Sunday, December 31, 2006

Execution of Hussein

This is the 'justice' of US.... But what people are thinking?

from Wikipedea
India: "We had already expressed the hope that the execution would not be carried out. We are disappointed that it has been." – Minister of external affairs Pranab Mukherjee
Japan: "We have acknowledged that the judgment has been made according to due process and pay respect to the legal procedures that the Iraqi government has taken. That said, what is most important in our view is to make this sentence not a new source of conflict but of reconciliation between the Iraqi people."[36] — Foreign Ministry Spokesman Tomohiko Taniguchi
Malaysia: "The international community is not in favour of the hanging and questions the due process that took place. We are surprised that the hanging went ahead notwithstanding. I think there will be repercussions. This is not the answer" - Foreign Minister Syed Hamid Akbar
Thailand: Kitti Wasinondh, a spokesman at the Thai Ministry of Foreign Affairs, said, "We are optimistic that it will not lead to any further violence." Former Thai Foreign Minister Surin Pitsuwan, a Muslim who served under the Democrat Party, said he expected the execution would increase tension in the war on terror because of Saddam's many followers.
South Africa: "South Africa remains convinced that his execution is not the panacea to the current political problems in Iraq, but could fuel violence in an already volatile situation," said Ronnie Mamoepa, the foreign affairs spokesman.
Austria: "Austria has always campaigned against the impunity of people in the highest positions of political responsibility and supports the effort for an effective international penal jurisdiction. At the same time Austria rejects the death penalty as a matter of principle and stands for its worldwide abolition. This applies without exception and cruelty of the committed crime. Saddam Hussein's guilt in oppressing his own people, the assassination of political enemies and innocent civilians is undoubtedly documented. However, Austria's stance against the death penalty also applies in this case." - Austrian Ministry of Foreign Affairs Press Release
France: "France calls upon all Iraqis to look towards the future and work towards reconciliation and national unity. Now more than ever, the objective should be a return to full sovereignty and stability in Iraq. France, which like the rest of its European partners advocates the universal abolition of capital punishment, notes the execution of Saddam Hussein on Saturday. That decision was made by the people and the sovereign authorities of Iraq." — French Foreign Ministry
Germany: "Saddam Hussein was sentenced by an Iraqi court, and this verdict has been executed. We do respect this verdict. However, it is known, that the Federal Government of Germany is against capital punishment. On a day like this, my thoughts are foremost with the many innocent victims of Saddam Hussein. I do wish for the Iraqi people that it will find its way without violence and in peace." — German chancellor Angela Merkel
Netherlands: "It's understandable that Saddam Hussein received the most severe punishment under Iraqi law. Nevertheless, we are opposed to the death penalty, which is inhumane and barbaric; even in Hussein's case, the sentence should not have been carried out." [65]Deputy Prime Minister Gerrit Zalm
Portugal: "The Portuguese Government reaffirms its total opposition to death penalty in all cases and circumstances."
Serbia: "We have seen that the situation in Iraq is chaotic. I am afraid this might cause even worse consequences. Serbia strongly objects to the death penalty. Calls against execution made by non-governmental organization such as Amnesty International should have been accepted"[70]Minister of Justice Zoran Stojković
Switzerland: "Saddam Hussein was a criminal, but the DFA disapproves of his execution. ... Switzerland advocates the abolition of the death penalty in the context of both its multilateral and in its bilateral diplomacy."[72]Federal Department of Foreign Affairs press release
Russia: "Regrettably, repeated calls by representatives of various nations and international organizations to the Iraqi authorities to refrain from capital punishment were not heard. Saddam Hussein's execution can lead to further aggravation of the military and political situation and the growth of ethnic and confessional tensions."[69]Foreign Ministry spokesman Mikhail Kamynin

Saturday, December 30, 2006

心が通う時、ほっとする

韓国人の友人Hにあい、彼女の家にいって食事を作って食べた。例によってそば(今回は人参+白菜)と、鳥とタマネギを甘辛く煮たもの。鶏肉は、もものところで、でも例によって骨はそのまま(おそらくオーブンに入れて焼くことを想定されている)なのでフンとかハンとかいいつく肉をそいで切る。 喜んでくれて良かった。韓国では男性は普通料理をせず、ただデンと構えて待っているそうで、彼女の友人が日本人の彼氏に初めて家に招かれたとき、料理を作ってもらってやたら感動したらしい。

warsawであまりにも人とずっといすぎたせいか、wienに来てしばらくまともに人と向き合って会話してなかったことも相まって、口が過ぎるぐらいあれやこれや話す。ルームメイトが何を言っても理解してくれず、自分の言葉を通じて相手の心に届かないのかと本当に愕然とした思いを感じていたから、自分の考えを喋り、相手が応え、そうして互いの心が通っていく瞬間に本当に嬉しく思う。自分の言葉は死んでいなかった。よかった。ずっと心配していた。

日本ではPerforming Artsを「舞台芸術」と訳している。これは間違いでないのか?という最近の疑問を話す。ヴィジュアルアートにおけるPerformance Artは、まずそれ自体に歴史が在り、またそれとは別にダンスの歴史が在り、後者が前者に対して影響を与えて混濁した状況が存在しているのが現在のコンテンポラリーダンスなのではないか。という話をすると、「私たち(韓国)はヨーロッパを追いかけてヨーロッパの言葉を持ってきたけど、その意味をちゃんと理解していないのではないか」と返される。何となく、それとして、運んできて、よく分かってないのに、分かった振りをして使っている。彼女は例として、「コンタクトインプロヴィゼーションのジャム、とかパートナリングとか、私たちはそれをそのまま(訳さず、同じ音を用いて)使っている。でも誰がその意味を知っているんだろう。」考える(考えだす)ことが大事なのだと同意する。

「でも何処から考えたらいいんだろう」という彼女に、「僕は哲学を勉強していて、でもそれは哲学を学ぶことが大切ということではなくて、ともかくも哲学を学ぶことから、考えること、どうであれ、自分のペース、リズムで、自分なりに考えることが、ともかくも新しい示唆を与え、それ自体はクリエイションとして成立しないけれども、クリエイションをとても助けることになる」と応えたら、「そうか、じゃあ何もやってもいいんだ」と喜ばれる。(こういうずいぶん抽象的な概念を伝えられるようになってきたというのは、少しでも英語を喋るのに慣れてきたんじゃないかなぁ。)

前後するけれども、それから、ともに、自国の若手を育てず、大御所アーティストを海外から呼ぶことに金をつぎ込みまくっている自国の文化政策を嘆く。いくつかの他のアジアの国の方が、たとえそれが「モダンだ、コンテンポラリーでない」とか、どういわれようが、ともかくも自分たちの価値観を提示しようと必死で、それに対してその周りがしっかり支えているのではないか。そちらのほうがいいなぁ、と共にうなずく。

友人は本当に大切だ。友人がいて、彼・彼女が頑張っているから、自分も頑張っていける。何が大事って、やっぱりそれが一番大事だ。ただ偉そうなことを言って、偉そうな態度をして、それに群がる人からえさを与えられて生きてくようには絶対になりたくない。

凄い嬉しい

僕が来たときにはオーディションが終っていた(死ぬほど悔しがった)、ウィーンのスカラーシップに、友人のAが受かっていたと知る。凄い嬉しい!! どこにも友達がいるのっていいなぁ…
僕も頑張らなくちゃ!!

Friday, December 29, 2006

youtubeはやっぱり偉大だなぁ

bruce nauman remake »bouncing in the corner«
これは"parole"の冒頭で使った。
Bruce Nauman - Stamping in the Studio
Bruce Nauman ARTE NAPOLI MADRE

やっぱり60年代/70年代のアートちゃんと勉強しなきゃだめだな。
この前京都に帰った時、先生にヨーロッパの最近の状況を話したら、「なんだそれ、Cageとかの時代に戻っただけじゃん」ていわれて、ははぁ。
(そういえばErwin Wurmをみにいったとき、先生が参加されてたころの京都のDというカンパニーは、本当によく勉強されていたのだな、としみじみ思った。)

メルロ=ポンティからベルクソンへ−言語論の場合−

武蔵大学のwebで清水誠先生の文章がよめるのです。
大学の内部雑誌用の文章なのかしら?
ともかくこういうの公開してくれるのって助かる。
全部よんでないけど、とりあえず2ページ目までから抜き書き(コピペ)。

凄く分かり易い。有り難い。

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こうして「語は意味を持つ」(le mot a un sens) として「持つ」という観点から語について語り、語に内在する一種の力能を認めるならば、物的身体と精神との中間にあって両者を媒介し、主客対立図式を乗り越える立場を得ることができるであろう、とメルロ=ポンティはするのである。

引き続いて彼は、この経験は「閃光のように瞬間的なものであるが」、表現(expression)の実践によって我有化(approprier)することができることと、対象の命名(denomination)はそれの再認(reconnaissance)の後で生じるのではない、命名と再認とは同時に性起するのであり、両者はただ理性的(ratione)に区別されるだけであり、つまり同じ事態であることとを述べている。これらはいずれも事柄が知性直観の問題であることを示している。もっとも、知覚対象の「命名がそれの再認そのものである」とメルロ=ポンティは言うのであるが、これは知覚対象を包摂(subsumer)すべき概念が精神のうちに先在し、それが恣意的に名前と結び付くというのではなく、「語が意味を孕む(porte)」という意味である。

なにゆえに本来的な例が求め難いかと言えば、そのためには初めて言表されるべき言わば正統(autentique)なパロールとそのようなパロールに基づく二次的なパロールとを区別しなければならないからである。というのも、「語が意味を持つ」という命題が当てはまるのは前者のみに限られるからである。換言すれば、通常の経験的言語活動についてこの命題が主張されているのではないのである。ということは、言語論的脱構築の結果として提出されるであろう範疇表の形が、カントの提示した純粋理性のそれと大差ないものになる可能性があるということである。

したがって改めて提出されるであろうその表の資格についての解釈問題を別にすれば、重要な係争点としては、生まれ出ようとする状態(a l'etat naissant)にある未曾有の思想における、言葉と概念との後先関係の問題だけであると言えるのではなかろうか。

新たに生まれる思想の本質とは言うまでもなくそれの意味であるが、その思想の存在とはその言葉なのである。意味が先にあってそれの言葉が考えられるのではない。その言葉はその意味と同時に生まれるのである。言葉と意味との後先関係はどうかと言えば、両者は厳密に同時である。それどころか、言葉のうちに内在する意味、言葉に住み着く(habite)意味においては、言葉が先に立つかのように思われる。その言葉なしにはその意味は少なくとも完成しないのである。それは新しく創造される言葉であるから、新しい意味である。

これによって言われることは言語表現が持っている調子(トーン)とかアクセントとかの理解が、意味の基本的理解の初期的段階であるということである。これらはいずれもベルクソンが感覚=運動的(sensoriel-moteur)と呼んだような、意味の感性的理解が悟性的理解に先行しこれを基礎付けるのでなくてはならないということを言っているのである。それが感性的理解に基礎付けられた悟性的理解であってこそ、或る「言語表現が意味を持つ」ということが起きるのだというのである。この点に関してメルロ=ポンティは、言語表現と音楽や絵画における表現との間に差異を認めないのである。

われわれは音楽において楽器の素音は音楽的意味行為の素材であって音楽的意味と素材としての楽音とはレベルを異にすると言ったばかりであるが、音楽のなかに一度組み込まれた以上は、楽音は単なる素材であることを止め、その音楽の意味と不可分になるのである。音楽的意味が楽音に受肉するからである。絵画においては絵画的意味が絵の具に受肉する。同様に、演劇において役者が入神の演技をする場合には、役者は消えて役が現象することになる。

これらの場合と同様に言語表現においても、記号(signe)を意味作用(signification)が食い尽くすことになる。そして「語が意味を持つ」のはそのときなのである。記号としての語は意味を表象するのでも翻訳するのでもなくそれを現成するのである。即自存在としての語が対自存在化するのである。のだから、意味は語の外に超越的に存在するのではない。語に内在しながらそれに生命を与えるのである。語は意味の即自=対自存在にならねばならないのである。「パロールは思惟の衣服ではなくて、その身体である」と言われる所以である。

やがてバンヴェニストが論証するだろうように、 各国語体系が示す全体論的性格は、各国語体系内における語の能記と所記との有縁性を帰結するのである。したがって、例えばイヌとdogとの等価交換可能性を意味するような普遍的思惟(pensee universelle)は存在しない。またこれの換喩である規約的思惟(pensee conventionnelle)の典型たるアルゴリスム(記数法)は人間不在の自然を表しているが、これとても言語活動を通じて人間に関わる限り、すでに絶対的な意味では規約的ではないのである。「こうして厳密に言えば、規約的記号は存在しないのである。」

これらの諸言明が明示して余りあるように、『知覚の現象学』時期のメルロ=ポンティ言語論にはソシュール記号論の影響は皆無である。ソシュールの思想とのそれの関わりについては、『シーニュ』以降のテクストについて見なければならぬであろう。

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デリダが死んだのは2004年だったことを思い出しました。昨日のことのようで、もう2年もたつのです。

単語の暗記

に便利なソフト、いつのまにかver.あがってて使い易くなっている。
ProVoc

語彙ファイルは、Schuljahr 5というのが、ドイツ語初心者むきっぽい。多少は出来ないとあきるし。勉強頑張ろ。

Thursday, December 28, 2006

Erwin Wurm展

ついにいきました。MQ
よかったというか、勉強になった。やっぱりものの可塑性(記号としても)について、凄い遊んでいて、またその可塑性自体をちゃんと分かり易く提示しているところとか、大御所のアーティストの仕事ってやっぱりしっかりしてる。太った家のオブジェの中に入ると、3Dエフェクトかけてアニメーション化されたその家が、「私は家か、家なのだろうか。家であれば外に在るべきだ。何かをまもるべきだ。いや、アートなのだろうか。アートだ。建築家によって、あるいはアーティストによってつくられたアートだ。」みたいにひたすら自問自答する映像が流されている。これは、「ものに語りかけられる」という現象学的なアプローチをすごいわかり易くヴィジュアル化しているように感じた。差異(太っている)によって、ものに絡みとられていく。すごいなぁ勉強になる。
でもヴィジュアルアーティストの仕事をみるとやっぱり、眼の見えない人にはどうアプローチできるのだろう、と、当たり前のことなんだけど、どうしても頭に引っかかりつつ見ることになる。
同時にやっていたPop Art and Conceptual Artは、もともとそんなに好きでもないので、まあウォーホルとかラウシェンバーグの作品とか、生では見たことあまりないからヘーとか言う感じで一応みただけ。でもJohn Cageの講義(Lecture on Nothing)とか、オブジェま(Not Wanting to Say Anything about Marcel2)であって、へーCageってこんなこともしてたんだなーと。だけどコンセプチュアルアートの類いは、もうひたすら文章ばっかりで、これってあまり見る人にむきあってないような印象で、楽しめなかった。
Bruce Naumanの作品が夏に来たときはあったので、まだないかなぁと思ったけど、なかった。残念。Naumanの資料を探したい。

今日もcafe blueorange。明らかにすいている。コーヒーまずいからだろうな。でも店員のお姉さんがいつも優しい。ホッとする。

Wednesday, December 27, 2006

やっぱり人の暖かさっていいよね

コーヒーはまずいけど店員が優しくてネット使えるカフェ。やっぱ人の温かさって落ち着く。クリスマス休暇のせいで、2日間そとにあそびにこれなかったから、息付ける。
ペンパル応募はさらに2通きて、あまりの効果に驚く。でも授業無いときにドイツ語を読む機会を与えられるのは、本当に励みになり助かる。のんびりマイペースで続けよう。

と思ってたらまた一通きた。もういい加減無理だ。4人で限界。ごめんなさい。

danceWEBレポートの前書き(みたいな)

これをレポートの前にのせます。英訳して、オフィスにわたすレポートにもします。

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 5週間という集中プログラムで、私は何を学んだのか。様々なワークショップで教えられた多種多様なダンステクニック/スタイル?ヨーロッパで現在大変人気のある様々なアーティストのパフォーマンスを見ることによって知った、これからの現代パフォーミングアートの可能性?もちろんそれもあります。けれども、僕が第一に挙げたいことは、2006年の夏、ウィーンで出会った全ての人々から教わった、暖かな心のあり方だろうと思います。
 5週間のプログラムで、64人の参加者は、STUDENTHAUS(シュトゥーデントハオス)という学生用集合住宅で共同生活を行いました。2棟の建物の各フロアに8部屋、2部屋ごとにシャワーとトイレを共有し、概ね一人で一部屋を使用。但し例年より増加した参加者のため、一部では二人で一部屋のところもありました。キッチンは一フロアで一つ。(贅を尽くしたホテルのようではありませんが、京都の学生アパートになれた自分にとっては部屋の広さも設備もとても素晴らしく思われました。)
 そこで毎日、僕は、隣部屋や同フロアの友人と話したり、或は屋上で酒を買わしたり、一ヶ月間そこでの「暮らし」をともに楽しみました。こうしたアコモデーションや、ワークショップの会場、パフォーマンスの行われた劇場などにおいて、僕らはいつでも、プログラムについて、或はワークショップ、パフォーマンスについて、感想や意見を述べ合ったり、お互いの芸術のバックグラウンドや、各々の国のアートシーンについてなど、屈託のない会話をしていました。
 20代前半から30代前半までの参加者は、それぞれ異なった経験を持ち、そのおかれている経済的状況(ダンスで既に食べているのか、いないのか、またどうやって)や社会状況(どういった評価を受けているのか、また各々の国の政治・芸術状況からどのような視線を浴びているのかなど)も様々であるということ。皆との会話の中で僕はそれをゆっくりと知っていきました。しかし、こうした会話の中には、相手をそうした、いわば「ラベル」のようなものによって、蔑んだり、変に褒めたたえたりするような態度は決して露になることはありませんでした。
 私たちがワークショップに参加するとき、私たちは自分で自分のレベルを推し量って、クラスに付帯するBASIC(基礎)、INTERMEDIATE(中級)、ADVANCE(上級)、OPEN(オープン、どのようなレベルの人も)といった難易度も選ばねばなりませんでした。あるいは、コーチングプロジェクトと呼ばれる振付家・アーティストとの1〜2週間に渡るより集中的なプログラムに参加するには、プログラムの参加者のみならず、他の公募されたダンサーも含め、希望者が事前に先行され、当然落選する場合も少なくありません。これらは、より明らかに互いの違いを見分けられる「ラベル」といえます。こうして、さらに分かり易い「ラベル」が各自に与えられたもかかわらず、それでも、そうしたことを基に優劣をつけているような意識は、互いの会話で一度も感じられませんでした。
 僕がこうしたことを強調することが、とても恥ずかしいことだと言うことは、もちろんよく分かります。こうしたことに気付く時点で、僕の中に、こうした「分かり易い違い」を基にした差別意識が少しでもあるということだからです。しかし僕にとっては、幼い頃から「勉強」することを良しとする価値観を与えられ、先頭に立つように追い立てられてきたことから、自分が今何処にいるのか、そういった自己中心的な発想を断ち切るのは、なかなか容易ではありません(これは少なくとも日本で「学校」というシステムを通過してきた人であれば、いくらかは理解出来るであろうと思います)。ですから、ウィーンでの皆との会話において、いつもその底に流れる「相手へのリスペクト(敬意)」には驚きさえ覚えました。
 そして私はこうしたリスペクトを、参加者のみならず、プログラムやフェスティバルのスタッフ、またプログラムのアーティスティックコーチの二人からも感じることが出来ました。コーチのマチルダ・モニエのことは本当に忘れられません。彼女のキャリアは、既に私たちよりも格段に評価されていますが、彼女はそれを鼻にかけるようなことはせず、私たちに対していつも正面から向き合ってくれました。言い換えれば、何か「教えを諭す」ように上から下に伝えるのではなく、彼女はいつも同じ視線の高さを持っていました。ある時「サロン」と読んでいた私たちのミーティングで、そのために使用する部屋が、他のダンサーのリハーサルで使われていて、時間になってもなかなか入ることが出来ませんでした。私が来た時彼女は廊下に参加者の数人と円になっていて、まさに車座のように皆と親しげに話をしていました。とても印象的な風景でした。
 あるいはプログラム及びフェスティバルのダイレクターは、あるサロンで、「これだけ踊らないダンスが舞台上で山ほど上演されているのに、ワークショップではまるでフィジカルなことをさせるのか。」という手厳しい質問に対して、「私たちもそうした状況は理解している。しかし、私は今の状況はこれからまだ変わっていくだろうと思っている。」とやはり私たちと同じ目線に立って返事をしてくれました。(しばしば日本ではこうした状況で同様の立場の人は、まず組織としての体面に即した発言をすることがあるように思われます。ここでダイレクターは、参加者個人の意見に対して、彼個人の意見で返事をしていたことに、私は驚きと心地よさを感じました。)
 挙げだしてはきりがないほど、様々なことがありましたが、繰り返して言えば、常に私はウィーンでの人々との会話で、その底に、「相手へのリスペクト(敬意)」を感じました。この「相手へのリスペクト」は、他者の「可能性」に対しての積極的な姿勢と読み替えることができると思います。様々な分かり易い「ラベル」に表彰されている何か、例えば地位や技術、経済的状況、国籍、人種、母国語と言ったもので指し示されている何か、を超えて、自信の認識に含まれない何かが他者の存在にあるかもしれない。そうした可能性(現在においても未来においても)への積極的立場。つまり、他者へ開かれた心(オープンマインド)の有り様です。
 プログラムがまさに終ろうとしている時、イスラエルから来ていた一人のダンサーがとても印象的なスピーチをしてくれました。彼は、イスラエルで大変有名なカンパニーで働いていた経歴を持ち、大変素晴らしいテクニックを持った優秀なダンサーでした。
 「正直、僕はプログラムの始め、大変失望しました。なぜなら、(クラスが)上級と言っているのに、期待していたようなレベルではなかったからです。けれども、時間が経つにつれて見方を変えていきました。皆とともにいる中で、そこでともに楽しむこと、喜びを知ることに気付いていきました。それは(このプログラムの)人々のおかげです。」
 他者のことを容易に「分からない」故に、他者を消極的に捉えること(差別)はとても悲しく思います。元々他者は私ではなく(私は他者との縺れ合いであり、運動であり、他者に住むが、他者にとどまることは出来ない。持続によって。)、共通の手がかりが多かろうが少なかろうが「分かる」ことは出来ません。いずれにせよ他者の志向に近づくことは、時間がかかり、それが長いか短いかだけの違いなのです。しかし他者が私でないということは同時に、他者が常に私の認識を超えた可能性を豊かに持っていることを指し示しています。ですから、他者への志向に近づく道のりに途方に暮れ、門を閉めてしまうことは、他者への可能性を見失い、自己の認識に隠れ込んでしまうことです。いわば自慰行為です。しかし、長い道のりを行くことよりも門を閉める、つまり自己の現在位置周辺から大きく離れるという行為よりも留まることの方が、より容易である故に、そうした行為(差別)が世の中に少なくないことは事実です。
 ウィーンでのプログラムが終わり、その後フランス、ポルトガル、ベルギーと渡った後、僕はオランダ、アムステルダムへ歩みを進めました。そこで、先のイスラエル人の友人と再会することになりました。彼はたまたま立ち寄ったオランダで、偶然キャストが降りたプロジェクトのオーディションに参加することになり、見事代役として仕事を得て、パフォーマンスに出演していました。パフォーマンスの後、滞在させてもらっていた友人(彼も同じプログラムに参加していました)とご飯を一緒に食べようと誘い、後日夕餉をともにしました。仕事を手にした彼と、あても無く放浪している僕が、2か月ぶりに再会した時、それでも僕らは、そんなことを気にせず、ただ友人に再会出来たことを喜び合いました。
 danceWEBで出会った人々の姿勢は、決して私たちの間に「分かり易い違い」があろうとも、つまり互いの理解への道のりが長くなることが予想されようとも、その始まりに於いて、ともかくも門を開けること、「相手へのリスペクト」を持ち、暖かさ、積極性を他者への向かい合いの底に満たそうとすること。それは実際のところ(とても悲しいことではありますが)貴重な、まるで豊かな心の有り様です。そしてその姿勢は、私が彼・彼女たちとの会話で行えたように、向かい合う相手にもそうした心の有り様を促すものです。つまりこうした姿勢は、お互いを助け、豊かな心持ちで共に暮らし得る可能性をより多くもたらしてくれると思うのです。
 danceWEBは、これからプロフェッショナルな道のりを歩み始めるアーティストに対して最初の一歩を与えることを重要な理念としています。しかしプログラムを通じて教えられたその一歩は、よく考えられるような、盤石なテクニックでも、アーティストとしてセルフプロデュースしていくためのビジネス精神と言ったものでもありませんでした。世の中には色んな人がいるということ。色んな生き方、色んな境遇、いろいろな哲学…。そうした違いを当然と思い、そこに暖かさを持って思うことによって、共に生きていこうとすること。それが、社会に在り、社会との関係によって初めて成立し得る「芸術」を作り続けていく、プロフェッショナルアーティストには必ず必要である。danceWEBは、私たちが仕事する上で最も大切で、忘れてはならないことを教えてくれました。

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もうちょっと修正するかもしれませんが、ようやくほぼ書き上がりました。

Monday, December 25, 2006

あまり人ごとではないなぁ。


京都にこしてからは僕もアルバイト斡旋所や派遣をつかったりしてたけれども、基本的に回ってくるのは単純労働だけ。労働条件は何処もひどく、自由を謳歌するようなフリーターなんてどこにもいない。トントンと大学いって、大学からすぐ就職していった人が世の中を殆ど動かしてるような社会で、こういう人たちのことって、想像されることも出来ないんだろうなぁ。人ごとでない。

Sunday, December 24, 2006

メルロ・ポンティ「哲学をたたえて」

去年か一昨年に「眼と精神」を古本屋で1500円で買って、「人間の科学と現象学」は読み終えて、今年に入ってから「哲学をたたえて」を。例によって爆裂遅い。半ばくらいまで読んだ。面白いところ自分のために抜き書き。

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p.199
 哲学者が哲学者として認められるのは、<明証性>にたいする眼と、<両義性>にたいする感覚とを不可分に合わせ持つことによってです。最も、彼が両義性を受動的に受け取るだけであれば、その両義性は<あいまい>と呼ばれます。しかし、最も偉大な人たちにあっては、両義性は主題となるのであり、確実性を脅かすどころか、その確率に寄与します。…つまり、彼らはこの絶対知ではなく、我々のうちにおける絶対知の生成について教えてきたのであり、またキルケゴールが言っておりますように、絶対者ではなく、せいぜいのところ、絶対者に対するわれわれの関係の絶対性について教えてきたのです。哲学者をして哲学者たらしめるゆえんのもの、それは、絶えず知から無知へ、無知から知へと送り返す運動であり、またこの運動の中での一種の静止です。

p.212
全ての哲学者や画家が、他人によって自分の作品と呼ばれるものを、常にこれから完成されようとしている作品の下絵にすぎないと考えるものだということは、全く本当のことです。けれどもそのことは、完成した作品が彼らの手前のどこかに実在しているということを証明するわけでもなければ、またその作品に達するには覆いをとりさえすればよいということを証明するわけでもありません。
 …すなわち、ある哲学の秘密と核心は、その誕生以前のインスピレーションの中にあるのではない。作品が進行するにつれて核心自身も移動するのであって、作品とは、おのれ自身と合致したり対立しながらおのれを構成していく<生成する意味>なのだ。従って哲学も、必然的に(哲学的)歴史となる、つまり部分的解答が出てくるたびに当初の問題も変形していくような<問題と解答の取引>となるのである。

p.222
 ところで、われわれが<表現>と呼んでいるものは、ベルグソンが絶えずそこに帰ろうとした現象、つまり<真なるものの遡行的効果>であるような現象を別なふうに言い表したものにすぎません。…<考える>ということ、言い換えればある観念を真であると考えるということは、過去についていわば一種の奪還権を主張するということ、或は過去を現在の先取として扱うということ、少なくとも過去と現在とを同一世界に位置させるということを意味します。私が感覚的世界について述べている内容は、感覚的世界の<中に>あるわけではないが、しかし感覚的世界が言わんとしていることを言い表すという以外の意味を持つものでもありません。つまり<表現>というものは、おのれの日付を過去に遡らせ、あたかも<存在>がその表現に向かって進んでいたかのように仮定するところに成り立つのです。

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「この運動の中での一種の静止です。」とか、凄い日本語としてきれいで、訳者の滝浦さんがどれだけ苦労されたろうかと思う。

Saturday, December 23, 2006

クリスマス休暇前

で、近くのZielpunktが野菜50%off(じゃがいもと玉葱は違うと言ってた)。人参1kg、白菜大1つ、ハーフリッタービール2本、板チョコ1枚買って2.33euro(¥400弱)だった。すごい。

夏のスタッフとあってコーヒーを飲みにいくつもりだったが、待ち合わせ場所に現れず。がーん。こういう時携帯が無いと不便。しょうがないので本屋で買い物して帰る。
Camera Austriaという雑誌と、Thames & Hudson, world of artシリーズの「Performance Art」。日本だとPerforming Art=舞台芸術になってしまうけど、副題のFrom Futurism to the Presentの通り、シュールレアリスムとか、その辺から、Live Performanceにまつわるアートを一通り見ながら最近の舞台芸術にも触れていくみたいな流れみたい(まだ読んでない)。今日の状況をかんがみれば妥当。暇見てお勉強しよう。

ドイツ語の勉強がすすむよう、ペンパル募集サイトに超軟派な英語で自己紹介書いたら速攻2通ドイツ人からメール。いいのか?

Thursday, December 21, 2006

おばあちゃんと電話した

久しぶりにおばあちゃんと電話した。大変だろうけど、今出来ることを頑張りなさいと励まされる。上を向く気分になる。
せっかく勉強してきたのだから、使わなくては意味が無いので、勇気を出してパン屋にいったりカフェにいったりしてドイツ語を喋ったり聴いたり。時間はかかるけど、気後れしていたらいつまでたっても喋れない。
ナッシュマルクトのそばの、日本でいったらドトールみたいな大衆的ででも不潔というほどでもないカフェ。たまにはこういうところも気楽。仕事仕事。

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そして3週間のドイツ語授業は今日で終了。おそらく1歳くらいの子供とは同等なレベルまで来たんじゃない?悩んだけど、来月もクラスをとることにした。通常1ヶ月受講なので、2週間しかとらないのはイレギュラーだから交渉して、いいといってくれたけど、授業料は半額にならず、3/4。うーん。でも先生優しいし頑張ろう。

Karlsplatzのクリスマスマルクトが人一杯だった。

Monday, December 18, 2006

高木正勝さんのAir's Noteをぼんやりきく

一年が終わろうとする時って、いつも色んな不安に駆られる。いったい一年で何が出来たのか、絶対に満足なんて出来なくて、来年はもっともっと頑張らねばって思うんだけど、結局ダラけがちな自分もいて、(無理しすぎると逆に鬱っぽくなるし)葛藤する。
学校から帰ってきて"Air's Note"を聴く。ぼんやりする。たしか3年か4年前に高木さんの音楽を東京で初めて聴いた時(ライヴではなくて、ただレコードがかかっていた)、すーっと肩の力が抜けるような感じがした。それまではとにかく作品を作らなくちゃーとか焦っていて、自分が本当に現したいことがどういうものなのか、ちゃんと探ることもないままただ突っ走っていた。それが、高木さんの音楽を聴いて、ああこういうことがやりたかったんだ、と取り戻して、どうしたらそこに近づけるか、格闘しながら「これが私の優しさです」をつくった。
もし彼の音楽に出会っていなかったら、もっとどうしようもない作品を作り続けていたかもしれない。
ぼんやり。

Sunday, December 17, 2006

ぼんやりする時間

ゴロゴロしてばかりいてもいけないので、cafeにいってコーヒー飲みながら仕事。まだまだ店員の言ってることがよくわからない。悔しい。
友人Pが春前に何かやらないかと言ってくれてた件、さすがに帰りたいし帰らないとお金なくなるので、でも彼の作品は凄く興味があるので、「夏のプロジェクトが終った後どう?」などと自分勝手なアイディアを取りあえず送ってみる。どうなるかしらない。後書かなくてはならない書類のテキストをたったか書いて友人Gに送り、これも返事を待つことにする。レポートもぼちぼち進む。外に出ればこんだけ進むのに何故家では何も出来ないのか。困ったものだ。金もかかるし勘弁してほしい。
帰ってご飯と肉じゃがをつくろうと突然思い立って作る。おいしかったけど、締めにマーガごはんつくったらバカうまくてがっつく。カレーもそうだけど、貧乏暮らしが長い分、むしろこういうしょうもないものの味の方が身体に染み付いていて、突然懐かしくなったりする。

2006, about to leaving this year...

talking with my friend in Kyoto, sometime i was encouraged...yeah... reminded my friend in amsterdam talked to me, "what is the problem? you did so many things this year, aren't you?" i think that's true. i can not think i got so many concrete things, like awards or something like that, but anyway i "knew" or "learned" so many things according to visiting not few cities. for now, that does not work obviously, but this year is like investment for my future. i knew so many nice people, had a lot of friends! that connection will work slowly in not so far future. i hope, or must be....

Saturday, December 16, 2006

人が一杯

土曜日なので授業がなく、街に出てみた。といっても知っているところをうろうろ。土曜日で何処もわんさか人が出ている。クリスマスが近いせいもあるのだろう。マリーヒルファーは警官が随分出ていた。コーヒーを飲もうと思って知っているカフェをいってみるが、まるで人が一杯。大分歩いて夏に何度かいっていたカフェでようやく。wienはコーヒーはあまり安くない。2euroはとられる。フランス圏の方が確実に安い。食べ物は安いのだから不思議。

Thursday, December 14, 2006

頑張ってドイツ語を話してみる

買い物をするときとか、ちょっとした会話が聞き取れるようになってきた。頑張って(つい英語が出そうになるのを押さえて)、"Ja, bitte."とか"Keine"とか、かたことでも喋ってみる。語学留学なんて想像してみたことも(今も語学留学なんてわけではないけど)なかったけど、なるほど、現地で学ぶというのは確かに覚えるのに有利だな。

夏のレポートのテーマをやっと思いつく。"Possibilities / OPEN MIND"か、"Possibilities : OPEN MIND"か。ルームメイトと理解し合うのに苦労して(お互いどうもあまり知らない人とそんなに話すのが上手でないようで…)、そういうなかで、dancewebのコミュニティが教えてくれた、他者の可能性をそっくりポジティブに受け止めようとしていく、そういう雰囲気の素晴らしさに、改めて気付かされたのだ。日本語のレポートは、それに旅での具体的な出来事を付記するような感じにしたらいいと思う。年末は暇なので、なんとか仕上げたい。

Wednesday, December 13, 2006

死にそうになる

信号待ちで停車。青信号になったら、前の白いバン(結構でかい)が左ランプを点滅させたので、てっきり左折するかとおもったら急にバックしてきて、咄嗟に向きをかえられず、下敷きになりそうになる。いそいで自転車すてて逃げる。後続のドライバーがでかいクラクションをならして、バンのドライバーに知らせてやっと停車。奇跡的に無事。自転車(友達の…)も無傷。駐車しようとしてたみたい。もっとちゃんと確認しろよ…。ヨーロッパは自転車は車道を走らなくてはいけないので、怖いからともかく注意深くしている(トラブったらドイツ語できないので、対応しきれないということも想定している)けれども、やっぱり怖い。

でも運転手が"Alles klur?"と聞いてきて(若いお兄ちゃんだった)、"Ja, alles klur. Kein problem."と喋ったのが、たぶん初めて今回のドイツ語が学習が役立った瞬間だった。

Tuesday, December 12, 2006

先生は無事復帰された、やれやれ

ドイツ語の先生は無事復帰された。やれやれ。隣の女の子は先生が入ってきたら、「Gut!」とかつぶやいてきたので予習をしながら笑顔でうなずき返す。 なんでこの先生がいい先生かなーと考えたら、生徒が「出来ること」(もちろん「出来ないこと」でも)ではなくて、「出来そうなこと」(能力をちょっと超えるぐらい)を狙って授業展開しているからだと思う。これはダンスの先生も一緒で、日本のバレエ教室の基礎クラスとか分かり易いけど、ひたすら簡単なことばかりやられても、「その先」に進めない。
というわけで僕の全く知らない単語ばかり使って話してくる先生の質問はいつも分からず、困った顔をしているともっと困った顔を返されてしまったりする。うーん、頑張ろう。というかヒアリングはずっと書くことより難しいです…。

安いwebcamを買って、でもmaccamのwebサイトに「supported」とあるので信用してつないでみたら、うつることはうつるけど世界が全て黄色。黄色のままskypeで友達につないだら、「でも黄色が合ってる」と言われて何も返せない。

Monday, December 11, 2006

Inakiは今回わりに楽しめる

Wienというのはなんだか凄い。Inakiのクラス、今日は7人しかきてなかった。ありえない。ブリュッセルだったらものすごい数のダンサーでひしめいてしまう。僕にとっては本当に有り難い。フロアへの入り方が大分身体で理解出来てきて、いろいろな運動が楽しくなってくる。
夏はあまりにも人が多くて怖い怖いとばかり思ってたけど、Inakiは確かにいい先生で、今日は後半少し体調を崩してしまったので外から見ていたら、よくダンサーの動きを見ていて、ダメなところは必死に(これが怖いのだけど:-))説明するし、頑張っていて出来れば、ちゃんと褒める。

TQでそのまま勉強してたら友人Mに会う。次回作の構想を聞かされて、あまりにも面白く、自分も頑張らねばと思う。

ドイツ語学校にいったら病欠だかなんだか分かんないけど、いつもの先生でなくて、ただひたすら教科書だけを追っていく死ぬほどつまらない授業展開。となりのイスラム系の女の子に「悪い授業」と途中つぶやかれ苦笑いを返し、授業が終ったら「よくない先生」とあまり小さくない声を発して帰っていった。うーん。確か肉屋のトルコ人のおじさんも、僕が眠そうにしてたら、「お金払ってるけどねー」みたいなことをいわれる。明日は前の先生が復活していることを心より祈る。

Sunday, December 10, 2006

what am i doing here? ...i do not know...

what am i doing here, in vienna? actually also for me, it is not sure. i am still traveling... yeah i am exploring, what is my best idea for my life? i don't know... i was talking with my most important friend in japan via skype for a long time on this weekend. i was just chating, but i was really satisfied with this. i think, yeah that is enough for me, honestly. living with sweet people and having fun anytime... but it is not easy to get that, right? struggling on my way here, now without clear goal... just only clear thing is that i need a time. time for fighting with the real world. in economic, in social, in politic... this time is surely necessary. don't you think?
however, also surely, NOW i am fighting and this is not so easily, TOUGH. hope to live all of people together with love in the closing future... i am ok...;)

NY Times:Nobel Winner Warns of Dangers of Globalization

Saturday, December 09, 2006

but then? we have to go...

TQ, Open Lab "Only Words" by Martine Pisani(France)
with André Guedes(Portugal), Michikazu Matsune(Japan/Austria), Martin Nachbar(D?), Martine Pisani(France), Oleg Soulimenko(Russia/Austria), Gerhild Steinbuch(Austria)

テーブル上に裏返しにされた紙片が数枚ある。一枚とり、そこにかかれたタイトルの「作品」を説明する。あたかもそれぞれのアーティストが過去にやったように言うけれども、どれも架空の作品。
自分のアートワークに対する疑問を一行書き、2分間沈黙する。そしてさらに思いついた自分への質問を書いていく。それを繰り返していく。
こうした、「言葉」を用いた様々なリサーチ。9日間やっていたそうで。
言葉が、言語体系や、言葉を発するという行為(生成の瞬間)など、色々なことが絡み付きこういうのはとても興味深い。

最後に見にきた人から質問。"What do you bring back to your production?"と質問されたMartineは、"hmmmm... different ways? or just meeting people... it is difficult to people because everybody so busy.."云々"We can say 'yes' or 'no' easily. But then? We have to go..." ここで「何が」見つかったかを問いかける観客に対して、そうした明瞭性を求める行為に対して逆に問いかける。いや僕もMartineの考え方にすんなり賛同する。

こういうリサーチをさせるTQは本当に希有な施設であると思う。これだけの規模でこんなことをさせている場所が日本にあるだろうか?いやヨーロッパにだって珍しいだろうと思う。

Friday, December 08, 2006

"parole"についての雑誌記載

"parole"について演劇人22号において稲倉達さんが記載してくださった記述を転載させていただきました。こちらでご覧頂けます。トップページからのリンク方法思案中…。

ドロドロの休暇

考えてみたらずっと休暇がなかった。

日本ではずっとアプリケーションの作業に追われてしまっていたし、徹夜でそれを書き上げてからそのまま飛行機に乗りワルソーへ行き、翌日から8日間朝から晩まで休みなしのスケジュールをこなし、最終日にミーティングと最後のパーティー(この時点で死亡していて、"Are you stressed up? I feel that on your body."と友達にいわれる。-sure.)のあとPKS Warsawaから14時間のバスを乗ってWienへ。到着日の翌日から朝のクラスと午後のドイツ語の授業をうけていた。(月曜と昨日はさすがに朝のクラスはスキップしていたけど)

実に3週間ほど、予定のない日がなかった。それは疲れる。精神状態はドロドロで、身体もボロボロ。尾を引いてた風邪が悪化し、昨日は発熱してダウン。

でもついに休暇がやってきた(なんだか分からないけど、今日はオーストリアのナショナル・ホリデー)。

今日は朝から何もしないように心がけ、だらだらwebをみたり、2時間近くかそれ以上か、日本の友達とskypeでダベり続けたりする。近くのZehlpunktにいってチョコレートを買って、食べだしたらなかなか止まらない。疲れたときになる軽度の過食傾向。ドロドロ。でもどうにかどうにか。

夜になったら少し落ち着いて今Gouldをかけてきいてみたりする。風邪は大分良くなってきた。

wienにこれてよかった。ともかく、今は自分の家があり、この街は波長が合う。何というか、オーストリア人というのは、ほどよく真面目で、たとえばそれはラテン系の友人などにいわせてみれば厳しすぎると感じるそうなのだが、日本人ほどの厳格さは無く、僕にとっては心地のいい印象がある。寒いけれども、天気は晴れ間がそれなりに見え、青空を見るとホッとする。

それに何より、どうしても困ったときに頼れる友達が、ここには何人かいる。

今すぐにここで仕事を見つけることはとても難しいことなのかもしれないけれど、例えば3〜
4年のうちにこの街にこして来れることが出来たなら、それはとても幸いだと思う。

そのために仕事をしなくてはならないのだから、今日は、休んで、ぼんやりと空をあおぐ。

Thursday, December 07, 2006

無責任

フランスがインターネットで無料のTV放送をはじめたのでみていたらブッシュ・ブレアの会談後の会見の映像が。むちゃくちゃ無責任な発言に"What a fuck!"と思わず叫ぶ。

Wednesday, December 06, 2006

時間と空間

疑問詞wo wohin woherと、前置詞aus in nachをクラスでやっていて、前とか後とか考え始めたら訳が分からなくなり、原因は動的な図を先生が書いたからなのだけど、ついつい時間を空間的に例える癖を自分も持っていることに気付いてはっとした。
TQでとっているInakiは、クラスは面白いのだけど、とにかく怖いので、常にビクビク。出来ないとものすごく不機嫌になる。努めて明るくしようと試みるけれども、あれやこれややっぱり分からなかったりする。夏に初めて彼のクラスをとったときは、(何もかも初めてだったのからそれはそうなのだけど)本当に出来が悪くて、何度が凄い視線を浴びた覚えがある。でも今回は慣れがある分ましで、たまにほめてくれたりもする。slowly, slowly...
TQで友人Mにあい、少しほっとする。

Tuesday, December 05, 2006

バタバタ

先週の忙しさからどう変わると思ったけど、結局殆ど変わらず。朝クラスに言って、夕方ドイツ語の授業を受け、帰ってきてから夕食を作り、それから復習予習。風邪顔を引いているので、気をつけながら過ごす。
ドイツ語の授業は、当然英語と思っていったら全部ドイツ語で泡を吹きそうになる。一番簡単なクラスと言っていたのだが。けれどもナッシュマルクトに近いこともあって、生徒さんは殆ど働いている社会人(肉屋、洋服屋、コック…)。とすれば英語でやれば公平感がなくなる。

Monday, December 04, 2006

arriving vienna, and photos from pointe 2 point

i was arrving safely in vienna yesterday. here i am in my new home in 3rd district of vienna, so sweet and calm place. i will be staying here until 20th jan. to study germany (language) and take some classes in tanzquartiler.
actually so many things happened in warsaw, but for now i just put some photos from that.






(this scene was cut for the show ;-) )

Sunday, December 03, 2006

wien着

14時間のバスをへてwarsawaからwien着。夜中のpks warsawaは、駅も完全にロックアウトされていて、人気がなく、凍えてベンチにすわっていたら、あからさまな薬中に話しかけられたりする。人が来ても誰も英語が通じず、本当にバス来るのかと思ったら来た。預けられる荷物は一個までだ、多い分6euro払えといわれ、さっそくげんなり。
空路と違い、チェコ、オーストリアと、国境にてしっかり検問。バスに入国管理官が乗ってきて、euのパスはちらっと見て終り、それ以外はオフィスに持ち帰っていってチェックされる。さすがにこのときはドキドキする。
二ヶ月間の我が家は3区で、場所がよく、雰囲気も落ち着いていて安心。さっそくケバブをたべたりする。