais。初めていった。
観光地であるけれども、確かに本当に美しい風景だった。

絶壁のへりで打ち付ける波を背後に一時間半ほど撮影。Kは大分いい感触があったみたい。よかった。

長い溜め息

この一ヶ月はまるで忙しく、様々なことがいっぺんにおこり、一息ついたらさすがにまいってしまった。まさに長い溜め息をつくように、昨日からの休暇に入ると、何も手のつけようがない状態。おきまりの軽いdepression。やるべきことは、休むこと、待つこと。難しく考えないこと。

今日はSintraにポーランド人の友人Kの撮影にいく。エメラルドグリーンのビーチは言葉にならない美しさであったが、水は冷たく、雨もふってきたので早々に撮影は中断。しかし彼女の友人である写真家Gのテンションが高く面白い。一緒に仕事がしたいと言われると、もちろん嬉しい。疲れてるときはどうしても「こんなことやってて誰か喜んでくれる人なんているのかなー」とネガティヴにいってしまうから、そういう言葉が何よりも励ましになる。…この仕事をいつもギリギリのところで嫌いにならないのは、たくさんの友人のおかげだ…言うまでもなく。

それでもポルトガルはいい。京都と同じだ。逃げ場がある(というと悪い意味に聞こえてしまうかもしれないけど、決してそうではない)。パステレイリアにいって、1euroそこらのスープをペロリとすると、なぜか元気がでる。おじいさんや、おばあさんが、道ばたでえんえんとしゃべり続けているのを聞いていると、自然と心が軽くなる。

早く調子がよくなってほしい。元気になって、また皆とバカなパーティーをしたい。:) 今はじんわり、ゆっくり、そのときを待つ。

Sunday, May 18, 2008

pois...

Last 2 weeks were the busiest moments since I came to Portugal.
I worked in Festa da Dança in Lisboa and showed 2 pieces: "dontdiemyfriendtommy" in Alkantara and "f/f" in Terreiro de Passo, in collaboration with Hana Kogure.
Then I went to Porto to show "f/f" in Maus Hábitos and support the concert of Hana Kogure, as general cordinator and translator.
All of things were just great and I really appreciate all the people we met there: public, stuff, artists. It is incredible that I met how many great people... Muito obrigado.

Though, afterwards, I got really tired and sick again. Now still on the way to recover. But I think it takes time. So here just I apologize to be late to send a plenty of e-mails to thank a lot of people. Anyway I am here and slowly getting back the pleasure of my life.

I have a show of "f/f" and a workshop on Festival Ananil next month in Motemor-o-Novo. If you have a chance or have some friends (near from) there, please (ask them to) visit and have a nice summer time together in beautiful outside festival :)

Beijinhos,

Hajime

Sunday, April 27, 2008

産経: やはり中国は中国 モスクワで甦った7年前の「悪夢」

やはり中国は中国 モスクワで甦った7年前の「悪夢」

 08年夏季五輪の開催地に北京が選出されたのは2001年7月13日、モスクワの世界貿易センターで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でのことだった。当時、モスクワ特派員としてこの模様を取材したが、中国から送り込まれていた多くの政府や五輪招致の関係者、報道陣らは歓声を挙げて小躍りしていた。
 当時から、北京五輪への課題として人権問題が指摘されていた。IOCのカラード事務総長(当時)も「7年後の開催までに改善されることを切に望んでいる」と語っていた。香港から来たジャーナリストにこのことをただすと、「日本の負け惜しみだ」と逆ねじを食らわされたが、欧米や日本など自由と民主主義という価値観を共有する国々の多くが、IOCの見切り発車的決定を憂えていたのは事実だ。

---引用ここまで

別のニュースでIOCの会長が「ヨーロッパ諸国も植民地政策を行いながらオリンピックをおこなってきたではないか」と発言したそうだが、これははっきりいって言語道断である。大切なことは、今現在苦しんでいる人々がいて、その状況を好転するべくその術をさがすことであって、中国がいいとか悪いとか、そういう話をする段階ではない。この手の子供じみた論理軸のすり替えを会長自身がするのを聞いていると、オリンピックというものがずいぶんいいかげんなものなのだなと、印象を持たざるおえない。

Wednesday, April 23, 2008

内田樹の研究室: ダライ・ラマ畏るべし

内田樹の研究室: ダライ・ラマ畏るべし

私たちがその名と事績を熟知し、そのメッセージを繰り返し耳にする機会のある中国少数民族指導者はダライ・ラマ14世ひとりである。
ダライ・ラマ14世は、毛沢東、周恩来以来すべての中国指導者と五分で渡り合い、いまだに中国の「対抗者」のポジションにいる世界でただ一人の政治家である。
スターリンもフルシチョフもケネディもニクソンもネルーも蒋介石もスカルノもみんな死んだ。リー・クアン・ユーもマハティールも李登輝も現役を引退している。
その中にあって、ダライ・ラマ14世だけがただ一人現役の「中国のカウンターパート」として、つねに世界のメディアの注目を集めている。
繰り返すが、これはきわめて例外的なことである。
私たちはなんとなくダライ・ラマ14世というのを穏和で平和主義的な宗教家だと思っているけれど、この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。

Improvement of my Web Site

Slightly improving my web site.

Now I just added the pages about my dance pieces.
This could be very useful to watch all the videos uploaded on the internet.

Wednesday, April 16, 2008

CoffeeGeek.com: Coffee: Portugal's Other National Drink

CoffeeGeek.com: Coffee: Portugal's Other National Drink


What can you expect in a Portuguese coffee shop?

In Portugal most people don’t have an espresso machine in their house. If you’re entertaining friends you offer them Port wine. If they want a coffee, you invite your guests to go with you to your neighbourhood pastry shop/ coffee shop/ bakery, where coffee is affordable and the atmosphere is relaxing. What can you expect when you get to the coffee shop?

When you enter, the first thing to catch your eye will be a large cabinet containing a coffee grinder and an espresso machine that can make anywhere from four to eight cups of coffee at the same time. Here are the different types of coffee you can order in a Portuguese bar or restaurant:

+Bica: Espresso shot
+Café Pingado: A dripped coffee, served in a beaker with a bit of hot water.
+Café Longo: Similar to a Café Pingado, but taller.
+Galão:A Café Longo with the ratio of 1:3 milk in it. It can be foamed and/or steamed.
+Garoto: Garoto also means "kid" and this drink is mostly milk and a favourite for children. It is made like a Galao but the coffee has been run through twice on the espresso machine and is weaker.

Festa da Dança、ようやく場所きまる

Festa da Dança、セレクトしてくれたのはありがたいのだが、突然事前連絡なしに上演場所/方法を変えるとオーガニゼーション側がいってきて、まいった。チャンスではあるし、友達にも言われて思いとどまったが、何しろ怒ってもしょうがないので、頑張ってなぜ作品にとってプロポーズしていた形式(インスタレーション)が必然であるのか、とうとうと書いてe-mailで送る。翌日さっそく電話がきて、こちらの要望通りの場所に。ホッ。いつでもそうだが、基本的にヨーロッパでは何もしゃべらないと何も考えてないと思われて、相手にされない。かといって、(どこでも同じだけれど)コミュニケーションにおける気遣いももちろん欠いてはならない。この辺のバランスがすごく難しい…。

Anyway. I am going to show the following pieces:
"dontdiemyfriendtommy" (installation) - 3rd Maio 2008 in Alkantara
"f/f" (improvisation dance) - 4th Maio 2008 in the public place (detail to be confirmed.)

Friday, April 11, 2008

Performance on 3/4 May in Lisboa, in Festa da Dança

I would represent my two pieces (f/f and dontdiemyfriendtommy) in 3rd and 4th May in Lisbon, in Festa da Dança.
More details to be confirmed.

Thursday, April 10, 2008

REUTERS: Ice cream stick ship's Atlantic bid

REUTERS: Ice cream stick ship's Atlantic bid



A Viking ship made from ice-cream sticks set sail for England from the Netherlands on Tuesday.

The 15-metre (50-foot) long ship, named after the Norse god Thor, is made from 15 million recycled ice-cream sticks glued together by U.S.-born stuntman Robert McDonald, his son and more than 5,000 children.

"If you can dream it you can do it ... I want to teach children that anything is possible," McDonald said.

Badly injured as a child in a gas explosion that killed the rest of his family, he has loaded his ship with cuddly toys and plans to reach London and visit children in hospitals.

Monday, April 07, 2008

IHT: Torch draws protest fury in London's Olympic run

IHT: Torch draws protest fury in London's Olympic run



In a fresh bid by protesters to use the Beijing Summer Olympics as an opportunity to highlight China's human rights record, thousands of demonstrators crowded into the streets of central London on Sunday and turned the Olympic torch relay into a series of angry scuffles and melees. The police said that at least 30 people had been arrested.

Friday, April 04, 2008

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

ところがここで、日本側のあるメディアのジャーナリストから意外な報告があった。
餃子事件の発生後、天洋食品などにこのメディアは50人の記者を派遣して徹底取材をしたのだがなかなか実態がつかめなかった。だが、彼らはその取材過程の中で、日中の捜査当局にも接触していた。そこで、中国側の28日の捜査当局の発表は突然ではないということがわかったという。捜査協力といいながら、実は日本側の捜査当局は中国側の捜査当局とずっと対立していたというのだ。
例えば、中国が日本側に対して、捜査のために事件を起こした餃子の1つを貸してほしいと依頼されたが、日本側は断った。日本は、農薬が混入したのは中国だと決め付け、その混入経緯を捜査しようとしており、一方、中国側も混入したのは日本だという前提で、その結論ありきでプロセスのみを捜査しようとしていた。
2月28日の中国側の発表の前から、日中間は話し合いではなく激しく対立しており、もの別れ状態だったのだ。従って、これは必ずしも中国が唐突的に反日的な発表をしたわけではないのだという。
確かに、仲たがいでもしなければ、それまで詰めて話し合ってきたものを突然壊して、中国側が独断で発表を行うはずがない。しかし、日中の捜査当局の間で対立していたことは、取材で明らかになっていたわけだが、日本の新聞などではあまり大きく取り上げられなかったのだ。

-----

この議論の中で最も対立したのが、やはり報道に対する価値観の違いだ。
中国側は、究極の報道の目的は「国益のためになる報道をすることだ」と主張している。これに対して、日本側は、「国益と国民の利益は全く違う」という考え方だ。
第2次世界大戦の時、日本政府は「国益のためになる」と言って、満州事変、日中戦争、太平洋戦を行った。それによって国民はものすごく大きな被害を受け、犠牲になった。これを体験しているので、日本人は国益と国家というものに対して非常にナーバスになっている。「報道の目的が国益なんてとんでもない。報道は国益になろうがなるまいが事実を報道するものだ」と、日本側は主張した。
これに対して中国側は、「中国は戦後独立したわけで、中国の人々はみな、国益=国民益だと非常に素直に考えている。日本と違って国益に対する疑惑や疑問、不信感はないのだ」と述べた。そこはある意味そうなのかもしれない。
日本側は「それは違う。あの文化大革命は何だったのか」と返した。
中国政府は国益のためと言って、数多くの中国人が犠牲になった。西側諸国が報じている情報によると、死者の数は3000万とも7000万とも言われている。これは国民益といえるのか。政府は国益だと思ったかもしれないが、国民はひどく迷惑したはずだ。

-----引用ここまで

中国の問題は非常に複雑で、先日のIHTの記事でもよく分かったけども、政治的のみならず思想的なアプローチも忘れてはならない。彼らの「正義」と西側の「正義」は同義ではなく、いずれも「正義」に基づいて行動しているという点では同義である。(言うまでもなくそれは、チベット問題、あるいは天安門事件における人道的問題を忘れていいという話ではない。大切なことは、現状をよい方向に向かわせるにあたって、他者たる中国人への積極的向かい合いなくして絶対に実現は難しいということも事実であるというところだ。戦争がおこるときは、いつも同じ…。旧ナチスドイツにとって反ユダヤが「正義」であったという事実は、決して見逃してはならないし、そうでなくてイスラエル-パレスチナの問題は理解しようがない。)

Monday, March 31, 2008

YouTube: Opus 20 Modern Masterworks: John Cage

This video essentially bring what Cage did, in short minutes.

Part1


Part2

備忘録: なぜ日本のコンテンポラリーダンスはchildishであるのか

先週の音楽の歴史の授業の中で、先生が、なぜPost-modern music(おそらく名称としてのPost modernであり、Post modernismとしての音楽とは異なると考えるべきだろう)としてスティーヴ・ライヒなどが出てきたかを簡単に説明してくれた。つまり20世紀初頭にある現代音楽-modern musicが難解すぎてpublicにとってしごくboringであったということ、言い換えれば現代音楽はpublicに向かい合っていなかったということなのだ。

日本の多くのコンテンポラリーダンスがcriticismを欠いてchildishであるのも、これは同じことなのではないか。

日本の多くのアーティストも、またオーガナイザーも、publicに大して非常にネガティヴである。多くがやっているのは、自分たちの価値観の押しつけ。「これは面白いからあなたもみた方がいい」という論理でものごとがまわっていて、"どうやって"問題意識を伝えていくのか芸術的かつ社会的なアプローチへの意識が不足している。結果として、publicにとって「好きな人たちが集まってやっていること」になってしまう。いかに文化政策に従事する人々が政治的取り組みを続けたとしても、この点が変わらなければ社会的理解を得ることは難しく、時を経るにつれ助成金の削減など分かりやすい形でリアクションがあらわれるだろう/現時点でもあらわれはじめている。

Ultima Vezがベルギーの多くの若者にとってあこがれの存在であるという話を聞いたが、日本の状況がそこからいかに遠いかである。(Ultima VezのDVD Boxが発売されたら皆が買いに走ったそうな)

猥雑な表現ではあるが、マスターベーションをやめてセックスをしなければならない。引きこもって「でも私たちは頑張ってこんなにすごいことをしているんです」とぶつぶつつぶやく代わりに、家の外に出て誰かと一緒にコーヒーでものみにいくべきだ。

申し訳ないが日本で隔年開かれている大きなコンペにまるで新鮮味がなく、同じアーティストが何度もノミネートされているのをみると、悲しい気分になってくる。

Sunday, March 30, 2008

IHT: Nationalism at core of China's reaction to Tibet unrest

IHT: Nationalism at core of China's reaction to Tibet unrest

Communist Party leaders had hoped to use this Olympic moment to showcase how China has become a modern and nonthreatening emerging world power. President Hu Jintao has advocated a "harmonious society" as a catchphrase to signal a new government emphasis on addressing inequality in society. At the same time, China's soft power abroad is rising with its bulging foreign exchange reserves, its aid programs to poor countries and its increasingly active diplomatic role on issues like the North Korea nuclear crisis.

But the Tibet crisis has revealed a leadership that has seemingly stepped back into its harsher past. Buddhist monks in Tibet are now being subjected to punitive "patriotic education" campaigns. Paramilitary police officers and soldiers have swept across huge areas of western China in a crackdown that is under way, if unseen. Party leaders, including Prime Minister Wen Jiabao, have vilified the Dalai Lama and blamed a "Dalai clique" for orchestrating the protests to sabotage China's Olympic moment.

---

Scholars often describe nationalism as the state religion in China now that the Communist Party has shrugged off socialist ideology and made economic development the country's priority. Dibyesh Anand, a Tibet specialist, said modern Chinese nationalism can be traced to Sun Yat-sen, the Chinese revolutionary who described the country's main ethnic groups - the Han, Manchu, Hui, Mongolian and Tibetan peoples - as the "five fingers" of China.

Today, Han Chinese constitute more than 92 percent of the population, but without one of those five fingers, China's leaders do not consider the country whole.

"The Communist Party has used nationalism as an ideology to keep China together," said Anand, a reader in international relations at Westminster University in London. He said many Chinese regard the Tibetan protests "as an attack on their core identity."

Wednesday, March 26, 2008

朝日: 姜尚中・東大教授ら、ネグリ氏来日中止で政府に抗議声明

朝日: 姜尚中・東大教授ら、ネグリ氏来日中止で政府に抗議声明

日本政府は、ネグリ氏の来日直前、ビザ申請に加え、入管法上の「特別上陸許可」を出すために、過去に受けた有罪判決が、政治犯罪によるものだとする証拠を書類で示すよう要求。ネグリ氏側は時間的に無理として来日を断念した。

 声明文は、ネグリ氏が政治犯であることはすでに国際的に承認され、釈放後の4年半にネグリ氏が訪れた22カ国では今回のような書類提出を求められていないとし、来日中止で「思想的・学問的交流の機会を奪われ」「思想信条・学問の自由が侵された」と抗議。速やかに特別上陸許可を出すよう求めている。

今日から学校

イースターもおわって今日から学校再開。
いきなり朝の9時からのバレエ。集中力がぜんぜんもたない…。
もともとバレエはそんなに好きではないので、気持ちがそんなにすんなりとは入っていかない。
でも、18才のときに初めてレッスンを受けたときに比べたら、どれだけできるようになっただろう。
僕は基本的に普通の人の3倍の時間をかけて同じことをようやく覚える。でも、だったら逆に3倍やれば同じことができるだろうと、いつもポジティヴにレッスンをうけてきた。(バレエは特にJanette Panettaとの出会いが僕にとっては大きいのだろうけど)

昼からはHisotry of Music、先生には申し訳ないが、速攻で寝そうになる。途中コッソリ抜け出してカフェでコーヒーを急速に流し込んでなんとか切り抜ける。いい先生なのだけど、あまり抑揚のないクラシックをずっと聞いていると自然とまぶたが重くなる。lol
授業の終わりに質問をしようとしたら、皆が一斉にこっちをむいた。もう終わるところなので面倒くさい質問をするなという空気がすぐに伝わってきた:P 先生は僕の質問をずいぶん迂回して答えたので、一瞬「ええ分かっていますけど…」とついつい言いかけるが、こらえる。これは僕のよくない癖だと最近気づいた。「先生」として「教育者」として気遣ってくれているからこそ、しばしば冗長な返事がかえってくる、でもそれはその人の優しさであるのだから、一瞬イラッとしてもまずそのストラクチャーを受け取らなくちゃいけない…大人にならないといけないよなぁ:D

スーパーや郵便局の人や、近所の人と話すとき、少しずつポルトガル語が分かってきた/通じるようになってきた。嬉しいし、何より安心に思える。ともかくポルトガル人の人たちは優しい…これまで僕がまわってきたほかの西側ヨーロッパの人たちとはちょっと違う。ここには気遣いとコミュニケーションのリアリティーがいきている。

South Park!! South Park!! South Park!!

beta logo

Hey Common!! All the episode of South Park is now on the internet!!!
Lovely!! Horay!!!
http://www.southparkstudios.com/

ATTENTION: AS YOU KNOW, SOUTH PARK HAS A LOT OF VIOLENT/SEXUAL EXPRESSION.

Monday, March 24, 2008

Wired: Chinese Authorities Place 'Wanted' Posters For Tibetan Rioters On Web Portals

Wired: Chinese Authorities Place 'Wanted' Posters For Tibetan Rioters On Web Portals


Meanwhile, Tibetans in Los Angeles held a rally. Xeni Jardin of Boing Boing covered the event and interviewed some of the participants.

The news wires also report that the current riots may have some expensive consequences. The Chinese authorities are re-thinking the idea of allowing the American news networks to broadcast live from Tiananmen Square during the Olympic games this August. The networks apparently paid hundreds of millions of dollars for the privilege.

In other news, the Dalai Lama, it seems, also shares a pet peeve with reporters that all other leaders do. The Dalai Lama issued a terse press release today that said: " ... He also reminded the Media not to quote him out of context."

Wired Vision: チベット問題をめぐるネット上の情報戦

Wired Vision: チベット問題をめぐるネット上の情報戦

フランスのテレビ局の関連サイトによると、『MSN China』や『Yahoo! China』も、短期間ではあるが、手配写真を掲載したという。これについては、この記事を投稿した時点では確認できていない。
21日(米国時間)午後に米国東海岸にあるコンピューターから、MSN ChinaとYahoo! Chinaで検索を実行したが、チベット暴動に関するニュースは何も出なかった。
中国政府は、中国内部でのYouTubeへのアクセスや、チベット関連の西側の報道を選択的に遮断している模様だ。
また、反体制的なブロガーたちは、「中国インターネット監視当局」から、チベット暴動について論じた場合、逮捕され「しかるべき処分」を受けることになると警告されている模様だ。

Tuesday, March 18, 2008

毎日: チベット暴動:日本で暮らす60人 故郷の報道に胸痛め

毎日: チベット暴動:日本で暮らす60人 故郷の報道に胸痛め

チベット人女性の一人は、暴動の一報が日本に届くと何度も故郷に国際電話を掛け、17日朝、ようやく70代の母と話ができた。しかし母が地元で死者が出ていることを告げ、悲しい、悲しいと繰り返すうち、電話は切れた。声を聞けたのは一瞬だった。

ひとやすみ

洗濯物の周りを大きな蜂がとんでいた。夜はまだ寒いけど、少しずつ春が近づいてきているのを感じる。

イースターで、今週は学校が休み。学校の内外で、いろいろと忙しかったので、さすがに疲れもたまっていて、先週は風邪もひいた。
本当にいいタイミングでの休暇。

料理をしたり、洗濯したり、掃除したり、繕い物をしたり、なんでもないことを時間を気にせずにできる。でもそれが大きなエネルギーになる。

なかなか書けなかった友人・知人へのメールも少しずつ書く。
筆無精もよくないが、ぞんざいな文章も書きたくない…。

ひとやすみ、ひとこきゅう。
少し周りを見てみる。元気をもらう。

人民網日本語版 温総理:ダライとの対話の条件はチベット独立の放棄

人民網日本語版 温総理:ダライとの対話の条件はチベット独立の放棄

国務院の温家宝総理は18日午前、国内外の記者に向けた記者会見に出席し、英国フィナンシャルタイムズの記者の西蔵(チベット)問題に関する質問に答え、次のように述べた。

私たちは重ねて厳粛に申し上げる。もしもダライが独立の主張を放棄し、チベットが中国領土の分割できない一部分であることを認め、また台湾が中国領土の分割できない一部分であることを認めれば、対話に向けた我々のドアは常に開かれていると。これは私たち自身が提案した条件で、現在でも変わっていない。

IHT: Tibetan exiles in India join in protests

IHT: Tibetan exiles in India join in protests

"All the streets are smoke and tears," said Choedak, 18, a student who spoke to his mother in Lhasa by telephone Saturday night. " 'We cannot open our eyes,' " he said she told him. " 'Every street is like empty.' "

Monday, March 10, 2008

Julyen Hamilton's classes ended last week

Last week, finally we finished 2 weeks Julyen Hamilton's classes. It was quite nice opportunity to know the person in those generation, and way of very sensitive/open physical improvisation style. In addition, in the class, I got the way to focus my "center/joint" as the core of movements. I started to use off-balanced movements more comfortably.
Although, to be honest, these 2 weeks had been totally making me frustrated. Because, Julyen did not give us our space. He just pushed his idea always. It was very clear that, if we said opposite idea from him in the discussion, he must deny or ignore that. Of course I can understand that is because of his experience and this kind of attitude often appears when we get old. But anyway (even I understand logically) I could not feel well, and not easy to stand to stay in the class sometime...

=Profile: Julyen Hamilton= http://www.julyenhamilton.com/
Julyen Hamilton has been making dances, directing and teaching for the past 30 years.
He was born in England, then lived in Amsterdam and now is based in Girona, Spain.
In 1984 he was awarded the 'Zilveren Dansprijs' by the VSCD in Holland.

Trained in a period of experimentation in London in the mid-70s , he has constantly made work from a radical point of view.

His work, both in company and solo, develops dance for the theatre
where dancers and light designer are directed to compose pieces instantly,
a process of practising improvisation in rehearsal and in the moment of performance.
Hamilton creates his own personal language where movement and text constantly intertwine
and are passed amongst the performers as a way of manifesting the sharing of the imagination.

He is also invited to play with musicians, to choreograph for other dancers and to collaborate with other directors.

Since 1990 he has made more than 100 solos which have been seen all over the world. They are a highly original interplay between dance, live text and light. His latest solo Cell premiered in Barcelona on 2004.

His teaching work comes straight from the stage experience; it goes deeply into the compositional aspects of creativity through the areas of the physical body, space, time, dramaturgy and voice.

His label Blue Dog DVDs produces videos of his performances on dvd.

Julyen

Monday, March 03, 2008

ようやく「家」になる

昨日友達がついに部屋を引き払って出て行った。
彼女と二人で放浪の旅へ。
これからこの家は僕とベルギー人の友達Jとシェアする。

ようやく僕らの家になったものの、友人との別れはやっぱりちょっと寂しい。
ともあれ、今まで僕が暮らした中でもっとも広く、快適な家。
一ヶ月経ってようやく、こちらでの当たり前の生活が始まろうとしている。

静かな興奮と、ホッと一息、ひそかな疲れ。



----

リスボンの街を歩く。
Gracaは、カステロ(古城)の周りの古い地域で、観光地である。観光客がいっぱい。
でも、ここを走る28番線トラムの終着地、Martin Moniz(中心街の中では特に治安が悪い)は中国人・アフリカ人街である。
光と影があるとか、パースペクティヴを与えるとか、すり切れた表現もすぐに浮かんでくるが、まるで典型的なポルトガルの小道を、伝統衣装に身を包んでウキウキと歩くアフリカ人女性たちの美しさとたくましさは、もっと新鮮な風を運んでくれる。









Tuesday, February 26, 2008

空白の2年間

2年間という長い旅。僕にとって2006年/2007年は、空白、まだ何とも表すことの出来ない時間だ。
始まりは、ただともかく、自分が立っているその場所に大きな違和感を感じて、どうにかそこから抜け出そうと必死だった。
あのまま、中途半端に周りと折り合いをつけながら、いつか一定の評価がくるのを待っているだけなんて、とてもとてもやりきれなかった。

danceWEBに選ばれたことは奇跡だった。
でもその奇跡を、一瞬の輝きにすませたくなかった。
一週間に4日か5日はPubの仕事で、バーに立ちながらもお客がいないときは必死に英語の勉強をしていた。
忙しい合間をぬって、バレエもモダンもコンテもレッスンを受けた。
朝の仕事も掛け持ちし始めたころ、頭痛がやまなくなった。
ペイン・キラーをのみながら、勉強して、お金をためた。
つらかった。でも、全部役に立った。

ウィーンについて、それでも初日から英語はさっぱりで、始めはただ皆のおしりをおっかけてばかりだった。
同じようにアジアから来ているダンサーの中には、あきらめてフェスティバルにきている同じ国の子とずっとしゃべっている人もいた。
でも僕はそれが嫌だった。辞書をひきながら、友達に折にふれて分からない言葉を尋ねては、なんとか少しずつ皆の話を理解しようとした。
もちろん何もかも怖かった。でもなんとかなると信じた。
いい友達がたくさん出来て、まるで何の予定もなかったその後のヨーロッパ放浪の旅はなんとか友人の家から家へ、進むことが出来た。
必死に書いたアプリケーションはポーランドにまでつれていってくれた。
いろんなものをみた。聞いた。知った。僕なりに分かった。

けれども、いつも、それは、現実逃避の心持ちを拭えなかった。
今いる場所から自分の高い理想に歩みをすすめるなら、普通の歩き方ではとどかない。
無理をして、苦しんで、分からなくなって、傷ついて、でももちろん誰も悩みに答えを与えてくれる訳ではなく。
乗り越えるには、現実をからの中にくるんで、そばにおきつつ見るほかなかった。
だから、この2年間はまるで空白だった。

今少しずつ、自分のまわりを落ち着いてみれるようになってきた。
つらいとき、くるしいときに無理をしなくてもいいようになってきた。
無理をしなくてもいいという、余裕を少しずつ持てるようになってきた。
すぐに以前のようには戻れないけど、本当に少しずつ。

2007年の夏、フランス。帰りの切符はあったけど、どうしてもどうしても帰りたくなかった。
皆の前で、泣きながら、しゃべっていた。「このまま日本に戻ったらもうヨーロッパに戻って来れなくなるかもしれない」
もうボロボロになっていた僕を、それでもたくさんの友達が、支えてくれた。
Forum Dancaにうかりながら、パリでどうにもならなくなって、本当に生きるか死ぬかという心持ちになっていたとき、友人はいってくれた。
「あなたは2年間をヨーロッパを旅して、いろんな成果を残したでしょう。それは誰にも出来ることじゃないんだよ。あなたにはそれだけの強さがあるんだよ。」
その言葉が思いとどまらせた。自分を失わずにすんだ。

これからもきっと楽じゃない。でも、少しずつ、少しずつ、目の前にあることと向き合っていく。

Thursday, February 21, 2008

3週間がたちました

3週間がたった。
ポルトガル。あたたかい国。

学生の頃、京都で、よくいく定食屋があった。
叡電、元田中のそば、恵文社のはすむかいに、王将の元田中店があった。
とにかく安くて、バイトで給料が入った後など、おなかいっぱいになりたいとき友達と誘っていった。
汚くて、かざりけも何もないけど、いつも若い学生であふれていて、おかみさんがよく店のなかにドカッと座っていた。
色気も何もない、でも何の気取りもない、あたたかな場だった。

引っ越して、1,2年してたずねたら、店はつぶれてこぎれいな花屋になっていた。

ポルトガルのパステレイラやカフェに入ると、あの店のことを思い出す。
ずっと変わっていないのだろう、素朴なパンと料理の数々。
溢れる人々の会話。あたたかなお店のお父さんやお母さん、お兄さんお姉さんの笑顔。

道を歩いていたり、メトロに乗っていると、いろんな人に声をかけられる。
相手が東洋人であることなんて気にせず、屈託なくしゃべり始めるポルトガル人には圧倒させられる。
ポルトガル語がまだまだな僕は、ニヤニヤするしかないのだけど。

思えばまだ僕が小学生や中学生のころは、道で人に話しかけるのをためらうなんてあまりなかった。
道に迷えば、誰かに聞けば、なんとか家に帰り着けた。
東京で、駆け足で抜けていく人の海に飲まれていると、言葉が詰まって何も言えなくなる。
街から何か大事なものがストンと抜け落ちてしまったのか、僕にとって日本はいつのまにか居心地が悪くなってしまった。

ポルトガル、このイベリア半島のはじっこ、大きな深呼吸。

Monday, February 04, 2008

Safety Japan: 外国と対等に渡り合える人材の育て方

Safety Japan: 外国と対等に渡り合える人材の育て方

---
 関西では、成功した金持ちは、そんなことより子どもにピアノやバイオリンをやらせた方がよっぽどもうかるという。親の方も、カラオケの練習をした方がよっぽどもうかるという。

 例えば、外国へ買い付けに行ったときに、家族ぐるみでホームパーティーをする。特に資源を買い付けに行ったとき、資源を持っている人は、自分が働いてつくったものではないから、気前がいい。だから仲がいい人、仲良くしたい人、気持ちがいい人に売りたい。
---

Forum Dança, where I am studying



Forum Dança, where I am studying, is most well-known contemporary dance institution in Portugal. They have been acting very important roll to produce a lot of great works and educate people. First I knew their name in the Vera Montero's past productions. A lot of her production is supported by Forum Dança.

----
Forum Dança is a non profitable cultural association, created in 1990, and whose purpose is to promote both artistic and professional development, investigation, editing and documentation.

In the field of vocational training, Forum Dança conceived and organized, since 1991, Professional Development Courses. There were 22 of these Courses which were held in Lisbon, Oporto, Torres Vedras and in the Algarve, namely: Dance Monitors for the Community, Contemporary Dance Interpreters, Dance Management/Production, Performing Arts Management/Production, Dance Monitors’ Recycling Course, Choreographic Research and Creation, Dance Techniques for the Community, Dance in the Community.

Forum Dança is a bridge between the professionals and the audience. It develops pedagogical projects, seminars, workshops and regular classes, aiming both professionals and amateurs, both adults and young people.

It also provides artistic guidance and is equipped with a documentation centre specialized in dance, with about 550 works in different artistic and technical areas, magazines and dance catalogs, and also an image archive.

Forum Dança has worked with both national and international organizations spread throughout the world.

DGERT dgARTES MC
----

Japanese Translation:
Forum Dança(フォーラムダンサ)は非営利文化機関として1990年に設立されました。その目的は芸術的かつプロフェッショナルな発展、探求、編成、記録を行うことです。

実践的職業(舞踊)訓練の分野において、Forum Dançaは1991年から様々なプログラムを創設、運営してきました。 その数は22にのぼり、リスボン、ポルト、トヘシュ・ヴェドラシュ、アルグレイヴにて開かれてきました。これまでに創設されたコース名: Dance Monitors for the Community, Contemporary Dance Interpreters, Dance Management/Production, Performing Arts Management/Production, Dance Monitors’ Recycling Course, Choreographic Research and Creation, Dance Techniques for the Community, Dance in the Community.

Forum Dançaはプロフェッショナル(アーティスト)と観客の架け橋となっています。Forum Dançaはプロフェッショナル及びアマチュアのどちらをも対象にして、また成人及び若い人々も対象にして、セミナー、ワークショップ、定期的なダンスクラス(レッスン)といった教育的なプロジェクトを提供してきました。

また、Forum Dançaは芸術的な手引きも提供してきました。Forum Dançaがもつドキュメンテンション・センターはダンス分野を専門とし、異なった芸術的・技術的分野(雑誌、ダンス・カタログ、映像資料)に及び、およそ550もの作品を有しています。

Forum Dançaはこれまで国内及び、世界各国の文化機関と活動を行って参りました。

(Japanese Translation: Hajime Fujita)

Wednesday, January 30, 2008

quality of time

finally I arrived Lisboa and started to participate PEPCC in ForumDanca today.
Ok this is formation, school, is not the same as kind of "projects".
But I mean, I had little surprised inside of quality of time.
Nobody rushed. Taking time to understand the class, communication, developing the relationship with other students.
Everything goes slowly based on no obesession.
This is what I have been missing last 2 years.... Always I had a pressure to do something. I had to make it, I had to finish it, even sometime it does not make any certain result.
Beautiful country Portugal, just I am so glad to be here and breath.

Saturday, January 26, 2008

ついに、ポルトガルForum Dancaへ

東京から横浜に、東海道線の中でくるりを聴きながら、涙ぐんだ。もう言葉にならない感情だった。

うれしいという気持ちとは違った。今日になってみれば、ホッとしたという感じの方がいいのかもしれない。言葉もろくにしゃべれない、土地の習慣だってよく知ってるわけでもない、でもポルトガルに行くことが、「行く」というより「帰る」という気持ちになれる。思えば日本に帰ってこの一ヶ月、どこにいたって違和感を感じて、いちいち小さなことにストレスがたまった。

ポルトガルのビザがついにおりた。2年間のForum Dancaでの研修。日本では全く知られないポルトガルのコンテンポラリーダンスであるが、その特異性とセンスのよさは、飽和状態でダメ・アーティストがあふれかえっているフレンチ・コンテンポラリーダンスより僕にとってずっと興味深い(もちろんフレンチ・アーティストにはマチルダ・モニエなど偉大なアーティストも大勢いる)。Forum Dancaはそのポルトガル・コンテンポラリーダンスを生み出し、発展させてきた、最も重要な文化機関である。Forum Dancaで学ぶということは、いわば、ポルトガル・コンテンポラリーダンスの懐にとびこむといってもいい。

「学ぶ」ことに必死にならずとも、そこで学べることは山とあるだろう。ただただ楽しい時間を送りたい。何せここにたどりつくまでなんと2年間も家ももたず放浪したのだから…。

<備忘と後進のために -ポルトガル長期留学ビザの申請->
1. ポルトガル大使館
東京、地下鉄「麹町」またはJR「四谷」
ウェブサイト →査証は領事部へ

2. 必要書類
・アプリケーション (大使館より受け取る)
 大使館に直接うかがい、その場で指導を受けて記入した方が早い。
 引き受け責任者記入欄があるため、研修文化機関の連絡先、責任者の氏名を明確にしておくこと
・証明写真2点
・ポルトガル警察への犯罪経歴申請用紙
 大使館で受け取る。署名と日付を入れるだけ。
・インヴィテーション(コンファーメイション)・レター
・研修プログラム概要
・住居証明
 これが最後まで時間がかかりました。重要なことは、ポルトガル現地である住所に住むことが明示されていること。
 友人などによる私文書の場合は、ノータリーによるサイン証明のスタンプが必須(本国の政府機関などでは省略することもあるそうですが、今のところ在日大使館では必須です)。
・残高証明
 年間10,000-euroが目安だそうです。当然為替で変動
 申請から発行まで3日〜1週間程度。
・公的病院発行の健康診断書
 伝染病の有無の明示を求められる。
 査証目的の簡便な診断をやっている公立病院は少なく、広尾の日赤病院が便利。たしか¥15,000-ぐらい。
 診断から書類発行まで1週間程度。外務省によるアポスティーユ証明が必要(外務省で申請の翌日受け取り)
・犯罪経歴書
 居住地の県警で申請。申請時に住民票の控え、査証のアプリケーションの提示など必要。
 申請一後週間程度で発行。外務省によるアポスティーユ証明が必要。
・保険証明
 通常の留学用保険の証明書で構わない。書面は英文が記されてあれば十分。
・航空券またはその代替となる書面
 原本でなくともよい。E-Ticket、あるいは予約証明でも構わない。ただし片道航空券は不可。
 僕は後者にして日程変更を繰り返しながら査証発給を待った。旅行会社によって日程変更についてのコンディションはまちまち。
 JTBは変更のたびに手数料がかかるので、避けた。

3. 査証発給期間
長くて2ヶ月程度だそうです。急ぐ場合は事情をはっきり説明した方がよいです。

4. 申請のポイント
大使館はポルトガル政府機関ですが、現場で動いているのは日本人です。ヨーロッパの政府機関ほど融通はききません。ネゴシエーションするよりは、言われた通りに書類を迅速にそろえる方が賢い選択です。逆に相手の要求に誠実に応えれば、話を聞いてくれます。
ただし、こういう行政関係は何でもそうですが、もちろん自分の主張ははっきり伝えること。個人は弱く、泣き寝入りしがちですが、自分が当然の主張を行っていると考えるならば、(怒りだす代わりに)冷静に明快に堂々と相手に伝えるべきです。Be confident.
私のように研修の際は、現地の文化機関ともよく連絡をとること。問題があった場合は(ビジネスの基本に倣って)すぐに連絡をとること。多少言葉に不便があっても、繰り返し落ち着いて説明すれば必ず伝わります。何もない場合もupdateを欠かさない。個人に対してinstitutionはいろんな意味で力があるので、必要なときにそれに頼るのは全く悪いことではない。

Friday, January 25, 2008

Hooray!! Finally I got a visa to be in Portugal!!

Deraest my frineds!!

after a long long days since the end of November, finally I got a
Portugal visa to be in Lisboa.
I will arrive on the evening of the monday, and going to attend the
Forum Danca from Tuesday.
I am very exited and, of course, little bit anxious for my new life..

See you soon!!

Lots of kisses,

Hajime

Tuesday, January 22, 2008

NYTimes: Israel Allows Some Supplies Into Gaza

NYTimes: Israel Allows Some Supplies Into Gaza

Mahmoud Daher, a health officer for the World Health Organization in Gaza, said Monday that there was a shortage of more than a hundred types of medications, and there were no spare parts to fix broken generators. “There is no crisis yet, but there will be one if the situation continues,” Mr. Daher said. “We are on the edge.”

Sunday, January 20, 2008

Thursday, January 17, 2008

what's going on me

As some of you may know, I have been selected in the dance formation, called PEPCC, in ForumDanca in Lisbon. Actually the course already started from 7th Jan. but because my visa has not issued yet, I still be in Japan and waiting for its process (precisely, I just missed one paper for that...). Anyway after obtaining the visa, I will be in Lisbon and studying there for 2 years.

Now I am also editing the dvd of "one dance/one video/one day" projects as same as I updated on YouTube. First I thought this project as suitable for the internet, but some of my friends is much more easy to watch on TV or computer with DVD, and DVD is useful when I use this as material to apply some kind of programme.

I am also working for some other projects for this and next year. As usual it is, some of projects would be realized but othres might be not. Anyway. One thing probably happen is attending the Sweet and Tender annual meeting 2008. This precious group project is now growing more. I am very exited to contribute and participate this again.

Sunday, January 13, 2008

Wikipedia: Social alienation

Wikipedia (English): Social alienation
In a broader philosophical context, especially in existentialism and phenomenology, alienation describes the inadequacy of human being or mind in relation to the world. The human mind, as the subject of perception, relates to the world as an object of its perception, and so is distanced from the world rather than living within it. This line of thought can be found, among others, in Søren Kierkegaard, Martin Heidegger, Jean-Paul Sartre, Albert Camus and Theodor Adorno.

Saturday, January 12, 2008

毎日: 日本語学習:ブラジル人用に実践型テキスト作り進む 浜松

日本語学習:ブラジル人用に実践型テキスト作り進む 浜松
「タッセイリツ」「カンリ」「シギョウ」……。日本で最も多い約2万人ものブラジル人が暮らす浜松市で、現場の作業に必要な日本語を集めた実践的なテキスト作りが進められている。市販のテキストは文法中心で現場ではすぐに役立たないという声に応え、浜松国際交流協会などが取り組みを始めた。作業現場での日本語の頻度に基づいて編集する予定で、来年度中の完成を目指す。

photo

Tuesday, January 08, 2008

The article of Sweet and Tender on Movement

This article about Sweet and Tender was printed on French contemporary art magazine, Movement.

僕はテレビに出たくないと思った

友達がローカル・テレビに出ていてインタヴューを受けていた。子供の頃の写真が紹介されるやらなにやら、見てるだけでなんだか恥ずかしい。僕はあんまりテレビにでたくないなぁ
:P

Wednesday, January 02, 2008

happy new year and renewal of top page of web site

happy new year. wish you have pleasant days this in 2008.
after crazy messed up days, i have been feeling really tired these days. just now try to rest well...

today i renewed the top page of my web site. i want to improve my web site more this week.