Monday, February 26, 2007

風邪

無理をしてあれやこれやこなしていたら、案の定風邪で崩れる。
今日は一日休み。
前の職場から連絡があり、来月から無事復帰できるとのこと。感謝。
真面目に働いておいて良かった。
お金を貯めて、なんとか5月にリサーチとパフォーマンスを
ポルトガルでやりたい。若いうちは頑張らな。

Saturday, February 24, 2007

森達也「A2」ほか

森達也「A2」を見る。「A」を見たことで、僕のマスメディアに対しての触れ方は大きく変わってしまった。「A2」でも、なんとも言い切れない風景が続く。正直あまり人ごとに思えない。日本に於いて現代美術が「外部」にある限り、僕の立場がオウム信者といつ同じようになるか分からない。ウィーンでのルームメイトとのトラブルが否応なく思い返される。そこにいるその人と向き合うのでなく、自己のなかにある仮定(この文脈からすれば既定であるが)としての彼・彼女しか認識しようとしない。それ以外は排除する。それは自己の論理でこの世界を規定することであり、他者とともに生きる社会のありかた(それは人が生きる必然でもある)を完全に否定していて、袋小路に入ってしまっている。かつての同級生である記者と信者がそれぞれの立場から相手を非難する場面は、象徴的であり、やりきれない悲しさを運んでくる。

その他、舞踊関係の資料も見る。ダニエル・シュミットが撮った大野一雄さんのフィルムは、残された大野さんの記録映像の中ではやっぱり最高傑作だと思う(全部みたわけでないけど)。それから、Judson関係のカニングハム、イヴォンヌレイナー、トリシャなどのインタヴュー、やっぱり面白い。今この辺のポストモダンダンス周辺と、ヴェラモンテーロやマチルダ・モニエ、ザビエール・ルロワなどのフランス文化圏に一番興味がある。現在の現代舞踊のルーツはちゃんと探っておかないと、どっかで足下をすくわれる。

Thursday, February 22, 2007

古屋誠一 Memories, 1978-1985

古屋誠一さんの"Memories, 1978-1985"が図書館にあり、見る/読む。人の一生、人の生き方、今の自分の辛い状況も相まって、言葉にならない思いが浮かぶ

Wednesday, February 21, 2007

大変だけど少しずつ

今年のプロジェクトに向けて打ち合わせ。大変だけど、少しずつ進む。

Tuesday, February 20, 2007

homeless

まだ旅はずっと続いていくような感じ。
大変だけど、こんな経験今しか出来ない。

CouchSurfingから立て続けにメールが入る。Surfingのリクエスト。
人と人とのつながりが実際に生きてくるような、そういうコミュニティが立ち上がる瞬間に、僕も手助けを出来たら嬉しい。

Saturday, February 17, 2007

ポンティ「問い掛けと直観」抜き書きメモ

図書館にてレポート執筆の傍ら中山元先生編訳の「メルロ=ポンティコレクション」を読む。「問い掛けと直観」(見えるものと見えないものより)から幾つか抜き書き(それぞれのパラグラフに接続性はなし)。
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本質とは存在や世界のありかたやスタイルにすぎないし、「存在」(Sein)そのものではなく、「このようにあること」(Sosein)にすぎない。

しかし本質的でないものを排除した後に残っているものは、ここで考えている「存在」に必然的に所属するものなのだろうか。私がこの問いに「イエス」と答えるためには、私は自分の<場>の上空を飛行し、この<場>を取り囲み、沈殿している全ての思考を、そして何よりも私の時間と身体を宙づりにするか、少なくとも再活性化する必要があるだろう。これは事実として不可能であるだけでなく、私にとって世界と存在の厚みを作っている一貫性が奪われることになってしまう。そしてこの一貫性なしには、本質とは主観性の狂気であり、傲慢さにすぎないものになってしまう。だから本質的でないものが私に存在する。

というのは、可視的で現前するものは時間と空間の内部にあるのではなく、もちろんその外部にあるのでもない。この可視生に対抗することができるのは、その前にも、その後にも、その周囲にもないからである。しかしそれは単独ではなく、それで全てでもない。それは私の視線をふさぐ。時間と空間がその彼方にまで広がっていると同時に、その背後にあり、奥行きとして隠れているということである。このように可視的なものは私を満たし、私を<占める>が、それが可能であるのは、見ている私が、無の背景の上にそれを見るのではなく、それ自体の場において見ているからである。それを見るものである私そのものも<見えるもの>である。それぞれの色、それぞれの音、それぞれの手触りの肌理、現在と世界の重さ、厚み、<肉>が生まれるのは、それを感受するものが、ある種の<巻き込み>や<二重化>によって、それらのもののうちから自分が生まれると感じるからであり、自分がそれらと必然的に同じ質で出来ていると感じるからである。

人間は不透明な事実と清澄な理念の中間において生き、認識するものではない。事実の<族>がその一般性、その親近性を書き込み、私たちに固有の経験の次元と場の周囲に集まるその場所に置いて、相互に重なり合い、交差する場所に置いて、人は行き、認識するのである。このなまの実存と本質の場は、神秘的なものではない。人間はこの場の外に出ることはないし、これ以外の場を持たないのである。事実と本質はいずれも抽象されたものだ。

Tuesday, February 13, 2007

7ヶ月という時間

帰ってきて思った以上に自分が変わっているということに愕然とし、なんだか突然何も出来なくなってしまう。ぼんやりとして、てがつけられず、一日無為に過ごす。ゆっくりと、7ヶ月という時間、それが拡げた(現在の)僕と、(僕にとっての)世界の差が埋まっていくのを待たなければならない。
こういう時、友人の言葉が、いつでも暖かい。

少しずつ、やらねばならないこと、やりたいことに手をつけていく。

Sunday, February 11, 2007

京都に無事帰ってきました

Parisでの騒々しい夜を超えて、CDG->Seoul Inchon->Osaka KIXと昨日無事帰ってきました。 しばらく休みます。

Tuesday, February 06, 2007

Jerome Belの授業

PedagodicのmanagerにすがりまくってJeromeに話を通してもらい、何とかCCNの(学校としての)肝である授業の見学をさせてもらう。
授業は9割英語。全然分かる。今日は学生がそれぞれの記憶を基にパフォーマンスと観客の関係について即興的にプレゼンテーションを行っていき、それについてJeromeが中心になってdiscussionをやる。その繰り返し。Jeromeはきになったところをがんがんいうし、学生にはとてもいい刺激だ。しかし友達に聞いてた通り、Jeromeの態度は最悪だ。
彼はTheaterが本当に好きだそうで、お金持ちになったら自分は作るのなんかやめて、ただ世界中の劇場のプレミアを見て回りたいそう。けれども、彼の観客にいかにコネクトするかという(彼が言っていたとおり、今ここへの)視線は、ただそれとしてPerformerとspectatorsを分け隔てるsystemを肯定しているわけで、Show Must Go Onについて、あるいはその他の彼の作品について、観客と同じものを舞台上にあげたい、という彼の考えはその時点で矛盾している。
けれどもいずれにせよ、well knownなArtistと直接にふれあい、意見を交換することは、若いアーティストにとっていい勉強になる。彼に導かれていく(授業に於いての思考の)道のりそれ自体は間違っていたとしても、その道のりのなかで様々なものに出会うことができるのは事実だからだ。だから、いずれにせよ学生が積極的に発言し、Jeromeも彼なりに真面目に答えていることは素晴らしい。

しかしCCNはすごい。ここにはMathilde MonierとXavier Le Roiと、Jerome Belがいるのである。

Mathildeは一度も日本に来たことが無いそうである。invitationも一回受け取ったことがあるとかないとか。まるで日本人の恥である。いつか呼びたい。

Monday, February 05, 2007

Mathilde Monierの新作リハーサル

以下昨日書いたメモ

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新作だからたくさんのことを書くことは出来ないけど、一言でいって、ノックアウトされた。すごい。本当に凄い。
webサイトにあるとおり、今回の作品のテーマは「ユニゾン」。かといって、それは決してダンスにあるそれだけをさすわけじゃない。そこにある政治性、つまり個人(わたし)と、他者=(->)社会(集団)とのダイナミックな関係性。あるいは、それが示してきた具体的な歴史における幾つかの風景が、しばしばステージ上に顔を出す。抽象的な概念から、具体的な何かまで、凄まじいスピードで展開し、ただこの「ユニゾン」というテーマから離れたり近づいたり。その広大さ=アーテイストとしてのマチルダのすごさ。
例えばピナやケースマイケル、フォーサイスがとうに失ってしまった、アーティストとしての「まっとうさ」が彼女にはぶれること無くその底に姿を現している。それは並大抵の人間の出来ることではない。
政治を語るからそのアーティストが政治的だというわけではない。政治は私たちの生活においていつもあり得る出来事であり、そこに眼を向けられるアーティスとこそ、政治的なアーティストと考えられるだろう(「ここ」に政治があるのだ。)。リハーサルにおいて努めて深刻にならず明るく(そしてもちろん気丈に)振る舞うMathildeに、「作品の中身もそうですが、この状況(situation)もとても素晴らしいと思います。(必要以上に)深刻になったら、作品も深刻になってしまうと私は思います。(If the situation is quiet serious, the piece is also gonna be serious. It is relative.)」と伝えると「そうよ。その通りよ。私には、こういう雰囲気が必要なのよ。ダンサーたちにとってもね。そうでなければ軍隊みたいになってしまう。」とさらりと答えてくれた。
18才のときにフィリップに会い、24才でMathildeに会い。会うべき人に会えたことを、本当に幸いに思う。

Saturday, February 03, 2007

Angersにつくまでのメモ

以下以前書いておいたメモ
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無事Angersへつく。

・道のり
ParisへAir BerlinでWienから2時間。到着後さっそく凄まじい量の荷物をParisのメトロで運ぶのに一苦労。滞在先を結局みつけることが出来なかったので、Hostelに。宿泊客のテンションが異様に高く、色んな子に話しかけられる。アルゼンチンの子は、6ヶ月間日本語を勉強していたそう。でも学校をやめてしまったので、もっと勉強したいなぁとか。一見日本人に見えるブラジル人の男の子は、日系3世。ブラジルにはたくさんの日系人がいて、大きなコミュニティがあるという。日本語は全く喋れないけれども、武蔵についての本を読んでとても感動したそう。今はまるで途切れてしまった戦前の日本人の営み、そういうことが、ここParisで交わる瞬間、とても不思議。

・CDG
CDGでAngersの研修を共に受ける友人を待つ。荷物が死ぬほど重いので、とっととバスにのってCDGに12時半くらいにはもうつく。6時間ぐらいイスにすわって待っていた。Air Franceはでも30分くらい遅れて到着。友人は送っていたTGVのチケットを印刷し忘れていて、一瞬青くなる。SNCFのオフィスに駆け込んだら、英語の喋れるスタッフで一息。laptopにconfirmation e-mailがあるけどバッテリーが切れてるといったら、電源つないでくれて、何とかことなきを得る。2時間半TGVにのって、Angersについたら23時。オーストラリア人の友人Tがむかえにきてくれていて、ホッとする。友人がアパートまで連れて行ってくれる。アパートはCNDCがもっているもので、キッチン、トイレ、バスルーム、完璧で、二人なのに3部屋あり十分。本当に有り難い。二週間の我が家。
Tが皆が集まって飲んでいるというので、顔だけ出しにいくと、9月からの新しい学年の子たちがおり、軽く話す。ブラジル人やオーストリア人など、上級生よりずっと国際色豊。

Angers->Montpellier

2週間病み上がりの身体でボロボロになりながら頑張った。忙しかったAngersでの日々。最後はRさんに頼んでおいたTaxiが早朝おとずれず、Yとぜいぜいいいながら歩いて駅へ。発車の10分前に到着。立派。
ParisでSNCFにいって、チケットをうけとり、カウンターのお姉ちゃんに、「5時間も待ち時間あってもありすぎだから、もうちょっと早いのに変えられませんか?」ときいたら、「13時24分のがありますけど、もっと高いですよ」といわれ、反射神経的に「No」とはっきりかえす。Marci bocoup/Au voir (スペルわかりません…)といって出る。
Gare de モンパルナスからGare de リヨンまでメトロでやっぱり凄まじく疲れる。Gare de Lyonの駅のそばのカフェでカプチーノを頼んだら4euroとられて早速fucked upした気持ちになる。
それから駅のベンチに3時間ほど腰掛けていたが寒くて死にそうになる。
電車では黒人のお母さんと息子さんが仲睦まじく、やややりたい放題気味のお母さんながら、広い心で温かい気持ちになる。2週間もいたせいか、言葉があまり通じない状況に慣れていて、割と穏やかな感覚。いや、パリの人たちって、そんな人種差別っぽい感じあんま無いな、と思い直す。
Montpellierについて、初めての街ながら、冷静に対応出来、30分でホテルへ無事たどり着く。トラムの中でモロッコの(やや体臭臭い)おっさんに親切にされつつからかわれ、適当に返す。およそ観光旅行程度に必要な英語にはもう困らない。