Friday, December 25, 2009

Thursday, November 26, 2009

なんだかまだまだ全然忙しい?

コーディネイション(というかオーガニゼーション)をしているコンサートが先週リスボンで、また今週ポルトであり、スタッフとのやりとりからチラシ貼りまでともあれなんでもかんでも出来ることに奔走。

一昨日ついに長かったリスボンでのテレビの仕事が終わり、昨晩は打ち上げだったが、そんなこともあって最初顔を出した後、夜行バスに飛び乗ってポルトへ帰ってくる。忙しくて忙しくて、結局公演が終わった後も全然ばたばたしている。
その分ある程度お金が入っているので不満はないけど、やっぱりクリスマスくらいはのんびりしたいけども…。

今、出来ることを正面から向き合っていけば、きっと結果は絶対ついてくるだろうから、ここで歩をとめることはできない。
前へ、前へ、もっと学ぶことがまだまだある。


バイト先。今週の日曜から2,3ヶ月間はポルトガルのブラウン管にうつっている。

Wednesday, November 11, 2009

わー明日はpremierだ。

もう疲れてて、「わー」という感じ。
衣装はなんだかんだとトッカトッカと決まった。一応明日もう少し見るけど。

プレミアの前って本当に、何が起こるか分からないということを含めて、不安。
今回はお客さんをいじる場面が多いので特にどうなるか…うまくエンターテイナーな自分を出せるといいんだけど。
しかしアシスタントの発音指導は本当に助かる…。やっぱり一度ネイティヴの国で訓練した方がいいのかしら。

昨日もそんな感じで、疲れてよく文章を読まずにリスボンだと思っていたあるポルトガル人アーティストのオーディションに応募したら、実はブリュッセルで「いやもう君のことは知っているし興味はあるけど、わざわざブリュッセルまでこなくてもいいよ。またそのうち一緒に仕事をできるだろうから。」とアーティスト本人からメールをもらう。ダメだ。

IT Media: Facebookが日本法人設立へ 実名SNSでmixi追撃

IT Media: Facebookが日本法人設立へ 実名SNSでmixi追撃

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/11/news091.html

世界のアクティブユーザー3億人

 Facebookは実名での利用を推奨しているSNS。電話番号や住所、出身校などプライベートな情報を登録でき、情報の公開範囲を細かく指定できる。

 2004年に大学生向け限定でスタート。06年には学生以外にも利用を開放、07年には他SNSに先駆けてAPIを公開し、外部開発者がアプリを開発できるようにするなどしてユーザー数が急拡大。MySpaceを抜き、世界最大のSNSとなった。

 現在、世界のアクティブユーザー(直近30日間に1度でもアクセスした人)は3億人で、うち半数は毎日アクセスしているという。海外展開も積極的に行っており、08年に70カ国語に対応。米国のほかドイツやスペイン、英国、トルコ、マレーシアなどさまざまな国で、最大のSNSになっているという。

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中毒ということはないが、もうFacebookがないとしんどい。
Twitterはやらないが、Facebookはみんなが何をしているのかが一目で分かって楽しい。

ただ、日本人のことを考えると、名前を英語、日本語など複数言語で設定できるようになるといいのになとも思う。

Monday, November 09, 2009

不安だ

やっぱり新作の発表前は不安だ。ドキドキする。お客さんがどんな反応をするのか予想がつかない。

クリエイションは大詰めで(もう出来ているべきなんだけど…)、先日プロデューサーから「いいんだけど、今一つこう、力強い何かがないよね」と自分も思っていたことをグサリといわれ、今日思い切って、ドカッと強いものを入れてみようと決める。
どうなるかな。

こういう40分とか尺のある作品って、逆にどうまとめるか難しい。
20分ぐらいの作品だと、一つのアイディアを中心にピシッとまとめやすく、観客にも分かりやすい(だからそういう作品が値段の関係もあってマーケットでよくまわる)。
だけどある程度の長さで、大きな角度を持ち、異なった課題を伴った作品も、それは別に意義があると思う。

しかし今回はテキスト(英語)が多いので、それも結構大変だ。
幸いアシスタントがイギリス留学があり、発音をちょこちょこ助けてくれる。
「thenはzenと違うのよ。」といわれても、日本人にはやっぱりなかなかわからんです。

インスタレーションの音をお願いしているサウンド・アーティストもギリギリ間に合いそう。
というか彼にあっていなかったら今もっと地獄だったろうな…。
振付、演出、出演、映像、インスタレーション…やっぱ一人でやるのは限界がある;)

映像はついにモノができ上がってきたのでホッと安心。初日に完成すればいいが、そうでなくともまぁ形は整えられるだろう。
それより地味に心配なのがおそらく2000個〜3000個ぐらいあろう石にひたすらスマイルを描いていく作業か…考えないようにしよう…。

Saturday, November 07, 2009

You Go Where You Should Go - 12, 13, 14 November, Contagiarte(Porto)

[vamos onde devemos ir]



performance/installation introduced by Hajime Fujita

12, 13, 14 November 2009
Festival TRANSdisse 2009 / Porto, Portugal

_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_

We are living, here and now, wherever and whenever we are... even however we are.

We are different.
We have different life, different situation and condition of life.
Although, all we are living.

Living with family, lover, friends... Living with properties such as money, house, car... Living with a full of joy, pleasure, satisfaction... Living with fear, sorrow, pain... Or to be living under cold sky on the street...

Life is unfair, and difficult.

Then, what helps us?
To what can we ask a help?

This performance would formalize a space to show one body.
Life would be, of course, there on that body, and [hopefully/naturally] it would bring a moment we see a 'possibility'.

_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_*_

Hajime Fujita
Choreographer, dancer and performance artist. Born in 1982, in Yokohama of Japan. His piece has been introduced in Centro Cultural de Bel ém(2009), Centro Cultural Malaposta(2009), Mandala Performance Festival(Wroclaw-Poland/2009), SKITe/Sweet and Tender in Porto(2008), Festa da Dança(Lisbon/2008), Festival Ananil(2008/2007), Maus Hábitos(2008, 2007, 2006) and other venues in Portugal, Japan, France and Spain.

Studied in Kyoto University of Art and Design for Performing Arts between 2001-2005. Participated PEPCC programme of Forum Dança in 2008. Participated international projects of danceWEB(Vienna, 2006), Pointe to Point(Warsaw, 2006) and SKITe/Sweet and Tender(Reims, 2007/Porto, 2008). Nominated for Rolex Mentor and Protege Arts Initiative programme(Geneva) in 2008.

http://hajimefujita.com

[Local/Date]
Contagiarte
Rua Álvares Cabral, 37219, Porto, Portugal

12, 13, 14 November
22h45 (to be confirmed)

[Organization/Production]
Terra na Boca - Cultural Association

[Co-Production]
+Art Link (Romania)
+Jardin'd Europe
with a support of European Union Cultural Programme
+Oficinas do Convento (Montemor-o-Novo)

[Support]
+Maus Hábitos (Porto)

新作までもう少し

今日も雨だ。洗濯物がまったく乾かないので着るものがない。勘弁して欲しい。

朝からプロデューサーとスタッフとIKEAで小道具(鏡)を買い、その後ビーチにいって石を拾う。
プロデューサーは疲れているのか、「明日リハを見せてくれるのは17h30だったね。」と4回ぐらい同じことをいう。
その後リハを終えて家に帰ってきたら彼から電話がきて、短く話したらもう一度「明日17h30だったね。」と聞かれる。
オツカレサマ。

リハには振付の手伝いで同い年のダンサーに来てもらっているのだが、インスタレーションで使う映像がまだ何もできてないといったら「え、でもこの予定表に『映像作成』ってかいてあるじゃない?」と目を点にされる。ハハハ。
で、今日ようやくビデオのアイディアが出てきた。ホッ。
ルームメイトの一人が映像作家なので、エフェクトを教えてもらう。やっぱこういう時アーティストと一緒にくらしてると助かる。

今回の新作は色々初めてのことばかりで、例えば:
○フェスティバルに委嘱された作品 - 日本語でいうところの「自主公演」ではない。
○アーティスティック・レジデンシーによるCo-Producerがいる - EU Culture Programmeからも間接的に援助をうけている。
○プロデューサーがいる - プレッシャーはかけてくれるは、今後の再演の可能性なんかも探してくれている。

なのでかかわっている人が多い分考えさせられることは多い。
でもはっきり言えることは、ポルトガルにいたからこれが出来たんだろうな。
さあもう一頑張り。当分は睡眠時間がへりそう。

Thursday, November 05, 2009

冬の雨

ポルトにかえってからすぐその寒さに驚く。そして雨。
ポルトはこの時期が雨期で、洗濯物が三日経っても乾かなかったりする。

ものの一週間で新作の公演だが、振付はともかくインスタレーションのビデオが真っ白だ。
正直今年の六月に無理やりビデオをたくさんをつくらされていらい、ちょっと映像作成に食傷気味。
たぶん例によってギリギリまでかかるか、二日目三日目と変わっていくか…。

ただ一番よくないのは、こういう状況で極端にあわてることで、こういう時こそ時間をとってアイディアが出るのを待たねばならない。
で、その時間をとるために犠牲になるのがプロダクション。
メールやらなんやらの書類かいたりコミュニケーションがずがーっと圧縮される。
むしろそっちが大変。

Wednesday, November 04, 2009

今年一番忙しかった五日間

木曜日の夜から今朝までリスボン。
金曜日、火曜日がテレビのバイト、早朝から深夜までまるまる。
土曜、日曜はワークショップをして、月曜はアプリケーションでバタバタバタ。
今年一番忙しい五日間だった。

ワークショップは14人というたくさんの参加者に来てもらって感謝感謝。
ともかく「踊れ踊れ、何をしたっていいんだから」とガンガンあおる。
(もちろん、山ほどコンセプトを説明したり、色々と固有のエクササイズもするのだけど)
即興の基本はまず楽しむことだとやっぱり思う。

テレビの仕事はバイトなのだけど、昨日は現場の空気がちょっと重いので、ついつい「コレハイカン」と一人頑張ってはしゃいでいたら「今日はスゴイよかったよ!」と終わってから褒められた。なんか久しぶりに人から褒められた気がする。
宴会芸みたいのをやってたら「何年Gulbenkianでやってるんだ?」とからかわれる。たまにはね。

さあポルトに帰ったら新作の準備でテンテコマイだ。

Wednesday, October 28, 2009

お決まりの

お決まりの「じゃ、明日までに書いてきてね」が出たので今夜は大変。
忙しい時にこそいろんなことが一斉にやってくる。その他ややかしい書類がもう一つ、ややかしいメールももう一つ。
今の仕事をしつつ、その次の仕事も当然探さねばならない。

とりあえず作品の概要は見えてきた。あとは振付と、映像と、空間構成と、ともかく時間をかけて細部をつめていくだけ。
それにしても一人でやることが多い…。「インスタレーションとパフォーマンスを混ぜたような」といったら、いつのまにかインスタレーションも別につくることになっていたという。ヲヲ。

お金を節約しなければと思うのだが、こんだけバタバタしているのでついつい定食屋に入ってしまう。Moelas、久しぶりに食べた。たぶん日本語でいうと砂肝?コリコリしてておいしく、ポルトガルのスナックの定番。ごはんとポテトがついて2.80euros、これがポルトだ。

Tuesday, October 27, 2009

書類の山

日本に一時帰国を考えているので、一応仕事なりナンナリをチョコチョコさがす。いがいと出せるものがまだあるなぁ、とかチェックしてたら書くべき書類の山。うぁー。

今日から新作のリハは一人ダンサーのお手伝いさんに来てもらう。やっぱ一人で振付つくるのは無理。
この二週間うなってたのがうそみたいに(だから振付の中身はかなり煮込まれているのだけど)最初の方はパッパカパッパカ決まる。
山のような書類の一つに「領域横断的な作品を発表」と書いたけど、なんていうか「ナントモイイガタイ」というのが僕の作品の特徴だと思う。
ダンス、ダンスというわけでもないし、テキストを使うからって演劇でもないし、パフォーマンス・アートほど確信的にコンセプチュアルなことを前にだすわけでもない。さぁポルトガルのお客さんはこんな作品をどう受け取るのだろう。

ともあれ明日明後日で50%ぐらい完成してないと日程的にまずいので、結構駆け込み。
金曜からはバイトとワークショップでリスボン、でも日曜日は友達の誕生日パーティーがある :D

Sunday, October 25, 2009

TVは大変だなぁ

ガッツリ仕事させられて、その後電車にとびのってポルトへ。
疲れたままムリヤリちょっと新作の会場でリハをして今日はグッタリ。

思ってた通りTVのプロダクションって大変。
初日のリハが終わったのは25時で、そのあとスタッフが日本人関係者を順番にホテル、家へ送り、僕が友人の家についたのは27時。で、翌8時半集合でシューティング…。

スタッフの多さがやっぱり劇場プロダクションの比じゃない。
みんな一言でいうと「職人さん」という雰囲気。
ダイレクター、カメラ、大道具、司会者、またシューティングの際の一般観覧者の仕切り役(カメラがまわってない間ずーっと踊ったりしてテンションを落とさない)などもすごいけど、この後あの大量のカメラ映像を編集していく人もスゴイ…。

帰りしな若いスタッフに「テレビの人はポルトガル人とは思えないほど働くねー」といったら「この業界はガンガン働かないと仕事もらえない」といわれる。なるほどなー。

* * * *

ふだんは二日メールを読まなくてもたいしたことないのに、こんなときに限って急ぎのメールが二つも入ってて、一件はガンガン電話もかけてきてて、大変申し訳ない。

そして今日もポルトは雨。

Tuesday, October 20, 2009

しごと

光の速さでおくった履歴書に対してやっぱり光の速さで連絡がきてバイトが決まる。
(情報を得たその夜のうちに送って翌朝電話がなった。)
簡単にいうとテレビのはじのはじのはじぐらいの仕事で、つまり拘束時間と待機時間がそうとう長いことが考えられる。
とはいえ、ちょうど少し収入があれば助かるなーと思っていたのでナンデモここはやっておかないと。
あとポルトガルのテレビの現場がどんなかちょっと興味がある。
で、いつかというと明日の夜リスボンいきの電車に飛び乗り、おそらく土曜日の朝かえってくると。うーん速い速い。
普段石のように腰が重たいinstitutionなんかとやりとりしていると、こういう爽快感は結構気持ちいい。

(今年は何度このポルト-リスボン間のバス・電車に乗ったか…。京都と実家の横浜まで8時間の高速バスによくのっていたので始めのころは3時間程度など何でもなかったが、こう毎月のように乗ってるとさすがにしんどくなってくる。仕事で交通費いちいち請求するのも大変だし、それでみんな結局リスボンへうつっていくのだな…。でもリスボンだと、ちょこちょこカフェにお茶しにいったりなんてなかなか出来ない。)

先日九月の仕事の給与も入り、これでなんとか今年はギリギリやっていけそう。
個人アーティスト一年目としてはかなりよく出来た方ではないのだろうか。

Monday, October 19, 2009

建築家

大分風邪もよくなってきたし、気持ちも仕事にむかってきた。
不安はいっぱいだけど、一歩一歩すすむしかない。

昨日となりの部屋の建築家にポルトガルではどう建築家になるのかという話をきいた。
なんと大学を出たあと一年間無給のインターンシップが義務づけられているそうだ(今後二年間になるらしい。)。
しかもそのインターンシップで必要な技能を得たかどうかを現役の建築家に署名してもらわねばならず、作品を気に入ってもらえる建築家にインターシップの間にみつけられなければ、なんとその後は仕事のみつけようがないという。
いっけんして厳しすぎるようでもあるが、例えば親戚や知り合いに現役の建築家がいれば、そのサインでもいいわけで、うーん。

ポルトガルは西側ヨーロッパとはいえ、74年の革命からそれほど日がたっておらず、こうした細かいところで精度的なほころびがあったりする。
ちなみに社会民主主義政党が第一党で、社会主義といえば北朝鮮のようなイメージをもちがちな日本人にしてみればなかなか驚くところである。(社会民主主義は現実路線をとる社会主義で、ヨーロッパでは一定の支持がある。)
先日読んだPersepolisのなかでもイランの革命における共産主義者たちの存在がしばしば描かれている。

Sunday, October 18, 2009

履歴書は光速で送る

風邪をひいたりもともとスランプだったりで創作はなかなかしんどいのだが、突然きたlanguage exchangeのリクエストに答えてたら仕事になりそうな案件をバッタリ紹介してもらえ、光の速さでcvと写真を送る。
なんかこういうところは、チャッカリしてきたなー。まぁでもこういうのは送って仕事になる確率1%あればいい方だけど。

へー



José Mário Branco (n. Porto, 25 de Maio de 1942) é um músico e compositor, ou cantautor, português.
Filho de professores primários, cresceu no Porto e frequentou o curso de História, na Faculdade de Letras da Universidade de Coimbra, que não concluiu. Expoente da música de intervenção portuguesa, iniciou a sua carreira durante o Estado Novo, tendo sido perseguído e exilado na França, entre 1963 e 1974. Com ele trabalharam José Afonso, Sérgio Godinho, Luís Represas, Fausto e Camané, entre outros, com os quais participou em concertos ou em álbuns editados como cantautor e/ou como responsável pelos arranjos musicais. Igualmente compôs e cantou para o teatro, o cinema e a televisão. Em 1974 fundou o GAC - Grupo de Acção Cultural com o qual gravou dois álbuns.

Thursday, October 15, 2009

平和な家

引っ越して二日目。
今回は一階の通り沿いの部屋で、初日はやっぱり近隣のノイズが気になってなかなか寝付けなかったけど、さすがにもう慣れた。
以前がPraça da Batalhaで、市街中心の中心、すさまじく便利だったから、不便になるかと不安だったけど、このCampo 24 Agostも実は市街まですぐ。5分も歩けばR. St. Catarinaへ出れる。

周りはお店やカフェがいっぱいで、夜は道に売春婦までたっている(ポルトでは売春婦をよく見る。)。初日にルームメイトに「何でもあるよ、このへんは。」といわれたので「朝から晩まで困らないね」とふざける。

防犯上はアレだけど、窓をあけると家の前の並木道からの木漏れ日が部屋にそそぐ。平和だ。

Tuesday, October 13, 2009

Mudança

住環境の問題があり、ずっと引っ越したかったのだけど、家賃があまりにも安くしばらく我慢していた。
とはいえ、新作の制作もあり、色々集中せねばらなず、どこか部屋がないものかと友達にメールをしたら即返事が帰ってくる。
場所もいいし、家賃も前よりあがるとはいえ、それでも極めて安く、広く、庭、地下室(広い)、なんとインターネットまでついているので、トントン拍子に話を決め、今日引っ越し。

三人の建築家と一人の映像作家、なんと全員男性というややマッチョな共同生活。
でも以前居候していたポルトの家も5,6人でシェアしていたので逆に古巣に戻ったようでほっとする。

Friday, October 09, 2009

ワークショップと公演

僕はどちらかというと悲観主義的で、ものごとを悪い方向、悪い方向に捉えるくせがある。
それをある程度でおさえるために、どこかでポカッと何もしない休みの時間が必要になったりする。
自分なりにこれまでの活動に満足しているかといわれれば、色々思うところがあるのだけど、友達なんかは「でもなんか随分あれやこれややってるじゃない」と言ってくれる。そうなのだろうな。

さて、今月末の土日はリスボンにてワークショップ。すでに何名かが申し込みをしてくださったそうで、ありがたや、ありがたや。
簡単な参加者のプロフィールをプロデューサーにおくってもらったが、今回はプロフェッショナル・ダンサーが中心になりそう。初心者が多かったこれまでのワークショップとは違って、脱構築的なアプローチをとることも考えておかないと。
しかもトータル10時間ぐらいで、かつ修作公演もあるのだから、密度は相当濃くなりそう。

11月ポルトでの公演+インスタレーションのためにfozまで石を拾いに友人の車で。ゴミ袋に大量に石を入れて持ち帰る。
なんでもないようだが、こういう素材が近場でタダで手に入るというのは、日本の都会育ちの僕からしてみたら驚きである。
会場のContagiarteまで運んだら、「何?ビーチから石をもってきた?あ、あそこにサーフボードがあるから一緒においとこう。」とおじさんにからかわれる。ウン。
しばらく身体をうごかしていなかったので、今週末まで家で肩ならしをして、月曜日から本格的にリハに入る予定。プロデューサーからは「早く作品をみせろ」とせかされるが、こういうところが「一人でつくっていないんだな」とホッとさせられる。

Tuesday, October 06, 2009

Workshop "Open Your Body to All The Possibilities" + final presentation


Photo: Bartłomiej Bielecki

Aqui, neste momento, o quê e como vemos, ouvimos, cheiramos, tocamos, sentimos, pensamos, o que evocamos…?

É desnecessário referir que o corpo tem um sistema automático, que certamente influencia os nossos sentidos e a nossa cognição: muitas vezes não vemos o que estamos a ver. Por exemplo, é normal não pensar que o nosso coração bate a não ser que tenha um problema, sendo que a nossa perspectiva cria, normalmente, uma certa atenção que a “exclui” para fora do seu foco.

Este workshop de improvisação guiará os participantes na consciência da invisibilidade da nossa percepção. Mesmo antes de criar qualquer coisa de novo, posicionamo-nos sempre diante de inúmeras possibilidades. Por outras palavras, o workshop irá concentrar-se no “antes do movimento”, para que assim, possamos movimentar-nos livremente.

Especificamente em espaços públicos, estações do metro, praças, onde será feita a apresentação final do workshop, serão sítios onde sempre podemos descobrir muito desta “invisibilidade”.

Quem aprecia a arquitectura e a paisagem? Quem pensa na atmosfera desta plataforma? Quem vê as questões sociais dos aglomerados de pessoas que ali estão ou passam? A Arte pode estar lá presente.


Sample Videos of his Improvisation
http://hajifuji.ciao.jp/works_html/ff.html




Hajime Fujita
Hajime Fujita é choreógrafo e bailarino. Nasceu em 1982, em Yokohama no Japão.

As suas peças foram apresentadas no Centro Cultural de Belém(2009), Centro Cultural Malaposta(2009), Mandala Performance Festival(Wroclaw-Polónia/2009), SKITe/Sweet and Tender no Porto(2008), Festa da Dança(Lisboa/2008), Festival Ananil(2008/2007), Maus Hábitos(2008, 2007, 2006) entre outros, em Portugal, Japan, France and Spain.

Estudou na University of Art and Design for Performing Arts, em Kyoto entre 2001-2005. Participou no PEPCC do Forum Dança in 2008. Participou em projectos internationais de danceWEB(Viena, 2006), Pointe to Point(Varsóvia, 2006) and SKITe/Sweet and Tender(Reims, 2007/Porto, 2008). Foi nomeado para o programa Rolex Mentor e Protege Arts Initiative (Genebra) em 2008.

http://hajimefujita.com


Condições e datas do Workshop:
Sábado, 31 de Outubro
das 17h às 20h
e Domingo 1 de Novembro
das 10h às 18h
- às 18h Finaliza com a performance (em local público a definir com o criador) de entre 15 a 20 minutos.


Preço:
Para Guerreiros da Dança e outros alunos do Estúdio Mandinga 7a posição - 30€
Para alunos externos - 40€


Local: Estúdio Mandinga 7a Posição
R. de Sto António à Glória, 38 (metro Restauradores)


Inscrições e informações: dancaparapeles@gmail.com
919122371 / 931783435 / 966189406
http://www.artbetyou.blogspot.com

Friday, October 02, 2009

休暇、に近いもの

両親がポルトガルに休暇でやってきているので便乗してコインブラへ来ている。
古い街、こんな言い方はあれだが、ポルトガルっぽくない街。

仕事を完全に休みたくても、国内旅行をしている限り、なかなか逃げることはできない。
今日はうりこみにいき、帰ってきたら11月の公演のプロデューサーからチラシの文章の催促。失念していた。
これを翌日の朝までにしあげなければならない。ううむ。

コインブラの主にコンサートなどをプロモートするCultural associationは丘の上の上の上の方にあり、道を何度も何度も聞いてたどり着けばまるで普通の住宅である。おそるおそるベルを鳴らすと、若い男性がでてきて、「あ、そのことは姉がやっているので、ちょっと待って下さい」といわれる。五分ほどしてその人がくれば、オフィスがないのでそこを郵便うけのための住所にしているという。ナルホド。

持ち込みをしたワークショップがトントン拍子に話がすすみ、今月末にリスボンでおこなうことになった。なにごともとりあえず言ってみるものだ。はてコテコテのダンサー達がくることが考えられるワークショップで何をつたえられるだろう?

Friday, September 18, 2009

可能と不可能のあいだで

フリーのアーティストに必要なものは何かというと、やっぱりそれはある種の忍耐力と楽観主義であろうと思う。

基本的に目の前にあるのは、100%不可能に見える状況で、それでもそこに1%か、あるいはもっと少ない可能性を信じて進めるか否かである。世の中で何かが変わるのに時間がかかるように、自分自身が変わるのも時間がかかるし、なんでも一日や一瞬ですべてが変わることは何も無い。よっぽど秀でた才能とコミュニケーション能力がなければ、あとは努力だけである。

そんなことを、またポルトでぼんやり考える。

カフェでトイレにいこうとして、パソコンを抱えたら「誰も盗みやしないんだからそんなの置いていきなさいよ」とお店のお姉さんに怒られる。先週リスボンで本を机に置いてトイレにいっただけで店員に激怒されたのに、何だこの違いは。ポルトでは性善説が成立しえる。

Tuesday, September 15, 2009

バタバタ

バタバタと駆け込むように仕事をこなして週末リスボンから帰ってくる。

もう正直踊ることに関してのモチベーションは極限的におちていって、申し訳ないほど「こなして」やってきた感がある。

なんだかなー、これからどうしようかなー、と思って、これからのことを色々調べるためにドイツの友達にメールをおくったら、向こうも「なんだかなー」的な雰囲気がただようメールだった。有名な振付家Mとの仕事が入ってすごくうれしいけど、なんかずーっと仕事ばっかしててドウナノ的な話。皆同じようなところでボヤーっと悩んでいるんだな。

ともあれ生きていくにはお金が必要なので、10月に何とか少々ドロくさい仕事(内容的にはエキサイティングだけど、いわゆる主催母体がガッシリしていない)の打ち合わせもしてくる。ともあれ何でも出来るといいな。ポルトガルは何でも成立するまでは確かなコトはひとつもない。(だから契約書をちゃんと交わすとか、アーティストは自分の身は自分で守る努力をしなくてはならない)

ポルトも大分冷え込んできた。冬は近い。これからどこへ行くのやら。

Thursday, September 03, 2009

すこしずつ

すこしずつ、調子を取り戻してくる。
しばらく仕事がないので、例によって売り込み。Aveiroの劇場にアポなしでいったらちょうどプロデューサーが通りかかって、話ができた。ポルトガルの人は、とりあえず会って話をしてくれるから優しい。もちろんそれ以上となると簡単ではないけれど。

ルームメイトが大きな公演の前でちょっとピリピリしていて、僕もこんなだから「ま、前を向いているしかないよね」と声をかける。

再来週はリスボンで短いインプロをやる予定だが、スペイン人の友達がその一週間後にリスボンにくるといっていて、DMもらったら同じフェスティバルだった。ハハハ。

Saturday, August 22, 2009

休暇

火曜日にポルトへ無事たどりつく。
限界まで疲れていて、未だ復活のためにヨロヨロしているところ。まず最初はひどいdepressionからで、部屋からなかなかでれず、それから少しずつご飯をつくったり、コーヒーをのみにいったりしてバランスを少しずつ少しずつ整えていく。これは時間がかかる…。とにかく焦らず、ゆっくり出来ることからやっていくしかない。

Miramarにいったらビュービュー風邪がふいていて波がたかく、泳ぐどころか寒いので、ビーチ沿いのカフェでコーヒーのんで帰る。でもキレイだった。

考えてみれば6月のポルトのフェスティバルから(合間合間にチョコチョコ休みはあったけど)ずーっと気を張りっぱなしだった。特に最初のMontemor-o-Novoのグループレジデンスがきつく、無理矢理アイディアをひねりだしつづけ、続いてルーマニア、今月モンテモーロにつけばもう出ないというところをさらに力任せにもうひとひねりで、まるでひからびた干物である。なんだかんだとapplicationもいっぱい書いたしたなー。これから9月にむけて3つ大事なのがまたある。あふ。

時間をつくってRosellee Gordbergの「Performance Art」を読んでいる。とても勉強になるし、現在のダンスやPerformance Artの状況と歴史を比べて色々に思うことができる。

来年のこともそろそろ考えないと。

Sunday, August 16, 2009

ペタンク

今日は一日本当に何もできなかったので、これはあかんと夜になって重い腰をあげたら、なぜか知り合いが庭でペタンクを始めている。「やる?」といわれるから「やらない」ともいえずついつい。あとからまた別の友達が二人加わり、おだやかな土曜日の夜となる。
色々つっこみどころはあるが、しかしこれこそポルトガルに暮らす意味だ。

Friday, August 14, 2009

And life goes on

二週目になってようやく振り付けやテキストが見えてきた感じがする。
これほど「産みの苦しみ」を感じながらのクリエイションは久々、あるいは初めてかもしれない。
端的にいうとモチベーションがあがらない。身体も心も「休まなきゃ」といっているのがわかる。
しかし時間もリソースも限られるのでここで出来るところまではやらなくてはいけない。
プレッシャーをつくるために、一応月曜日にinformal showingをつくってもらう。やっぱり怒られないと。

9月10月にポルトで予定していた仕事がパーになるかどうかというところで、はてこれからどう生きていくかと思案していたら九月に一件小さな仕事が飛び込んでくる。日程的に予算が余ったから呼ぶかという感じか。ギャラも安いがまあ家賃にはなるのでメールが来て10分くらいですぐ返事を返す。有り難や。

今年はアーティスト一本でなんとか頑張り始めた一年目であるけど、それなりにここまで成果をよくあげてきたと思う。
お金はともかく、ペーパー上の経験値はぐっとあがった。
今が辛抱。

でも来週はポルトのビーチでぐだーっとしよう。:) どうせ泳げないし。

Thursday, August 13, 2009

dontdiemyfriendtommy / Mandala Performance Festival in Wroclaw

Some parts of the piece "dontdiemyfriendtommy" is including in this promotional video of the festival.


video

Sunday, August 09, 2009

つばめ

Montemor-o-Novoにきてよかったと思う。驚くほどにここでは一人で、一日中殆ど誰とも会わないが、今まさにそれが必要だと感じる。
時間がある。

夜、トイレ(半屋外)にいくと、鳥の声がする。見上げるとつばめの家族(5羽)が屋根で寝ている。つばめというのは単独で飛んでいるところしかみたことしかなかったので、なるほど夜はちゃんと群れるのかとおどろく。寝ているさまはピクリとも動かず。
この元修道院の建物には、そのほかズタボロの犬が二匹(今日キッチンになま肉を五分ほど放置してライターを探しにいったらもう彼らに食われていた)、それに鳩の群れ、数百羽はいるとも思われる雀の群れも寝ている。

そして空はアホみたいに青い。

カフェにいってBifanaを食べてたら地元のおじさんたちに話しかけられる。「中国人がこんなところにナンタラコウタラ」と意味不明なことを言われるのでとりあえず「まず俺は日本人だ。」といって適当に逃げる。アア ポルトガル語がもっと喋れたらなぁ、九月からまた本腰で勉強しようと思う。

この元修道院にはちゃんとインターネットがあるので、色々ネットで見る。岡田斗司夫が高橋しんの「最終兵器彼女」を解説しているやや昔の映像があって、大学の授業のように面白く聞く。「これはエヴァンゲリオン以降の漫画で、個人の恋愛と戦争という両極端の事象が描かれながら、国家や民族というその中間が全く描かれていない」という指摘は極めて興味深かった。例えばそれはヨーロッパでもエコロジーなどといった「大きな名前」をもった事象が簡単に支持されながら、路傍のホームレスを人々が無視して通り過ぎている姿に重なる。同じ漫画を引き合いに出せば、吾妻ひでおの「失踪日記」はテクニカルにそうした状況、現在社会にいる多くの人々の目線の高さにあわせながら(具体的には受け入れられ易い絵柄を保ちつつ)、現実の社会問題に読者をうまく誘導できているように感じる。では自分に同じことができるのか?これが大きな課題である。

Friday, August 07, 2009

冷夏

朝寒くて目覚める。どう考えても今年は冷夏だ。
もっと灼熱の大地を覚悟してAlentejoまできたのだから、これは嬉しい誤算だ。

けれども午後市民プールにいくも(17時以降に入ると1.20Eurosになる)、水から出たときずいぶん寒い。

水泳は中学を卒業してからまったくやっていないので、はずかしながらほとんど泳げない。
クロールも、平泳ぎも、背泳ぎもまるで忘れていて、なんだかしっくりこない。
ともあれぼんやり水につかっているだけでも楽しい。まわりは夏休みの子供ばかり。

Thursday, August 06, 2009

雑記

疲れると、ネットにもものをあまり書かなくなる。現実世界でも口数がへり、あまり人と会話したくなる。
そんなときにこのMontemor-o-Novoの完全ほったらかし二週間レジデンシーは最高の環境である。

ともあれ、忘れないように色々書いておこう。

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ルーマニアのレジデンシー(Jardin d' Europe Romania)はなんとか無事おわる。

結局困ったのはオーガニゼーション。最初の週にプロジェクターが必要だから来週もってきて、といい、向こうが特に「No.」ともいわないのでくるだろうと思っていたらこない。二週目の始めに「機材がないと進められない、困る、水曜までにもってきてくれ」といって到着したのが日曜日、つまり二週目の最後。それも「新しいプロジェクターだからちゃんと扱ってくれないと困る。テクニシャンがいないところで使わないでくれ」というので、さすがに「これはshowじゃなくてリサーチなんだから、機材使えなくちゃ何も出来ない」というと、渋々まかされる。簡単にいうと、アーティストにとって何が必要で大事か、そういう視点がない。

(用意できないなら、さっさとNoといってくれればそれでプランの変更はできるが、言わない限りオーガニゼーションがもってくる可能性があるのだから、こっち側にもつかわないといけないという責任が発生する。しかしながら使うのはリサーチで、実際に写真や音を集め動画を編集する作業は極めて機材(空間を構成する要素)に依存するのだから、到着がおくれると、こちらは作業時間を無理矢理圧縮して、「なんとかそれらしいもの」をとりあえず作ることになってしまう。これがクォリティーを追求したいアーティストにとってどれだけのフラストレーションとなることか…。)

つまり簡単にいえばオーガニゼーションの経験不足。一緒にいたポルトガル人アーティストにいわせれば、「だから僕らが教育していかなければならいんだよ」ということ。まるでそうだが、三週間もこうした機会に恵まれながら、ただイライラしてばかりで終わってしまったのは実に歯がゆい。

しかしプレゼンでの緑色の石を使った短いインプロはそこそこ印象もよく、これは新作にそのまま使うことになるだろう。

それから食事は極めてモチベーションをおとした。マンマリーガ(とうもろこしのペースト/Mămăligă)とサワークリームだけの夕食というのは、いってみれば日本の醤油かけご飯である。こんなのが週に二回も三回もやってくる。困る。

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CCBでの公演は無事終わる。ともかく日曜日、しかも夏休みで、観客が山のよう。家族連れだらけで子供がうじゃうじゃ。地面を這い回ったり、でっかい門によじのぼったり、カフェのいすをふりまわしたり、庭の噴水に石を投げたり、そういうことをするだけで、やっぱり皆よろこんでくれる。こういうことは簡単なことだけど「アーティストしかやらないこと」で、実際に見ると新鮮な驚きにかわる。

ただダンス的にはもうちょっとテクニカルにせめてよかったと反省。お客の多さに圧倒されて、少々あせってしまったとおもう。

今回のパフォーマンス、日本の状況に照らし合わせるなら、新国立劇場の屋外スペース(そんなのあったか?)でフランス人ダンサーが日曜日に無料インプロ・パフォーマンスといったら理解してもらえるか…。

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そして今Montemor-o-Novoでのレジデンス。今回はO Espaço de Tempo(お城)ではなく、Oficina de Convento(修道院)。
Visual Artistのコミュニティの施設で、2007年に彼らが主催するフェスティバルに呼んでもらってからの縁。

広いスタジオに、初日から必要な機材はすべてそろっている。「何か気をつけることはある?」とダイレクターに聞くと「君は必要十分気をつけているよ」と言われる。

以前も書いたが、僕はコンテンポラリーダンスにおけるマテリアルへのインスタントな姿勢があまり好きでなく、だからこそ、ここのアーティストがとても好きだ。木を彫り、土をこね、鉄を曲げて作品をつくっていく、そういう人々の真ん中にいると背中がシャンとまっすぐになる。

といっても、アレンテージョののんびりとした空気の中で時間をかけて作業をする。ポルトガルのコーヒーはいわずもがな、ここではカキーンと冷えたビールも60centでのめてしまう。煮詰まったらカフェにいけばいい。

ともかく、焦って「それなりのナンカ」をつくるのではなく、まっすぐに自分がやりたいことをしっかりとここで整理したい、それがここならできると今感じている。

Wednesday, July 15, 2009

visualityとダンスと、サッカーと

週明けはなんかとても疲れていたのだが、大分調子がでてくる。こういっては何だけど、やっと作品を作る気分になってきた。

石をスプレーで緑色にぬっていると、ここで働いているおばさんやら、観光客のおじさんやらが興味深げに覗き込んでくる。
野外で振り付けをつくっていると気味悪がってあまり声をかけられないのとは対照的。やっぱりfine art系は理解が及ぶから、支持を得られ易いのだな。

もともと僕は自分でテキストを書いたり、映像を編集しているので、わりとこういう具体的なマテリアルに自分で手を加えていくのには抵抗がないのだけど(一応はセノグラフィーも少しかじった)、ダンス・アーティストでそういう人はあまりいない。
多いのは、ありものの音楽やテキスト、下手すると誰もが知っている古典的な作家、作曲家、ポップ・ミュージシャンの曲などを、ポンッともってきて、それっぽい振り付けをつくって、そのまま発表してしまう(あるいはコラボレーションと称して、ヴィジュアル・アーティストにおんぶにだっこでマテリアルをつくってもらい、さも自分がつくったもののように振る舞う)。ダンスは総合芸術だから、こういう感じでも成立するのだけど、それで「アーティスト」と言うのはどうなんだろう、と僕はあまり好まない。
実際、ヨーロッパや日本のコンテンポラリーダンスがダメになってきたのは、アーティストのこうしたマテリアルに対するインスタントな扱い方にあるのではとうすうす思っている。自分で手を汚して作ったものかどうかは、お客さんに一発で見抜かれる。

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テラスでコーヒーを飲んでいると、3,4人ぐらいの日本人のグループに声をかけられる。こちらのプロフェッショナル・リーグでプレイしていた元フットボール・プレイヤーの方と、ブカレストで日本語教師をされている方々。特にサッカーのことなんて何にも知らないから、日本のプロ・リーグでもプレイされていたという彼の話はとてもためになった。スポーツ選手というのも芸術家と一緒で、仕事があったりなかったりだから、本当に大変なものなのだと、しみじみ感じる。

Monday, July 13, 2009

ルーマニア、二週目

ルーマニアでのレジデンシー、二週目となる。
一週間目は、ポルトガルでの生活に慣れた身体に、質素な東欧の食事を合わせること、その苦難と、オーガニゼーションに対するフラストレーションをどうハンドルしていくか、そういう、大変な一週間だった。うん。

色々思うところはあるが、ここで活動するポルトガル人アーティストがいった、「ルーマニアという小さなコミュニティにおいて、ひとつひとつの文化機関が(その規模に時に不釣り合いなほど)奇妙に力を持ちすぎることがある」という表現は誠に意を得ていて、日本の状況とかぶる。

作品は、「他者」を主眼においた「The Other/I don't know you.」プロジェクトの続きで、とりあえずプラスチックカップの代わりに石に笑顔を描いていくことにした。それはルーマニアの極めて貧しい家々、ブロックだけを積み上げて、外装もない家々のイメージと重なる。あるいは、普段単に足の下に踏み歩き、まるで気にも留めないその存在に「表情(顔)」があるということは、このプロジェクトの根幹にある、資本主義がもたらす疎外の運動への批判的立場を表すことも担っている。

Thursday, July 02, 2009

I will be in Romania this month in July

After 2 weeks intensive group residency in O Espaço de Tempo(Motemor-o-Novo, Portugal), now I am almost leaving for Romania. In the frame work of Jardin'd Europe, and organized by ArtLink, I am invited for 3 weeks residency in Centrul Cultural "Palatele Brancovenesti" in Mogosoaia.
It also brings final presentation as well.

Precisely, I will work on the project "The Other/I don't know you.", but probably with much more different materials.

Ok, my dear, see you in Romania. :)

Wednesday, July 01, 2009

休んでいる暇はあまりない

大変な二週間であったMontemor-o-Novoから月曜日にPortoへ帰還。今後のことはあまりよく分からない。とりあえず例のダンサーは最後の最後でようやくやめてくれた(僕は二日目の段階で「皆の迷惑になるから、やる気がないならやめて」とはっきり申し渡していた)。だったら始めからやめてくれた方が皆迷惑をこうむらず、もっと平和に楽しく仕事が出来たのに。

ドロドロに疲れていたが、休む暇はなく、今日閉め切りのアプリケーションに追われて、今ようやく一息。
スペイン語に全文訳さねばならず、ポルトにすむスペイン人の友人に大きく助けられた。

月曜日にはもうルーマニアで、七月はあと二つ重要なアプリケーションの締め切りがある。簡単にいうと休んでいる暇はあまりない。

Thursday, June 25, 2009

一番高いワイン

Montemor-o-Novoでのレジデンシー、引き続き。
日曜日にInformal Showingをすることになり、みんな少しずつ顔つきが変わる。

僕個人としては来月のルーマニア、また夏以降の作品にむけての素材が色々集まったのでありがたく、それ以上あまり思うところはない。
件のレストランでの食事は「泣きそうになるほど」日々驚きと喜びに満ちていて、正直これでまったく満たされている :)
ちなみにここで出されるテーブルワインはテープルワインというものがどうあるべきかということを体現している極めて美しい味わいがする。
高いワインは豪勢な味がして疲れることがある。

プロジェクトのフルート奏者は以前何かの店を経営していたらしく、彼の唯一の日本人との経験を教えてくれた。観光客であろうその日本人は、彼の店で「一番高いワインを売れ」といい、彼が「一番高くはないがもっといいワインがある」といっても全く譲らず、彼の店に14本しかなかった「一番高いワイン」を数本を買っていったそうである。
資本主義が悪い意味で社会を汚染している日本社会の端的な例だ。同じ日本人として、極めて恥ずかしくなる。

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突然、七月始めのshowがキャンセルされるが、もう何も思わない。ポルトガルに慣れたか、あるいは自分が強くなったか。
ともあれ今はルーマニアの食事が極めて楽しみ :P

Friday, June 19, 2009

草原の真ん中で

Montemor-o-Novoでのレジデンシー。ドイツ人ピアニストの企画で、彼とスペイン人ミュージシャンなどとのコレクティヴ・ワーク。新作かつ自分に演出の決定権がないので何にしても時間がかかり、さすがに忙しい。定められた期間で最大限によいものをだせるか、それが仕事というもの…。

頭痛の種は一人の参加者がまったくのアマチュアで、まず始めは全く仕事にならなかった。現場にきてタバコだけすって帰るというのは、はっきりいって言語同断なので、二日目には夕食の後「あんたがアマチュアでもこれはプロの現場なんだから仕事してもらわな困る」とハッキリ言うが、「私はアマチュアであなたと同じ立場にはたてない。そもそもプロフェッショナルとは何なのか?」などとふざけたことをいいだすので、「そんなことを聞きたいなら今から学校にいって自分の先生に聞け。ここは現場だ。」とさすがに絶叫する。

大変なのは彼女が40代であるということだ。20代後半、プロとして一人立ちしようと僕自身がもがいている状況で、こういう人に向き合うのは正直簡単なことではない。人生は本当に苦難の連続…。

しかしながら、来月のルーマニアのレジデンシーにむけてはいい意味で予行演習になっているとも言える。いつだって100%の理想的な環境などなく、ただその瞬間瞬間にできる限りのことを積み重ねていくほかには、僕たちアーティストが人に求められる作品をつくりあげられることはない。

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しかしMontemor-o-Novoはいつだってその食事に pleasure of lifeを感じる。ここのあるレストランは、それだけでMontemor-o-Novoを訪ねる十分な理由になるほど、激烈になにもかもがおいしい。そしてむちゃくちゃ安い。
(名物店員のおじさんはいつも絶叫早口で今日のメニューを読み上げてくれる:) )

リスボンでアホみたいな値段を払って死んだような食事をし、さらには店員にブスッとにらまれるのと比べると、なんということか。

あるいは8月にレジデンシーをするある施設では、才能豊かなアーティストたちが、素朴に、しかし全くもって先鋭的な作品を黙々とつくっている。その姿勢には、ただアーティストになりたい、言い換えればアーティストという名前がほしいだけで学校へ通う都会の学生たちのいやらしさを忘れさせてくれる。
彼らと友人であることが、僕の喜びでありまた誇りでもある…。


Saturday, June 06, 2009

ヨーロッパ

七月に東欧の某国で仕事がほぼ決まったので、Wikipediaでその国の歴史を少し読む。
80年代に武力による革命があったという話や、その写真は色々なことを思わされるし、アーティストとして責任をもって仕事をしようとシャンとした気持ちにもされる。
ポルトガルも独裁政権が倒されたのは(ポルトガルはカーネーション革命といわれ、武力衝突はおこらなかった)70年代で、ヨーロッパにはこうした歴史の重みが社会のなかにまだ顕在である。

Friday, June 05, 2009

バタバタ

7月も大きい仕事が突然きまり、これでしばらく安泰。ホッとする。

ワークショップも人が少ないことをのぞけば、内容の方は立派。もっと多くのダンサーにこの話を伝えられたらなーとそれだけが残念。やっぱり継続は力というか、2001年からインプロに関しては場数をふんできたので、話すことはいっぱいある。

9月、10月は新作をふくめポルトで舞台にむけて色々と準備。まだ条件がどうなるか不明だけど、これこそが僕がポルトに残ってやりたいことだったから、本当にうれしい。2006年からヨーロッパで死にものぐるいにやってきて、とうとう自分の本領を発揮できる場になると思う。プロデューサーの駆け回りっぷりに頭があがらない。

七月のことでアホみたいに興奮したので、おいしいものを食べたいとCafe Progressoにいく。ほうれん草、ブロッコリー、グリーンピースのキッシュ。クリームもはいっていて、上にチーズをのせてやいている。死ぬほどうまい。もちろん付け合わせの、なんでもないごはんもおいしい。
忙しい時間で、十分も注文をとりにこなかったので、「飯をくいにきたんだ、待つためにきたんじゃないんだ」と従業員に始めおこったけど、おいしいものを食べると気持ちがおちつく。会計のときにその従業員にあやまられたので(これがポルト、リスボンではあやまらないどころか、最後まで横柄な態度をとられたりする)、「大丈夫、大丈夫、おいしかったおいしかった。僕はここがポルトで一番好きだから。」というようなことをしどろもどろと話す。
2007年からたびたびきているが、従業員はまるで変わらない。

Saturday, May 30, 2009

ぼんやり

ポルトへ無事帰るも、少々燃え尽き。ぼんやりしてあまり仕事に手がつかない。
それでも、こうしてぼんやり出来るからこそポルトに住んでいるわけでもあるのだけど。

あ っというまに夏が到来してこちらはすさまじくあつい。すでに30度をたびたびこしている。

来週のワークショップは開催できるぎりぎりの数の参加者がなんとかそろった。
なにせ名前がまだポルトガルでそんなに出ていないのだから、応募者0にならないかすら不安だったけど(もちろんそんな不安を顔に出さずコミュニケーションしてたわけだけど;) )、ちゃんと興味をもってくれた人がいたのだから本当に嬉しい。
それにそのうちの多くが先週のパフォーマンスを見に来てくれた人だった。作品を持って興味をもってくれたのだから、アーティストとしてこれほど嬉しいことはない。ちゃんと支払って頂いたお金にみあったワークショップにしなければならない。でも単純に楽しみだ。

なにより、このワークショップの提案を受け取ってすぐに「じゃあ来月やろうか」と二つ返事で受けてくれたNECには本当に頭があがらない。日本にのこって活動していたら、こんなことが出来ただろうか…。
今はともかく身をけずってでも走り、走って、あれやこれや考え込まずに、ただ出来ることにまっすぐに挑戦していきたい。きっとその後に何かが残るだろうと思う。

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リスボンは今回の忙しい滞在でもはっきりしたけど、やっぱり僕が住むにはつらい。
何がつらいって、カフェやレストランの店員の態度がすさまじくわるい。挨拶をしない、返事をしない、謝らない、お礼をしない、人種差別的な視線をむけるetc。忙しい日々のあいまに、いっぱいのコーヒーを飲むときだけがホッと出来る瞬間だというのに、それがかなわぬところでは息が詰まってしまう。
ポルトの人は(もちろん色んな人がいるけど)、総じて暖かく、礼儀正しく、どこにいっても心地よい。いつか公演の前に急いで初めていったカフェで、カタコトのポルトガル語でパンを二つかったら、おばさんは何も言わずにポテトチップスをおまけしてくれた。「どうもありがとうございます」というと、ニコリともせずに「はいはいまたね」といった感じでかえされる。親切が、あたりまえにあるというのは、やっぱりすごい。

Friday, May 29, 2009

Synchronous Objects, new project of William Forsythe

William Forsythe introduces his new internet dance project.
Seems cool, although what he is doing is different from me.

http://synchronousobjects.osu.edu/

Tuesday, May 26, 2009

なんかもう

2006年からポルトガルで活動を始めて(というより2001年よりアーティストとして活動を始めて)、これまでで一番良い条件の仕事が入る。しかも持ち込みでの仕事だから、嬉しいことこのうえない。

しかしながら、仕事を左から右へとあれやこれやこなしていく日々に終わりが見えず、疲労はかなり限界。打ち合わせのためにリスボンにくると、お金はかかるしストレスはたまるし、うーん。はやくポルトにかえりたいよー。

Monday, May 25, 2009

Improvisation Dance Workshop in Porto/Motemor-o-Novo - June

Improvisation Dance Workshop by Hajime Fujita
"Open Your Body to All The Possibilities"




First of all this atelier focuses on "before the movement". Namely, exploring what we can interpret to the movement, what possibilities of dance actually we are having as of momentum.

The main issue is that, "what we are seeing and what we are NOT seeing?" The atelier starts with opening participants' eyes to our perception. Always the participants would try to remind the possibilities which each of them already has but which he/she is not noticing well. Internal information of our mind, intention, sense, cognition, memory, history, society etc. and outside information of physical shape, rhythm, materiality, human body(existence of the Other) etc. This atelier would guide a pathway to engage and entangle all those information as possibilities of movement.

info/video http://hajifuji.ciao.jp/workshop.html

PORTO
Inscription: 45 euros (36 euro for the friends of NEC)
* Please inscribe until 27th May, hurry!

1, 2, 3, 8, 9, 10 Jun 2009 - 18h-21h
Espaço NEC/Fábrica Social - Rua da Fábrica Social s/n 4000 201 Porto
+351 961424668 / +351 913211428
nec@nec.co.pt
http://www.nec.co.pt

MONTEMOR-O-NOVO
Inscription: 15 euros

16, 17, 18, 19 Jun 2009 - 19h-22h
Centro Juvenil Montemor-o-Novo - Av. Gago Coutinho 58, Montemor-o-Novo
+351 266 898 100(ext. 309)
hajimefujita.official@gmail.com

Tuesday, May 19, 2009

都市からはなれて

Montemor-o-Novoでの一週間の滞在を終え、土曜日にポルトへ戻ってきた。
書ききれないほど多くのことがあった。

都市とは何か、それは常に主たる疑問だった。
草原の真ん中の家に暮らす4才の友人の娘は、「朝よく見る動物は何だ?」という質問に「羊?」と答えた。

多くの人々はおそらく何十年も同じようにくらしていて、それなりに変化もあるのだろうけど、むしろ一日一日の生活をどうするかこそが課題であり、保守的な空気はその土地に極めて調和していた。

人々は優しいが、全くの「異端者」には厳しい。僕は友人の友人であり、ポルトガル語も少しながら喋れる。そうでなければ?

友人に招かれ、小学校の授業で8才の子供たちから色々と日本のことや僕自身のことに質問を受ける。
ブラジルやルーマニア、ギリシャが祖国だと言う子供たち、こんな田舎までも国際的である典型的なヨーロッパの環境ながら、やはり遠く離れた日本は彼らにとっていまだミステリアスなのだ。
さすがに折り紙は彼らにちょっと難しかった。

リスボンでフランス人の友達とフォトセッションをすれば、近所のおじさんや子供たちが話しかけてくる。みんな「面白いものを面白いといえる」から僕はポルトガルの人々が好きなのだ。
(どうして日本はそうでなくなってしまったのだろう?)

そうしてポルトに帰ってくれば、初夏の暑さでキッチンに小バエがわき出している。考えてみれば、我が家にはクモがいない。だからハエがやたらに増える。Montemor-o-Novoでは巨大なクモがいえのすみずみに巣をはっていた。友人は、もちろんまるでそれをそのままにしている。

Wednesday, May 06, 2009

Strangely pretty busy

なんかかんか忙しい という表現がぴったりである。
金曜日にMontemor-o-Novoにむかうので、それまでにポルトでやらねばらならないことをこなさねばならない。
誰か助けてーとさけんでも誰も助けてくれないし、働いた分がすぐにお金になるわけでもない。うーん。

昨日と同じカフェにきたら、昨日もいた同じ友達がいて、バックグランドには昨日と同じくビートルズがかかっていて、思わず苦笑いする。

新しいウェブサイトはもう少しで仕上がる。ずっとオーガナイズされていて、イントロダクションとしては十分。
html/cssの編集の細かさはもとより、短縮した文章を書くのが大変…。

Monday, May 04, 2009

visible/invisible



This is a video installation project, collaborated with Thelma Bonavita(Brazil) in 2007.

Sunday, April 26, 2009

Mandala Festival

Poland、Worclaw(まだ発音できない)、dontdiemyfriendtommyの上演終わる。
よく分からずにきたが、これはダンスではなく、パフォーマンス・フェスティバルであった。
そのプログラムの冒頭にRoselee Goldbergの言葉が引用されているのだから、もう直球。
こういったマーケットがあることをまるで知らず、特にあるドイツ人とのアーティストとの出会いは、今後自分がやっていきたい方向性に少なからず示唆を与えてくれた。

で、作品dontdiemyfriendtommy。
やはり冒頭小便をする場面はこちらの観客にとってはまだまだ刺激が強かったそう。
終わった後のカンファレンスでも、どうしてもそこに質問が及んだので、リアリティ(アクチュアリティといえば良かった…)と結びつけるために、小便のマテリアリティが必要だと説明しておく。
あとは、観客の一人がとうとうと、「私はロンドンに二年すんでいて、当地の社会制度にもくわしいが、イギリスの福祉政策は極めて厚く、のぞまなければホームレスになれないほどだ、あなたはその事情を知っていたのか?」などと作品にあてられた(もちろんそのプロセス自体はありがたいのだけど)、ポイントレスな発言に少々つきあわされる。
僕はいつもボヤボヤ発言する(発言にゆらぎを持たせながら空間に意味を探っていく)のがくせだから、こういうときなかなか困るが、件のドイツ人アーティストがきれいに言いたいことを変わってびしっと喋ってくれたので助かる。「アーティストは政治家ではないのです。」

Tuesday, April 21, 2009

ようやく春らしくなる

昨日からようやくポルトも春らしく暖かくなる。
今日も天気がよく、衣装を買いにぼんやり歩いていたら、何年も使っていた綿のマフラーをどこかで落としてしまう。しまった。

しかしポルトの道は色々とお店があり、こんな日はついフラフラしてしまうものだ。
家具や工具やドアノブや寝具のボロボロの建物につらなった店々のショーウインドウを眺めたり、中をのぞいておじさんたちがたむろしているのをみるとなんだか楽しい。

今週末はポーランドのフェスで、もちろん有り難く楽しみでもあるのだが、やっぱりこの街を離れるのはあまり好かない。
二年ほども放浪をつづけ、やはり一番のストレスは言葉が分からないこと。ここなら片言とはいえポルトガル語で誰とでもコミュニケーションがとれるし、カフェにいったって周りの人が何を喋っているかだいたい分かるから、気をもむこともない。

ポーランド語で分かるのはありがとう(ジンクイア)だけ。思えば2006年以来である。

しかしながら、先日友人とアイリッシュ・パブ(!!)にコーヒーをのみにいったとき、ポルトガルではまだまだマシズムが強いのだととうとうと語られた。女性の一人暮らしが珍しくない日本の話をすると、うらやましそうな目をされた。彼女は三匹の猫と暮らしているそう。

Thursday, March 26, 2009

Gigazine: なぜ路上で生活するホームレスになることを選んだのかという知られざる10の理由

意外かもしれませんが、一時宿泊施設などに入所するよりもホームレスでいる方が安全な場合があるとのこと。というのも、一時宿泊施設を運営しているのはプロフェッショナルではなく、いわゆるボランティアであり、暴力的な行為などに対する処置をすることによって個人の安全を守ってくれるわけではありません。凶悪な犯罪者、麻薬常用者、精神的に不安定な人が同じ部屋を共有して眠る場合、個人の安全は保証されません。それならホームレスとして路上にいる方がまだマシ、というわけです。

Gigazine: なぜ路上で生活するホームレスになることを選んだのかという知られざる10の理由

Saturday, March 21, 2009

ポルトの街はちょうどいい

相変わらずなんだかんだと忙しく、特に来週は二つアプリケーションを仕上げなければいけないので、ピリピリしている。

それでも朝から疲れて歩いていると、道で突然友人にあったりする。カフェで仕事をしていると人に話しかけられたりする。そういう何か、人のつながりがもっと明らかなこの街は、自分で自分を追い込みがちな僕にはとてもちょうどいい。

ポルトの恩師は、ある時忙しそうにしている僕を見て、「何も忙しいことなんてないんだ。もっと前をみなくちゃ。」ととうとうと説教してくれたことがある。人生はまだまだ長いのだ…

Thursday, March 05, 2009

なんか忙しい

ポルトにきてからなんだかんだと忙しい。
結局、仕事がないときって仕事をみつけるために奔走するからもっと忙しくなったりするんだなぁ。

Sunday, March 01, 2009

京都青少年活動センター施設使用有料化反対署名

京都の青少年活動センターが、京都市の財政難を理由に有料化されることが検討されているそうです。
あきらかなことですが、これが実際におこれば現在の京都のダンスシーンは殆ど死にます。おそらくこれから5年10年といった中長期にわたって新しい才能が出てくる(正確にはそうした才能がプロフェッショナルとして成長する)機会を完全に失います。

で、東京の現状を鑑みれば、アマチュアの領域において恵まれた環境をたもってきた京都のダンスシーンが陥没すれば、日本のダンスシーン全体が今後終息していく可能性もあります。

反対署名が、オンラインで出来ます。
http://www.shomei.tv/project-796.html

Sunday, February 01, 2009

How to write a CV

Even work in a shop, bar or restaurant will involve working in a team, providing a quality service to customers, and dealing tactful with complaints. Don't mention the routine, non-people tasks (cleaning the tables) unless you are applying for a casual summer job in a restaurant or similar.

http://www.kent.ac.uk/careers/cv.htm

YES!

Friday, January 30, 2009

Forgiveness

Derrida says:

One cannot, or should not, forgive; there is only forgiveness, if there is any, where there is the unforgiveable. That is to say that forgiveness must announce itself as impossibility itself. It can only be possible in doing the impossible.

-On Cosmopolitanism and Forgiveness, P.32

Wednesday, January 21, 2009

NEVE GORDON: How to Sell "Ethical" Warfare

NEVE GORDON: How to Sell "Ethical" Warfare

One of my students was arrested yesterday and spent the night in a prison cell. R's offence was protesting the Israeli assault on Gaza. He joins over 700 other Israelis who have been detained since the beginning of Israel's ruthless war on Gaza: an estimated 230 of whom are still behind bars. Within the Israeli context, this strategy of quelling protest and stifling resistance is unprecedented, and it is quite disturbing that the international media has failed to comment on it.

Simultaneously, the Israeli media has been towing the government line to such a degree that no criticism of the war has been voiced on any of the three local television stations. Indeed, the situation has become so absurd that reporters and anchors are currently less critical of the war than the military spokespeople. In the absence of any critical analysis, it is not so surprising that 78% of Israelis, or about 98% of all Jewish Israelis, support the war.

Friday, January 16, 2009

京龍館が大変です

以前京都でモダンダンス他を習い、またパフォーマンスを上演させてもらったり、クリエイションのスペースを提供してもらったり、また運営の手伝いもさせてもらっていた、京龍館がちょっと大変なことになっているそう。

www.kyoryukan.com

Institutionとしてオーガニゼーションに色々難しいところもあったりしたのですが、それでもアーティストにとって非常に貴重なスペースでした。

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■News■ 京龍館の移転につきましてのお願い
京龍館は、このところ現テナントの家主と裁判になっていました。一審で京龍館は、テナントの退去及び985万円(約10万ドル)の支払いを命じられました。この判決は全く予期できず、引っ越しについても金銭的にも、また心の準備さえできていませんでした。
京龍館側は控訴し、交渉は現在継続中です。
しかし京龍館は、来年早々に(おそらく1月末)引っ越せざるをえません。
そこで、これらの支払い及び引っ越し費用を捻出するために、どうか皆さまの暖かいご支援をお願いする次第です。

京龍館としては、以下のことを考えています

○12月20日より週末ごとに、イベントとパフォーマンスを行います。
○京龍館Tシャツや、衣装、マスク、作品などを販売します。 
○レッスンやワークショップを開催します。


ご支援をしていただくには、以下のような方法があります。

○イベントのチケット購入し、友達をいっぱい連れて来て下さい。
○京龍館で、グッズ等を買って下さい。
<インターネットでもご購入いただける様準備中です。>
○イベントに出演して(出演者も募集中)、家族や生徒や、ファンを連れて来て下さい。
○京龍館の状況を、いろんな人に話して下さい。
○レッスンやワークショップをとって下さい。
○寄付をして下さい。
○ボランティアとして力を貸してくださる方、そして京龍館を存続して行く為のアイディアをお持ちの方、連絡をいただければ幸いです。


12年の長きにわたり京龍館は、アーティストによる芸術の発表の場として働いてきました。個々人の着想や試作を発表し、才能を培い、アーティスト同士でまたそこに集う人々が交流し共同で何かを作り上げる場として、ここ京都で働いてきました。この12年の間には、いろいろな成功がありました。もちろん難しい問題もありましたが、京龍館はなんとか生き残り、継続してくることができました。
京龍館がこれまでやって来れたのは、主宰のピーター・ゴライトリーの力だけではなく、スタッフやボランティアの努力のお陰であり、またそこに集う人々の支援があったからです。
私たちは京龍館を、手軽に利用できる発表の場、コミュニティ・シアター、オープンステージイベント、芸術やダンスのレッスン及び文化交流の場として、この地域で継続して行きたいと願っています。
京龍館の存続のため、皆さまのご支援が必要です。

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1月17日にチャリティーイベントがあるそうです。

Friday, January 09, 2009

f/f in São Bento da Vitória(Porto, Portugal)



This is from a SKITe/Sweet and Tender 2008 in Porto this summer.

Saturday, January 03, 2009

Speech for today's opening

Feliz Ano Novo!!

I just wrote a text for the speech of my installation's opening event today.
I think this is the most clear and simple text so far which says what I mean in my piece.

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This piece is a discourse about the Other.
I avoid to explain my piece, how it has been developing.
Instead, I try to talk about the Other.

The Other helps me. The Other loves me. The Other hates me. The Other sometimes hurts me.
The Other is always coming from where I do not know. I can not expect anything, even I already know something about or around the Other, that does not mean I know him or her.
I do not know.

The question is, how I can live together with the Other.

While I am talking, hundreds of bombs are exploding in Palestine.
It seems, we can not find a way to live together.

Look his/her face, which always asks us "don't kill me.".
What we can do is just we do "not" kill him/her.
In order to reach there, we have to see his/her face.
Or at least we should be conscious that we can see his/her face.

Needless to say, always there is a difficulty of forgiveness.
There is the unforgiveable, surely.

Even so, I hope we can draw our dream, here and now.