Friday, January 19, 2007

苦労して手荷物作ったらチェックなし

例によってParisまでAir Berlin。重さ制限でいつも手荷物までチェックされるので、紙袋に本やら死ぬほど詰め替えてカウンターにいったらお姉ちゃんなぜか既にぶち切れてて、"I reserved my ticket for Paris on the internet, my number is..."といいかけたら"Only passport please!"と絶叫される。だかだかチケット渡されてハンドラゲージチェックなし。おいおい。

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このParisのホステルは正直泊まる場所が見つからなくてしょうがなく来たんだけど、とにかく凄い皆話す話す。しばらく見失っていた人の深い優しさにちょっと触れた感覚がある。皆元気だ。皆旅をしている。

アルゼンチーナから来ているAは日本語を6ヶ月勉強していたそうである。凄い。エスパニョールに発音がにてると言われる。ぼくもドイツ語もっともっと頑張ろう。同じ部屋の一見日本人の彼はブラジルから来ていて、お父さんが日本人なんだそうだ。今でも大きな日本人コミュニティーがあると言われる。戦後途切れてしまった糸って、それでもこうしてどこかで交わる瞬間が在る。彼はアフリカの血も入っているそうで、世界中の血が入っているんだねというと笑われる。

Thursday, January 18, 2007

日銀が利上げ見送り

これで円安が一層加速。
景気が良くなればバンバン、ドル買いして、悪いときも怒濤のように流れていく円をせき止めず。
一体この国の経済というのは自尊心というものがないんだろうか。
自分の国の価値を自分たちで保とうとする当たり前の国家としての行いがどうして行われないのか。

読売新聞は日銀がもっと利上げの意義を説明しろと書いていたけど、マスコミこそそこで何が起こっているのか、検討し、双方の在り方をちゃんと記述して、国民の意識を啓発するべきなんじゃないだろうか。ただ流れてくる情報に文句つけて垂れ流して、それで?

"構造"をみせる

友人のすすめで、
Candice Breitz "Working Class Hero"(A Portrait of John Lennon)
をBawag Foundationにてみる。20人弱の人がイヤホンでジョンレノンの歌を聴きながら、歌っている、その顔がずらりと横一列に並んでいる。とても面白かった。
"John Lennnon"についての個人的な記憶が彼の心に絡み付いている(まさに「思い出」によって過去から絡みとられる)その顔。に、対峙させられる鑑賞者。歌う顔は歌う顔のその向こうへと鑑賞者の視線を誘う。

そうなのである。本来アートというのはいずれにせよ、現象の向こうへと見るものをいかに連れて行くか、それが裁量なのである。ところが、ここのところのコンテンポラリーダンス(のつまらない人たち)は、ただ現象をどう浮び上がらせるにしかその志向が及んでいない。こうした状況に対する反発が、僕の次回作のコンセプトにおいて非常に重要な位置を占めてているのだった。再確認した。

ということは、僕がやろうとしていることは、自分(アーティストとしてそこにいる)の在り方、構造を提示すること、つまり本来特に触れることなくともそうあるものをわざわざ「そうあるんですよ」と言葉にして言い表すような、いわばこっ恥ずかしいほどの、観客への「丁寧さ」(あるいはおせっかい)なのである。

思えば既に前作"parole"の時点で、かのO氏が東京公演に来て下さって、「なんであんなことをわざわざ喋るんだ。あれがいらん。」とさすが厳しい先生のお顔でおっしゃって下さって、やはりその時、Sさんが、「まあそれが世代の違いだよね」とおっしゃっていたのは、やはりこういう違いであると思う。 構造は構造そのものとして提示すること、それで十分というのがO氏、そしてその世代の方々の基本的な姿勢であるのだろうと思う。(そしてO氏の手前である寺山などは、構造について「ここにこういう構造が在ります」といっていた人である。歴史的なつながりの上にあることももちろんである。ただし僕の場合はもっとvisual artsの影響が既に複雑に絡み付いた世代にあるので、寺山と同じやり方はやろうとしても出来ない。)

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友人の次回作のアイディアを聴き、やはりその面白さに圧倒される。まだこれからの作品なのでハッキリとかけないけれども面白い。「ポストコンセプチュアル」という言葉をつかって、「やっぱりこれからはただコンセプトがあって、それだけじゃだめだよね。」という。本当にそう思う。けれども「コンセプトを動的に扱っている作家に興味がある」と僕が言うと、「動的であるとか静的であるということははじめ君の主観のうちにあるんじゃないの」と言われる。アイタタ。やっぱりまだまだ青いなぁ。

Wednesday, January 17, 2007

ドイツ語の感覚って動詞が英語ほど強くないのかな

ドイツ語って動詞が後置になることがよくあるのだけれど、ということは英語ほど動詞に対しての意識って強くないのではないかな。"Heute schöne Tag"とか話しているのを聞いたり、街頭の広告でも動詞が抜けているのをたまに見る。英語だと天気にしたってIt's really nice sunny day. とか、動詞が抜けてる文章ってあまり考えられない。
少しずつ語彙が増えてきて、クラスのトルコ人のおじさんに精一杯自分のことを伝えてみたりする。向かいのタイ人のお姉ちゃんも30代と知り、クラスで最年少であったことがよく分かった。苦労している人は同じように苦労してる人に優しい。これは本当にそうだ。外国に来て働くということは、本当に大変なことだ。
それでも皆明日の方向を向いて必死に生きている。僕も負けられない。

Tuesday, January 16, 2007

無事applicationは出せた

どう考えてもベストとは思えないけれども、ともかく出した。最低限のことはやった。この状況の中良くやったと思う。快適とは言えなかったけども、8日間殆どベットに張り付いてたホステルを離れ、今日友人の家へ。金曜日にはもうフランスである。

Wienの街はやっぱりいい。この街の空気はどこか心地いい。天気がいい日が多い。
しかし8ヶ月という長旅もついに最後の瞬間に近づいてきたのだ。

あっという間だった。

Sunday, January 14, 2007

こんなときは何もしない方がよいことは知っているのだ

知っているのだけれども明日が重要なアプリケーションの締め切りな訳で、こうしてアダアダと風邪を引きずりつつ作業をし続けなければならないのである。でも調子が悪いのだから全然良い文章なんて浮かばず、とりあえず最低限のところを無理矢理滑空させて飛ばすようなそんな感じな訳になるのだ。かといってこういうことをいちいち自分に責めすぎると、底からようやくちょっとは上澄みぐらいのところまで立ち直ってきた精神もまた戻らざる負えなくなる。この微妙な気持ちの保たせ方は、全く持って微妙。
吾妻先生のどうしようもないweb日記を読んでそんな気持ちに拍車をかけてみる。そういえばいつかこういう風に落ちたときに、ひたすら松本零士先生の「元祖大四畳半大物語」を読んでいた時期があったなぁ。

Saturday, January 13, 2007

新しい薬をもらった

薬局に行って新しい薬をもらった。
とにかく体全体の調整が何かうまくいってない感じと病状を説明したら、随分時間をかけて探してきてくれた。ヨーロッパの薬局って、お店にもよるけど、とにかく薬を本当にたくさん持っていて、何かプロフェッショナルな感じがひしひし伝わってくる。
胃腸の調子を整えてくれるということ。ビタミンも取りなさいと高いビタミンも一緒に買わされる。でもここまで来たらすがるしか無い。
でも京都に来たばかりのときも、まだ友達が周りにいなくて、病気になったらやたら孤独になって辛くなったものだ。なんとかなんとか乗り切ろう。

Friday, January 12, 2007

病気が治らない

こんなにひどく体調が崩れたのはもう何年も無かったように思う。出口が見えない感じがある。それでも生きていかなくちゃならない。難しい。

Thursday, January 11, 2007

Jobsのスピーチ

Jobsのスピーチをビデオで昨日の午前中見ていた。彼のプレゼンはやっぱり引き込まれる。すごい。iPhoneはなんかSFの世界のデバイスが本当に出来たみたいだった。二本の指を拡げて映像を拡大する瞬間とか溜息が漏れた。

Wednesday, January 10, 2007

depressed

i think now is one of worst time in this travel. i am really depressed. i can not mention about most terrible thing which happened here, but anyhow it was really hard for me and because of that i became really bad sick. i was lying on the bed more over 1 week, and still not perfect. maybe i have 2 types of tiredness, one is from that happening, the other is from tiredness from all the travel. but i already reserved plane ticket for japan on 9th Feb. via korea. feel finally. anyhow one more week here and next week go to angers again, and after that go south to see a school in monpelier. love to you. love to see your e-mail. write me anything, welcome:)

Tuesday, January 02, 2007

喫茶Yがもう営業しないそうで

友人が、僕の好きだった京都の喫茶Yがもうやらないとお店に掲示があったと教えてくれた。
カウンターのみで、たしか8人かそこらしかすわれない。休日はともかく平日は殆どお客さんがおらず、常連さんは結構いたけど、逆に回転率が悪い。みんなそこのJさんと話すのが目当てだったからだ。それはね、本人がやる気をなくしてしまったらしめるよね。お店は旦那さんが受け持つ夜のバーはそのままやるらしい。世界に一つしか無いような、希有な場所だったな。残念。
準備をあれやこれやして、ようやく明日からGrazにたつ。楽しみ。

ALLES GUTE ALLES LIEBE, NUES JAHR!!!!!



爆竹と花火の騒がしい年越しだった。
野外コンサートの"Let It Be"につい興奮する。