Tuesday, August 12, 2008

レジデンスカード届く

レジデンスカードが届いた。これでようやく滞在のための法的プロセスは終了。長かった。ヨーロッパ諸国にはいきやすくなる。

Monday, August 11, 2008

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

ロシアは、この地域の分離独立派を支持することで緊張を高めてきたが、一方で米国も、今回の戦争に関して公平な監視役にはなれない。米国軍は何年もの間、グルジア軍の訓練や装備に協力してきたのだ。
米国政府は2002年の初めから、グルジアに対して、軍事面で莫大な額の支援を提供してきた。米国からグルジアへの支援はまず、『Georgia Train and Equip』(グルジアの訓練・装備)計画という名目で始まり(これは表向き、パンキシ渓谷にいるアルカイダ勢力に対抗するためのものと言われた)、その後は『Sustainment and Stability Operations』(維持と安定の作戦)計画へと引き継がれた。

既にそこにある

フランス人の旅行者が一泊していった。大阪に一年ほど住んだことがあるらしく、変な日本語を喋るが、注意するきもあまりおきない。自分の英語とポルトガル語もいいかげんなもんだ。


引き続き具合が悪く、そういう状況を彼に話すと、「今が一番悪いだったらこれから良くなる以外にないってことだよ、待つしかないさ」と言われる。それはそうだ。


彼の妹さんだかお姉さんだかはハープ奏者だそうだ。「芸術家っていえば聞こえはいいけど、実際生き延びるには散々」と言う僕の言葉に相づちで返すのは、その妹さんだか姉さんだかのことを知っているからだと。


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机の前には2004年に上演した「これが私の優しさです」のチラシを貼っている。この作品は僕にとって大きな転機になった作品だった。それは前のめりになって何かを「創造」することへの疑問を肯定し、自分が既に見ているもの感じているものを素直に現すあり方への挑戦だった。


メルロ・ポンティの現象学的視点の基本は「既に(already/já)、そこにある」ということである。私は既に知っているのであり、「何を」知っているのかにとどまらず、「どうやって」知っているのかと問い掛けることが重要なステップである。


だけれども、残念ながら(コンテンポラリー)ダンスの世界ではこうした発想に至る人は多くない。詩や絵画にくらべて弱さと、また歴史の浅さを感じるのはこういうところだ。



Tuesday, August 05, 2008

SKITe/Sweet and Tender Porto 2008

I would participate this collaboration project from 14th Aug. this summer in Porto.
web site: http://www.sweetandtender.org/

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Summary


Following the project held in PAF - Performing Arts Forum, in 2007, this second edition, co-launched by the Association SKITe and Sweet and Tender Collaborations, will gather 40 young artists from 26 countries and different performance-related disciplines during a period of a full month.
▪ Date: August 15th to September 20th 2008
▪ Place: Porto, Portugal
This project will bring together various institutional and non-institutional partners in Porto and open itself up to a wide range of international collaborations
▪ Theme: relation between artistic process & product through the creation of an environment based on constant showings and feedbacks.
▪ Primary purpose: A systematic experiment with modes of artistic exchange, creation and production inside a specific context provided by the hosts (Portugal, Porto)
Participants will engage in a practice of exchange and dialogue, open up their research to the others - from the formulation of their ideas to their referential sources, practices and concerns.

Events and activities

<laboratory>
▪ What Artistic experiments, research, workshops, dance classes, showings, feedback sessions, open house days, ...
▪ When August 15th to September 13th
▪ Where Porto: Teatro Nacional Sao Joao, 555, Maus Hábitos
▪ Duration One month

<running>
▪ What Remake of a performance choreographed by Meg Stuart in 1992
▪ When From August 17th to August 21st
▪ Where Porto: Mosteiro São Bento da Vitória (Teatro Nacional Sao Joao)
▪ Duration Five days

<fragments>
▪ What Public presentations of the work in progress
▪ WhenSeptember 12th and13th
▪ Where Porto: Mosteiro de Sao Bento da Victoria
▪ Duration Two days

<site-specific>
▪ What Residençial da Praça in the frame of FIMP festival: workshops, sound installations, radio show, ..;
▪ When September 14th, 15th and 16th
▪ Where Porto: Praça do Joao I
▪ Duration Three days

<debriefing>
▪ What Evaluation, General Assembly of SKITe/ Sweet and Tender Collaborations participants
▪ When September 17th to September 20th
▪ WherePorto: Mosteiro Sao Bento da Victoria
▪ Duration Four days

<diffusion>
▪ What International public presentations
▪ When February 2009 to May 2009
▪ Where Barcelona, Paris, Brussels, Oslo
▪ Duration Long run

To the Day-to-day schedule

Objectives
<Short Term>
▪ Consolidation of Sweet and Tender Collaborations network sustainability in the long run.
▪ Deepen a collaborative dynamic (sharing resources and initiatives) among young artists from different nationalities and working with various media.
▪ Involving a local community in discovering how a creative process evolves.
▪ Testing the validity of an experimental and autonomous project inside a specific context establishing a direct interaction to Porto city.
▪ Exploring modes of public presentation of artistic works
<Long Term>
▪ Openness and deepening of dialogue with certain cultural institutions in Europe to increase the support for emerging models of research and production in artistic creation, and different practices of interaction between artists and art institutions
▪ European diffusion of the SKITe/Sweet and Tender Collaborations results on a European level through the diffusion of Fragments of Experiences project
▪ Follow up of the initial proliferation of artistic projects started and nursed in SKITe/Sweet & Tender Collaborations in Porto – their further development.
▪ Research on European Financing to consolidate the structure of Sweet and Tender Collaborations as an artistic project and as a model of artist-led network organization

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Monday, August 04, 2008

休暇三日目

今日は休暇三日目。
大分調子がよくなってきたのを感じる。具合の悪いときは、考えすぎて何も手が付けられなくなる。
朝から、大分気持ちが落ち着いている。

仕事のメールを書いて、それからドイツのレコード会社に直販で注文したCDの代金を振り込む。
ドイツ人のスタッフからのメールはやたら気さくだった。

昼ご飯にご飯をたきつつ、その合間に汚れきったシャワーユニットを掃除。
今週の土日にフランス人の旅行者が泊まりにくるのだ。彼は大阪に住んだことがあるらしい。

昼間はさすがにこちらも暑い。しかし朝晩は肌寒いほど冷え込む。

Sunday, August 03, 2008

休暇

さて休暇である。昨日は休暇一日目。

朝からMedia Marktにいくために、Benficaスタジアムへ。バカでかい建物。必然的に「税金の無駄遣い」という言葉がうかぶ。すぐそばには新築のマンションがあり、売り出し中と大きく貼り出されているが、人気がさっぱりない。試合のたびに騒音で寝れなくなることは明らかすぎるほどだ。帰りにカフェでコーヒーを頼み、おじさんに「5centあるか」といわれ、つい反射的に「ない」と答えたら舌打ちされる。

昼にすうどんを作って食べる。

アニメーションをつくってみたいなぁと思っていたので机にむかってみるが、空回り。やっぱり今は何もしない方がいい。

リヴィングの缶詰などを置いているシェルフで蛾のような虫が繁殖しているので、夕方、窓を閉め切り、扇風機をまわして、殺虫剤をまく。一、二時間そのままにして見に行くと、でるわでるわ死体の山。掃除機で全部吸い取る。すっきり。

ワインを飲んでYouTubeを見ていたらいつの間にか寝る。休暇だ。

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朝、しみじみ思ったが、こと家に関しては僕は本当にラッキーであったと思う。キレイではないが、なにせこの家はシャワーも広いリヴィングもちゃんとあるし、こまごまとした家電、家具まである。洗濯機、冷蔵庫、カウチ、ベッド、机…何一つ買わずにすんだ。

Friday, August 01, 2008

メルロ・ポンティ「哲学をたたえて」

なんとか(後半はかなりひどかったけれど:P)一週間をのりきり、夏休みに入った。二週間弱の休憩。ホッとひといきだ。
みんなも疲れていたし、Veraも疲れていて、彼女も一回こなかった。人間誰でもそんな時期がある。

少し落ち着いてきたので、読みかけてほったらかしにしていたメルロ・ポンティ「哲学をたたえて」(「眼と精神」所収)の最後5,6ページほどを読み終える。

途中引用されたアランの言葉「近くしか見えないわれわれ人間にとっては、真理は束の間のものである。それは或る状況と或る瞬間に属しているのである。滑稽にも前や後ではなく、まさにその瞬間に真理を見、言い、なさなくてはならない。何度もというわけにはいかない。何ものも何度もあることはないのだから」が見事だ。
果たしてこれがまさにポンティ的な現象学的視点の基礎であり、これによって世の中の見方はずっと広がるのであるけれども、そのことを「どうやって」伝えるのか、僕は言語としてもアートとしても格闘し続けている。

それから、最後のページ、最後の段落の始まりも美しい。---
哲学者は、おのれを世界や歴史に結びつけている真理の絆をよりよく体験するためであるにしても、まず<反省>によって世界や歴史から身を引き離すわけですが、その反省の果てに彼の見いだすものは、自己や絶対知の深淵ではなく、むしろ世界の新しいイメージと、その世界に他人とともに植え付けられている自己自身なのです。彼の弁証法ないし彼の両義性は、誰でもがよく知っているものの一つの表現方法にすぎません。
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