Monday, November 06, 2006

つづき

ミュージシャンもダンサーもアクターも皆よかった。先週の金曜友人の学校でジャムに言ったとき、違和感があって、やっぱり自分の感じていたことは間違いなかったなと思った。「何をするか」が問題なのでなくて、「何をしようとするか」(志向)がそれとともに身体にとても明瞭に現れていて、そこで、自分が出来ることに対して出来ない振りをする(pretend)と、不協和音を聞く様な気分にさせられるのだ。感覚の可視領域の様なものがあって、そこを自在に動き楽しむ身体と、まるでその可視領域に対して、否定的な立場を取り、わざわざあらがっている身体は、とても違う。ダンサーなら様々なテクニックを通じた世界への触れ方が、役者なら演ずるという手法も、当然ミュージシャンなら音とのふれあいが、世界への触れ方の彼/彼女の素直な在り方として、当然既にあり得るのに、ここのところのコンテンポラリーダンサーの多くは、わざわざそれを否定にかかっている様な気がする。

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