Friday, April 04, 2008

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

ところがここで、日本側のあるメディアのジャーナリストから意外な報告があった。
餃子事件の発生後、天洋食品などにこのメディアは50人の記者を派遣して徹底取材をしたのだがなかなか実態がつかめなかった。だが、彼らはその取材過程の中で、日中の捜査当局にも接触していた。そこで、中国側の28日の捜査当局の発表は突然ではないということがわかったという。捜査協力といいながら、実は日本側の捜査当局は中国側の捜査当局とずっと対立していたというのだ。
例えば、中国が日本側に対して、捜査のために事件を起こした餃子の1つを貸してほしいと依頼されたが、日本側は断った。日本は、農薬が混入したのは中国だと決め付け、その混入経緯を捜査しようとしており、一方、中国側も混入したのは日本だという前提で、その結論ありきでプロセスのみを捜査しようとしていた。
2月28日の中国側の発表の前から、日中間は話し合いではなく激しく対立しており、もの別れ状態だったのだ。従って、これは必ずしも中国が唐突的に反日的な発表をしたわけではないのだという。
確かに、仲たがいでもしなければ、それまで詰めて話し合ってきたものを突然壊して、中国側が独断で発表を行うはずがない。しかし、日中の捜査当局の間で対立していたことは、取材で明らかになっていたわけだが、日本の新聞などではあまり大きく取り上げられなかったのだ。

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この議論の中で最も対立したのが、やはり報道に対する価値観の違いだ。
中国側は、究極の報道の目的は「国益のためになる報道をすることだ」と主張している。これに対して、日本側は、「国益と国民の利益は全く違う」という考え方だ。
第2次世界大戦の時、日本政府は「国益のためになる」と言って、満州事変、日中戦争、太平洋戦を行った。それによって国民はものすごく大きな被害を受け、犠牲になった。これを体験しているので、日本人は国益と国家というものに対して非常にナーバスになっている。「報道の目的が国益なんてとんでもない。報道は国益になろうがなるまいが事実を報道するものだ」と、日本側は主張した。
これに対して中国側は、「中国は戦後独立したわけで、中国の人々はみな、国益=国民益だと非常に素直に考えている。日本と違って国益に対する疑惑や疑問、不信感はないのだ」と述べた。そこはある意味そうなのかもしれない。
日本側は「それは違う。あの文化大革命は何だったのか」と返した。
中国政府は国益のためと言って、数多くの中国人が犠牲になった。西側諸国が報じている情報によると、死者の数は3000万とも7000万とも言われている。これは国民益といえるのか。政府は国益だと思ったかもしれないが、国民はひどく迷惑したはずだ。

-----引用ここまで

中国の問題は非常に複雑で、先日のIHTの記事でもよく分かったけども、政治的のみならず思想的なアプローチも忘れてはならない。彼らの「正義」と西側の「正義」は同義ではなく、いずれも「正義」に基づいて行動しているという点では同義である。(言うまでもなくそれは、チベット問題、あるいは天安門事件における人道的問題を忘れていいという話ではない。大切なことは、現状をよい方向に向かわせるにあたって、他者たる中国人への積極的向かい合いなくして絶対に実現は難しいということも事実であるというところだ。戦争がおこるときは、いつも同じ…。旧ナチスドイツにとって反ユダヤが「正義」であったという事実は、決して見逃してはならないし、そうでなくてイスラエル-パレスチナの問題は理解しようがない。)

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