Tuesday, October 13, 2009

Mudança

住環境の問題があり、ずっと引っ越したかったのだけど、家賃があまりにも安くしばらく我慢していた。
とはいえ、新作の制作もあり、色々集中せねばらなず、どこか部屋がないものかと友達にメールをしたら即返事が帰ってくる。
場所もいいし、家賃も前よりあがるとはいえ、それでも極めて安く、広く、庭、地下室(広い)、なんとインターネットまでついているので、トントン拍子に話を決め、今日引っ越し。

三人の建築家と一人の映像作家、なんと全員男性というややマッチョな共同生活。
でも以前居候していたポルトの家も5,6人でシェアしていたので逆に古巣に戻ったようでほっとする。

Friday, October 09, 2009

ワークショップと公演

僕はどちらかというと悲観主義的で、ものごとを悪い方向、悪い方向に捉えるくせがある。
それをある程度でおさえるために、どこかでポカッと何もしない休みの時間が必要になったりする。
自分なりにこれまでの活動に満足しているかといわれれば、色々思うところがあるのだけど、友達なんかは「でもなんか随分あれやこれややってるじゃない」と言ってくれる。そうなのだろうな。

さて、今月末の土日はリスボンにてワークショップ。すでに何名かが申し込みをしてくださったそうで、ありがたや、ありがたや。
簡単な参加者のプロフィールをプロデューサーにおくってもらったが、今回はプロフェッショナル・ダンサーが中心になりそう。初心者が多かったこれまでのワークショップとは違って、脱構築的なアプローチをとることも考えておかないと。
しかもトータル10時間ぐらいで、かつ修作公演もあるのだから、密度は相当濃くなりそう。

11月ポルトでの公演+インスタレーションのためにfozまで石を拾いに友人の車で。ゴミ袋に大量に石を入れて持ち帰る。
なんでもないようだが、こういう素材が近場でタダで手に入るというのは、日本の都会育ちの僕からしてみたら驚きである。
会場のContagiarteまで運んだら、「何?ビーチから石をもってきた?あ、あそこにサーフボードがあるから一緒においとこう。」とおじさんにからかわれる。ウン。
しばらく身体をうごかしていなかったので、今週末まで家で肩ならしをして、月曜日から本格的にリハに入る予定。プロデューサーからは「早く作品をみせろ」とせかされるが、こういうところが「一人でつくっていないんだな」とホッとさせられる。

Tuesday, October 06, 2009

Workshop "Open Your Body to All The Possibilities" + final presentation


Photo: Bartłomiej Bielecki

Aqui, neste momento, o quê e como vemos, ouvimos, cheiramos, tocamos, sentimos, pensamos, o que evocamos…?

É desnecessário referir que o corpo tem um sistema automático, que certamente influencia os nossos sentidos e a nossa cognição: muitas vezes não vemos o que estamos a ver. Por exemplo, é normal não pensar que o nosso coração bate a não ser que tenha um problema, sendo que a nossa perspectiva cria, normalmente, uma certa atenção que a “exclui” para fora do seu foco.

Este workshop de improvisação guiará os participantes na consciência da invisibilidade da nossa percepção. Mesmo antes de criar qualquer coisa de novo, posicionamo-nos sempre diante de inúmeras possibilidades. Por outras palavras, o workshop irá concentrar-se no “antes do movimento”, para que assim, possamos movimentar-nos livremente.

Especificamente em espaços públicos, estações do metro, praças, onde será feita a apresentação final do workshop, serão sítios onde sempre podemos descobrir muito desta “invisibilidade”.

Quem aprecia a arquitectura e a paisagem? Quem pensa na atmosfera desta plataforma? Quem vê as questões sociais dos aglomerados de pessoas que ali estão ou passam? A Arte pode estar lá presente.


Sample Videos of his Improvisation
http://hajifuji.ciao.jp/works_html/ff.html




Hajime Fujita
Hajime Fujita é choreógrafo e bailarino. Nasceu em 1982, em Yokohama no Japão.

As suas peças foram apresentadas no Centro Cultural de Belém(2009), Centro Cultural Malaposta(2009), Mandala Performance Festival(Wroclaw-Polónia/2009), SKITe/Sweet and Tender no Porto(2008), Festa da Dança(Lisboa/2008), Festival Ananil(2008/2007), Maus Hábitos(2008, 2007, 2006) entre outros, em Portugal, Japan, France and Spain.

Estudou na University of Art and Design for Performing Arts, em Kyoto entre 2001-2005. Participou no PEPCC do Forum Dança in 2008. Participou em projectos internationais de danceWEB(Viena, 2006), Pointe to Point(Varsóvia, 2006) and SKITe/Sweet and Tender(Reims, 2007/Porto, 2008). Foi nomeado para o programa Rolex Mentor e Protege Arts Initiative (Genebra) em 2008.

http://hajimefujita.com


Condições e datas do Workshop:
Sábado, 31 de Outubro
das 17h às 20h
e Domingo 1 de Novembro
das 10h às 18h
- às 18h Finaliza com a performance (em local público a definir com o criador) de entre 15 a 20 minutos.


Preço:
Para Guerreiros da Dança e outros alunos do Estúdio Mandinga 7a posição - 30€
Para alunos externos - 40€


Local: Estúdio Mandinga 7a Posição
R. de Sto António à Glória, 38 (metro Restauradores)


Inscrições e informações: dancaparapeles@gmail.com
919122371 / 931783435 / 966189406
http://www.artbetyou.blogspot.com

Friday, October 02, 2009

休暇、に近いもの

両親がポルトガルに休暇でやってきているので便乗してコインブラへ来ている。
古い街、こんな言い方はあれだが、ポルトガルっぽくない街。

仕事を完全に休みたくても、国内旅行をしている限り、なかなか逃げることはできない。
今日はうりこみにいき、帰ってきたら11月の公演のプロデューサーからチラシの文章の催促。失念していた。
これを翌日の朝までにしあげなければならない。ううむ。

コインブラの主にコンサートなどをプロモートするCultural associationは丘の上の上の上の方にあり、道を何度も何度も聞いてたどり着けばまるで普通の住宅である。おそるおそるベルを鳴らすと、若い男性がでてきて、「あ、そのことは姉がやっているので、ちょっと待って下さい」といわれる。五分ほどしてその人がくれば、オフィスがないのでそこを郵便うけのための住所にしているという。ナルホド。

持ち込みをしたワークショップがトントン拍子に話がすすみ、今月末にリスボンでおこなうことになった。なにごともとりあえず言ってみるものだ。はてコテコテのダンサー達がくることが考えられるワークショップで何をつたえられるだろう?

Friday, September 18, 2009

可能と不可能のあいだで

フリーのアーティストに必要なものは何かというと、やっぱりそれはある種の忍耐力と楽観主義であろうと思う。

基本的に目の前にあるのは、100%不可能に見える状況で、それでもそこに1%か、あるいはもっと少ない可能性を信じて進めるか否かである。世の中で何かが変わるのに時間がかかるように、自分自身が変わるのも時間がかかるし、なんでも一日や一瞬ですべてが変わることは何も無い。よっぽど秀でた才能とコミュニケーション能力がなければ、あとは努力だけである。

そんなことを、またポルトでぼんやり考える。

カフェでトイレにいこうとして、パソコンを抱えたら「誰も盗みやしないんだからそんなの置いていきなさいよ」とお店のお姉さんに怒られる。先週リスボンで本を机に置いてトイレにいっただけで店員に激怒されたのに、何だこの違いは。ポルトでは性善説が成立しえる。

Tuesday, September 15, 2009

バタバタ

バタバタと駆け込むように仕事をこなして週末リスボンから帰ってくる。

もう正直踊ることに関してのモチベーションは極限的におちていって、申し訳ないほど「こなして」やってきた感がある。

なんだかなー、これからどうしようかなー、と思って、これからのことを色々調べるためにドイツの友達にメールをおくったら、向こうも「なんだかなー」的な雰囲気がただようメールだった。有名な振付家Mとの仕事が入ってすごくうれしいけど、なんかずーっと仕事ばっかしててドウナノ的な話。皆同じようなところでボヤーっと悩んでいるんだな。

ともあれ生きていくにはお金が必要なので、10月に何とか少々ドロくさい仕事(内容的にはエキサイティングだけど、いわゆる主催母体がガッシリしていない)の打ち合わせもしてくる。ともあれ何でも出来るといいな。ポルトガルは何でも成立するまでは確かなコトはひとつもない。(だから契約書をちゃんと交わすとか、アーティストは自分の身は自分で守る努力をしなくてはならない)

ポルトも大分冷え込んできた。冬は近い。これからどこへ行くのやら。

Thursday, September 03, 2009

すこしずつ

すこしずつ、調子を取り戻してくる。
しばらく仕事がないので、例によって売り込み。Aveiroの劇場にアポなしでいったらちょうどプロデューサーが通りかかって、話ができた。ポルトガルの人は、とりあえず会って話をしてくれるから優しい。もちろんそれ以上となると簡単ではないけれど。

ルームメイトが大きな公演の前でちょっとピリピリしていて、僕もこんなだから「ま、前を向いているしかないよね」と声をかける。

再来週はリスボンで短いインプロをやる予定だが、スペイン人の友達がその一週間後にリスボンにくるといっていて、DMもらったら同じフェスティバルだった。ハハハ。

Saturday, August 22, 2009

休暇

火曜日にポルトへ無事たどりつく。
限界まで疲れていて、未だ復活のためにヨロヨロしているところ。まず最初はひどいdepressionからで、部屋からなかなかでれず、それから少しずつご飯をつくったり、コーヒーをのみにいったりしてバランスを少しずつ少しずつ整えていく。これは時間がかかる…。とにかく焦らず、ゆっくり出来ることからやっていくしかない。

Miramarにいったらビュービュー風邪がふいていて波がたかく、泳ぐどころか寒いので、ビーチ沿いのカフェでコーヒーのんで帰る。でもキレイだった。

考えてみれば6月のポルトのフェスティバルから(合間合間にチョコチョコ休みはあったけど)ずーっと気を張りっぱなしだった。特に最初のMontemor-o-Novoのグループレジデンスがきつく、無理矢理アイディアをひねりだしつづけ、続いてルーマニア、今月モンテモーロにつけばもう出ないというところをさらに力任せにもうひとひねりで、まるでひからびた干物である。なんだかんだとapplicationもいっぱい書いたしたなー。これから9月にむけて3つ大事なのがまたある。あふ。

時間をつくってRosellee Gordbergの「Performance Art」を読んでいる。とても勉強になるし、現在のダンスやPerformance Artの状況と歴史を比べて色々に思うことができる。

来年のこともそろそろ考えないと。

Sunday, August 16, 2009

ペタンク

今日は一日本当に何もできなかったので、これはあかんと夜になって重い腰をあげたら、なぜか知り合いが庭でペタンクを始めている。「やる?」といわれるから「やらない」ともいえずついつい。あとからまた別の友達が二人加わり、おだやかな土曜日の夜となる。
色々つっこみどころはあるが、しかしこれこそポルトガルに暮らす意味だ。

Friday, August 14, 2009

And life goes on

二週目になってようやく振り付けやテキストが見えてきた感じがする。
これほど「産みの苦しみ」を感じながらのクリエイションは久々、あるいは初めてかもしれない。
端的にいうとモチベーションがあがらない。身体も心も「休まなきゃ」といっているのがわかる。
しかし時間もリソースも限られるのでここで出来るところまではやらなくてはいけない。
プレッシャーをつくるために、一応月曜日にinformal showingをつくってもらう。やっぱり怒られないと。

9月10月にポルトで予定していた仕事がパーになるかどうかというところで、はてこれからどう生きていくかと思案していたら九月に一件小さな仕事が飛び込んでくる。日程的に予算が余ったから呼ぶかという感じか。ギャラも安いがまあ家賃にはなるのでメールが来て10分くらいですぐ返事を返す。有り難や。

今年はアーティスト一本でなんとか頑張り始めた一年目であるけど、それなりにここまで成果をよくあげてきたと思う。
お金はともかく、ペーパー上の経験値はぐっとあがった。
今が辛抱。

でも来週はポルトのビーチでぐだーっとしよう。:) どうせ泳げないし。

Thursday, August 13, 2009

dontdiemyfriendtommy / Mandala Performance Festival in Wroclaw

Some parts of the piece "dontdiemyfriendtommy" is including in this promotional video of the festival.


video

Sunday, August 09, 2009

つばめ

Montemor-o-Novoにきてよかったと思う。驚くほどにここでは一人で、一日中殆ど誰とも会わないが、今まさにそれが必要だと感じる。
時間がある。

夜、トイレ(半屋外)にいくと、鳥の声がする。見上げるとつばめの家族(5羽)が屋根で寝ている。つばめというのは単独で飛んでいるところしかみたことしかなかったので、なるほど夜はちゃんと群れるのかとおどろく。寝ているさまはピクリとも動かず。
この元修道院の建物には、そのほかズタボロの犬が二匹(今日キッチンになま肉を五分ほど放置してライターを探しにいったらもう彼らに食われていた)、それに鳩の群れ、数百羽はいるとも思われる雀の群れも寝ている。

そして空はアホみたいに青い。

カフェにいってBifanaを食べてたら地元のおじさんたちに話しかけられる。「中国人がこんなところにナンタラコウタラ」と意味不明なことを言われるのでとりあえず「まず俺は日本人だ。」といって適当に逃げる。アア ポルトガル語がもっと喋れたらなぁ、九月からまた本腰で勉強しようと思う。

この元修道院にはちゃんとインターネットがあるので、色々ネットで見る。岡田斗司夫が高橋しんの「最終兵器彼女」を解説しているやや昔の映像があって、大学の授業のように面白く聞く。「これはエヴァンゲリオン以降の漫画で、個人の恋愛と戦争という両極端の事象が描かれながら、国家や民族というその中間が全く描かれていない」という指摘は極めて興味深かった。例えばそれはヨーロッパでもエコロジーなどといった「大きな名前」をもった事象が簡単に支持されながら、路傍のホームレスを人々が無視して通り過ぎている姿に重なる。同じ漫画を引き合いに出せば、吾妻ひでおの「失踪日記」はテクニカルにそうした状況、現在社会にいる多くの人々の目線の高さにあわせながら(具体的には受け入れられ易い絵柄を保ちつつ)、現実の社会問題に読者をうまく誘導できているように感じる。では自分に同じことができるのか?これが大きな課題である。

Friday, August 07, 2009

冷夏

朝寒くて目覚める。どう考えても今年は冷夏だ。
もっと灼熱の大地を覚悟してAlentejoまできたのだから、これは嬉しい誤算だ。

けれども午後市民プールにいくも(17時以降に入ると1.20Eurosになる)、水から出たときずいぶん寒い。

水泳は中学を卒業してからまったくやっていないので、はずかしながらほとんど泳げない。
クロールも、平泳ぎも、背泳ぎもまるで忘れていて、なんだかしっくりこない。
ともあれぼんやり水につかっているだけでも楽しい。まわりは夏休みの子供ばかり。

Thursday, August 06, 2009

雑記

疲れると、ネットにもものをあまり書かなくなる。現実世界でも口数がへり、あまり人と会話したくなる。
そんなときにこのMontemor-o-Novoの完全ほったらかし二週間レジデンシーは最高の環境である。

ともあれ、忘れないように色々書いておこう。

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ルーマニアのレジデンシー(Jardin d' Europe Romania)はなんとか無事おわる。

結局困ったのはオーガニゼーション。最初の週にプロジェクターが必要だから来週もってきて、といい、向こうが特に「No.」ともいわないのでくるだろうと思っていたらこない。二週目の始めに「機材がないと進められない、困る、水曜までにもってきてくれ」といって到着したのが日曜日、つまり二週目の最後。それも「新しいプロジェクターだからちゃんと扱ってくれないと困る。テクニシャンがいないところで使わないでくれ」というので、さすがに「これはshowじゃなくてリサーチなんだから、機材使えなくちゃ何も出来ない」というと、渋々まかされる。簡単にいうと、アーティストにとって何が必要で大事か、そういう視点がない。

(用意できないなら、さっさとNoといってくれればそれでプランの変更はできるが、言わない限りオーガニゼーションがもってくる可能性があるのだから、こっち側にもつかわないといけないという責任が発生する。しかしながら使うのはリサーチで、実際に写真や音を集め動画を編集する作業は極めて機材(空間を構成する要素)に依存するのだから、到着がおくれると、こちらは作業時間を無理矢理圧縮して、「なんとかそれらしいもの」をとりあえず作ることになってしまう。これがクォリティーを追求したいアーティストにとってどれだけのフラストレーションとなることか…。)

つまり簡単にいえばオーガニゼーションの経験不足。一緒にいたポルトガル人アーティストにいわせれば、「だから僕らが教育していかなければならいんだよ」ということ。まるでそうだが、三週間もこうした機会に恵まれながら、ただイライラしてばかりで終わってしまったのは実に歯がゆい。

しかしプレゼンでの緑色の石を使った短いインプロはそこそこ印象もよく、これは新作にそのまま使うことになるだろう。

それから食事は極めてモチベーションをおとした。マンマリーガ(とうもろこしのペースト/Mămăligă)とサワークリームだけの夕食というのは、いってみれば日本の醤油かけご飯である。こんなのが週に二回も三回もやってくる。困る。

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CCBでの公演は無事終わる。ともかく日曜日、しかも夏休みで、観客が山のよう。家族連れだらけで子供がうじゃうじゃ。地面を這い回ったり、でっかい門によじのぼったり、カフェのいすをふりまわしたり、庭の噴水に石を投げたり、そういうことをするだけで、やっぱり皆よろこんでくれる。こういうことは簡単なことだけど「アーティストしかやらないこと」で、実際に見ると新鮮な驚きにかわる。

ただダンス的にはもうちょっとテクニカルにせめてよかったと反省。お客の多さに圧倒されて、少々あせってしまったとおもう。

今回のパフォーマンス、日本の状況に照らし合わせるなら、新国立劇場の屋外スペース(そんなのあったか?)でフランス人ダンサーが日曜日に無料インプロ・パフォーマンスといったら理解してもらえるか…。

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そして今Montemor-o-Novoでのレジデンス。今回はO Espaço de Tempo(お城)ではなく、Oficina de Convento(修道院)。
Visual Artistのコミュニティの施設で、2007年に彼らが主催するフェスティバルに呼んでもらってからの縁。

広いスタジオに、初日から必要な機材はすべてそろっている。「何か気をつけることはある?」とダイレクターに聞くと「君は必要十分気をつけているよ」と言われる。

以前も書いたが、僕はコンテンポラリーダンスにおけるマテリアルへのインスタントな姿勢があまり好きでなく、だからこそ、ここのアーティストがとても好きだ。木を彫り、土をこね、鉄を曲げて作品をつくっていく、そういう人々の真ん中にいると背中がシャンとまっすぐになる。

といっても、アレンテージョののんびりとした空気の中で時間をかけて作業をする。ポルトガルのコーヒーはいわずもがな、ここではカキーンと冷えたビールも60centでのめてしまう。煮詰まったらカフェにいけばいい。

ともかく、焦って「それなりのナンカ」をつくるのではなく、まっすぐに自分がやりたいことをしっかりとここで整理したい、それがここならできると今感じている。

Wednesday, July 15, 2009

visualityとダンスと、サッカーと

週明けはなんかとても疲れていたのだが、大分調子がでてくる。こういっては何だけど、やっと作品を作る気分になってきた。

石をスプレーで緑色にぬっていると、ここで働いているおばさんやら、観光客のおじさんやらが興味深げに覗き込んでくる。
野外で振り付けをつくっていると気味悪がってあまり声をかけられないのとは対照的。やっぱりfine art系は理解が及ぶから、支持を得られ易いのだな。

もともと僕は自分でテキストを書いたり、映像を編集しているので、わりとこういう具体的なマテリアルに自分で手を加えていくのには抵抗がないのだけど(一応はセノグラフィーも少しかじった)、ダンス・アーティストでそういう人はあまりいない。
多いのは、ありものの音楽やテキスト、下手すると誰もが知っている古典的な作家、作曲家、ポップ・ミュージシャンの曲などを、ポンッともってきて、それっぽい振り付けをつくって、そのまま発表してしまう(あるいはコラボレーションと称して、ヴィジュアル・アーティストにおんぶにだっこでマテリアルをつくってもらい、さも自分がつくったもののように振る舞う)。ダンスは総合芸術だから、こういう感じでも成立するのだけど、それで「アーティスト」と言うのはどうなんだろう、と僕はあまり好まない。
実際、ヨーロッパや日本のコンテンポラリーダンスがダメになってきたのは、アーティストのこうしたマテリアルに対するインスタントな扱い方にあるのではとうすうす思っている。自分で手を汚して作ったものかどうかは、お客さんに一発で見抜かれる。

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テラスでコーヒーを飲んでいると、3,4人ぐらいの日本人のグループに声をかけられる。こちらのプロフェッショナル・リーグでプレイしていた元フットボール・プレイヤーの方と、ブカレストで日本語教師をされている方々。特にサッカーのことなんて何にも知らないから、日本のプロ・リーグでもプレイされていたという彼の話はとてもためになった。スポーツ選手というのも芸術家と一緒で、仕事があったりなかったりだから、本当に大変なものなのだと、しみじみ感じる。

Monday, July 13, 2009

ルーマニア、二週目

ルーマニアでのレジデンシー、二週目となる。
一週間目は、ポルトガルでの生活に慣れた身体に、質素な東欧の食事を合わせること、その苦難と、オーガニゼーションに対するフラストレーションをどうハンドルしていくか、そういう、大変な一週間だった。うん。

色々思うところはあるが、ここで活動するポルトガル人アーティストがいった、「ルーマニアという小さなコミュニティにおいて、ひとつひとつの文化機関が(その規模に時に不釣り合いなほど)奇妙に力を持ちすぎることがある」という表現は誠に意を得ていて、日本の状況とかぶる。

作品は、「他者」を主眼においた「The Other/I don't know you.」プロジェクトの続きで、とりあえずプラスチックカップの代わりに石に笑顔を描いていくことにした。それはルーマニアの極めて貧しい家々、ブロックだけを積み上げて、外装もない家々のイメージと重なる。あるいは、普段単に足の下に踏み歩き、まるで気にも留めないその存在に「表情(顔)」があるということは、このプロジェクトの根幹にある、資本主義がもたらす疎外の運動への批判的立場を表すことも担っている。

Thursday, July 02, 2009

I will be in Romania this month in July

After 2 weeks intensive group residency in O Espaço de Tempo(Motemor-o-Novo, Portugal), now I am almost leaving for Romania. In the frame work of Jardin'd Europe, and organized by ArtLink, I am invited for 3 weeks residency in Centrul Cultural "Palatele Brancovenesti" in Mogosoaia.
It also brings final presentation as well.

Precisely, I will work on the project "The Other/I don't know you.", but probably with much more different materials.

Ok, my dear, see you in Romania. :)

Wednesday, July 01, 2009

休んでいる暇はあまりない

大変な二週間であったMontemor-o-Novoから月曜日にPortoへ帰還。今後のことはあまりよく分からない。とりあえず例のダンサーは最後の最後でようやくやめてくれた(僕は二日目の段階で「皆の迷惑になるから、やる気がないならやめて」とはっきり申し渡していた)。だったら始めからやめてくれた方が皆迷惑をこうむらず、もっと平和に楽しく仕事が出来たのに。

ドロドロに疲れていたが、休む暇はなく、今日閉め切りのアプリケーションに追われて、今ようやく一息。
スペイン語に全文訳さねばならず、ポルトにすむスペイン人の友人に大きく助けられた。

月曜日にはもうルーマニアで、七月はあと二つ重要なアプリケーションの締め切りがある。簡単にいうと休んでいる暇はあまりない。

Thursday, June 25, 2009

一番高いワイン

Montemor-o-Novoでのレジデンシー、引き続き。
日曜日にInformal Showingをすることになり、みんな少しずつ顔つきが変わる。

僕個人としては来月のルーマニア、また夏以降の作品にむけての素材が色々集まったのでありがたく、それ以上あまり思うところはない。
件のレストランでの食事は「泣きそうになるほど」日々驚きと喜びに満ちていて、正直これでまったく満たされている :)
ちなみにここで出されるテーブルワインはテープルワインというものがどうあるべきかということを体現している極めて美しい味わいがする。
高いワインは豪勢な味がして疲れることがある。

プロジェクトのフルート奏者は以前何かの店を経営していたらしく、彼の唯一の日本人との経験を教えてくれた。観光客であろうその日本人は、彼の店で「一番高いワインを売れ」といい、彼が「一番高くはないがもっといいワインがある」といっても全く譲らず、彼の店に14本しかなかった「一番高いワイン」を数本を買っていったそうである。
資本主義が悪い意味で社会を汚染している日本社会の端的な例だ。同じ日本人として、極めて恥ずかしくなる。

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突然、七月始めのshowがキャンセルされるが、もう何も思わない。ポルトガルに慣れたか、あるいは自分が強くなったか。
ともあれ今はルーマニアの食事が極めて楽しみ :P

Friday, June 19, 2009

草原の真ん中で

Montemor-o-Novoでのレジデンシー。ドイツ人ピアニストの企画で、彼とスペイン人ミュージシャンなどとのコレクティヴ・ワーク。新作かつ自分に演出の決定権がないので何にしても時間がかかり、さすがに忙しい。定められた期間で最大限によいものをだせるか、それが仕事というもの…。

頭痛の種は一人の参加者がまったくのアマチュアで、まず始めは全く仕事にならなかった。現場にきてタバコだけすって帰るというのは、はっきりいって言語同断なので、二日目には夕食の後「あんたがアマチュアでもこれはプロの現場なんだから仕事してもらわな困る」とハッキリ言うが、「私はアマチュアであなたと同じ立場にはたてない。そもそもプロフェッショナルとは何なのか?」などとふざけたことをいいだすので、「そんなことを聞きたいなら今から学校にいって自分の先生に聞け。ここは現場だ。」とさすがに絶叫する。

大変なのは彼女が40代であるということだ。20代後半、プロとして一人立ちしようと僕自身がもがいている状況で、こういう人に向き合うのは正直簡単なことではない。人生は本当に苦難の連続…。

しかしながら、来月のルーマニアのレジデンシーにむけてはいい意味で予行演習になっているとも言える。いつだって100%の理想的な環境などなく、ただその瞬間瞬間にできる限りのことを積み重ねていくほかには、僕たちアーティストが人に求められる作品をつくりあげられることはない。

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しかしMontemor-o-Novoはいつだってその食事に pleasure of lifeを感じる。ここのあるレストランは、それだけでMontemor-o-Novoを訪ねる十分な理由になるほど、激烈になにもかもがおいしい。そしてむちゃくちゃ安い。
(名物店員のおじさんはいつも絶叫早口で今日のメニューを読み上げてくれる:) )

リスボンでアホみたいな値段を払って死んだような食事をし、さらには店員にブスッとにらまれるのと比べると、なんということか。

あるいは8月にレジデンシーをするある施設では、才能豊かなアーティストたちが、素朴に、しかし全くもって先鋭的な作品を黙々とつくっている。その姿勢には、ただアーティストになりたい、言い換えればアーティストという名前がほしいだけで学校へ通う都会の学生たちのいやらしさを忘れさせてくれる。
彼らと友人であることが、僕の喜びでありまた誇りでもある…。


Saturday, June 06, 2009

ヨーロッパ

七月に東欧の某国で仕事がほぼ決まったので、Wikipediaでその国の歴史を少し読む。
80年代に武力による革命があったという話や、その写真は色々なことを思わされるし、アーティストとして責任をもって仕事をしようとシャンとした気持ちにもされる。
ポルトガルも独裁政権が倒されたのは(ポルトガルはカーネーション革命といわれ、武力衝突はおこらなかった)70年代で、ヨーロッパにはこうした歴史の重みが社会のなかにまだ顕在である。

Friday, June 05, 2009

バタバタ

7月も大きい仕事が突然きまり、これでしばらく安泰。ホッとする。

ワークショップも人が少ないことをのぞけば、内容の方は立派。もっと多くのダンサーにこの話を伝えられたらなーとそれだけが残念。やっぱり継続は力というか、2001年からインプロに関しては場数をふんできたので、話すことはいっぱいある。

9月、10月は新作をふくめポルトで舞台にむけて色々と準備。まだ条件がどうなるか不明だけど、これこそが僕がポルトに残ってやりたいことだったから、本当にうれしい。2006年からヨーロッパで死にものぐるいにやってきて、とうとう自分の本領を発揮できる場になると思う。プロデューサーの駆け回りっぷりに頭があがらない。

七月のことでアホみたいに興奮したので、おいしいものを食べたいとCafe Progressoにいく。ほうれん草、ブロッコリー、グリーンピースのキッシュ。クリームもはいっていて、上にチーズをのせてやいている。死ぬほどうまい。もちろん付け合わせの、なんでもないごはんもおいしい。
忙しい時間で、十分も注文をとりにこなかったので、「飯をくいにきたんだ、待つためにきたんじゃないんだ」と従業員に始めおこったけど、おいしいものを食べると気持ちがおちつく。会計のときにその従業員にあやまられたので(これがポルト、リスボンではあやまらないどころか、最後まで横柄な態度をとられたりする)、「大丈夫、大丈夫、おいしかったおいしかった。僕はここがポルトで一番好きだから。」というようなことをしどろもどろと話す。
2007年からたびたびきているが、従業員はまるで変わらない。

Saturday, May 30, 2009

ぼんやり

ポルトへ無事帰るも、少々燃え尽き。ぼんやりしてあまり仕事に手がつかない。
それでも、こうしてぼんやり出来るからこそポルトに住んでいるわけでもあるのだけど。

あ っというまに夏が到来してこちらはすさまじくあつい。すでに30度をたびたびこしている。

来週のワークショップは開催できるぎりぎりの数の参加者がなんとかそろった。
なにせ名前がまだポルトガルでそんなに出ていないのだから、応募者0にならないかすら不安だったけど(もちろんそんな不安を顔に出さずコミュニケーションしてたわけだけど;) )、ちゃんと興味をもってくれた人がいたのだから本当に嬉しい。
それにそのうちの多くが先週のパフォーマンスを見に来てくれた人だった。作品を持って興味をもってくれたのだから、アーティストとしてこれほど嬉しいことはない。ちゃんと支払って頂いたお金にみあったワークショップにしなければならない。でも単純に楽しみだ。

なにより、このワークショップの提案を受け取ってすぐに「じゃあ来月やろうか」と二つ返事で受けてくれたNECには本当に頭があがらない。日本にのこって活動していたら、こんなことが出来ただろうか…。
今はともかく身をけずってでも走り、走って、あれやこれや考え込まずに、ただ出来ることにまっすぐに挑戦していきたい。きっとその後に何かが残るだろうと思う。

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リスボンは今回の忙しい滞在でもはっきりしたけど、やっぱり僕が住むにはつらい。
何がつらいって、カフェやレストランの店員の態度がすさまじくわるい。挨拶をしない、返事をしない、謝らない、お礼をしない、人種差別的な視線をむけるetc。忙しい日々のあいまに、いっぱいのコーヒーを飲むときだけがホッと出来る瞬間だというのに、それがかなわぬところでは息が詰まってしまう。
ポルトの人は(もちろん色んな人がいるけど)、総じて暖かく、礼儀正しく、どこにいっても心地よい。いつか公演の前に急いで初めていったカフェで、カタコトのポルトガル語でパンを二つかったら、おばさんは何も言わずにポテトチップスをおまけしてくれた。「どうもありがとうございます」というと、ニコリともせずに「はいはいまたね」といった感じでかえされる。親切が、あたりまえにあるというのは、やっぱりすごい。

Friday, May 29, 2009

Synchronous Objects, new project of William Forsythe

William Forsythe introduces his new internet dance project.
Seems cool, although what he is doing is different from me.

http://synchronousobjects.osu.edu/

Tuesday, May 26, 2009

なんかもう

2006年からポルトガルで活動を始めて(というより2001年よりアーティストとして活動を始めて)、これまでで一番良い条件の仕事が入る。しかも持ち込みでの仕事だから、嬉しいことこのうえない。

しかしながら、仕事を左から右へとあれやこれやこなしていく日々に終わりが見えず、疲労はかなり限界。打ち合わせのためにリスボンにくると、お金はかかるしストレスはたまるし、うーん。はやくポルトにかえりたいよー。

Monday, May 25, 2009

Improvisation Dance Workshop in Porto/Motemor-o-Novo - June

Improvisation Dance Workshop by Hajime Fujita
"Open Your Body to All The Possibilities"




First of all this atelier focuses on "before the movement". Namely, exploring what we can interpret to the movement, what possibilities of dance actually we are having as of momentum.

The main issue is that, "what we are seeing and what we are NOT seeing?" The atelier starts with opening participants' eyes to our perception. Always the participants would try to remind the possibilities which each of them already has but which he/she is not noticing well. Internal information of our mind, intention, sense, cognition, memory, history, society etc. and outside information of physical shape, rhythm, materiality, human body(existence of the Other) etc. This atelier would guide a pathway to engage and entangle all those information as possibilities of movement.

info/video http://hajifuji.ciao.jp/workshop.html

PORTO
Inscription: 45 euros (36 euro for the friends of NEC)
* Please inscribe until 27th May, hurry!

1, 2, 3, 8, 9, 10 Jun 2009 - 18h-21h
Espaço NEC/Fábrica Social - Rua da Fábrica Social s/n 4000 201 Porto
+351 961424668 / +351 913211428
nec@nec.co.pt
http://www.nec.co.pt

MONTEMOR-O-NOVO
Inscription: 15 euros

16, 17, 18, 19 Jun 2009 - 19h-22h
Centro Juvenil Montemor-o-Novo - Av. Gago Coutinho 58, Montemor-o-Novo
+351 266 898 100(ext. 309)
hajimefujita.official@gmail.com

Tuesday, May 19, 2009

都市からはなれて

Montemor-o-Novoでの一週間の滞在を終え、土曜日にポルトへ戻ってきた。
書ききれないほど多くのことがあった。

都市とは何か、それは常に主たる疑問だった。
草原の真ん中の家に暮らす4才の友人の娘は、「朝よく見る動物は何だ?」という質問に「羊?」と答えた。

多くの人々はおそらく何十年も同じようにくらしていて、それなりに変化もあるのだろうけど、むしろ一日一日の生活をどうするかこそが課題であり、保守的な空気はその土地に極めて調和していた。

人々は優しいが、全くの「異端者」には厳しい。僕は友人の友人であり、ポルトガル語も少しながら喋れる。そうでなければ?

友人に招かれ、小学校の授業で8才の子供たちから色々と日本のことや僕自身のことに質問を受ける。
ブラジルやルーマニア、ギリシャが祖国だと言う子供たち、こんな田舎までも国際的である典型的なヨーロッパの環境ながら、やはり遠く離れた日本は彼らにとっていまだミステリアスなのだ。
さすがに折り紙は彼らにちょっと難しかった。

リスボンでフランス人の友達とフォトセッションをすれば、近所のおじさんや子供たちが話しかけてくる。みんな「面白いものを面白いといえる」から僕はポルトガルの人々が好きなのだ。
(どうして日本はそうでなくなってしまったのだろう?)

そうしてポルトに帰ってくれば、初夏の暑さでキッチンに小バエがわき出している。考えてみれば、我が家にはクモがいない。だからハエがやたらに増える。Montemor-o-Novoでは巨大なクモがいえのすみずみに巣をはっていた。友人は、もちろんまるでそれをそのままにしている。

Wednesday, May 06, 2009

Strangely pretty busy

なんかかんか忙しい という表現がぴったりである。
金曜日にMontemor-o-Novoにむかうので、それまでにポルトでやらねばらならないことをこなさねばならない。
誰か助けてーとさけんでも誰も助けてくれないし、働いた分がすぐにお金になるわけでもない。うーん。

昨日と同じカフェにきたら、昨日もいた同じ友達がいて、バックグランドには昨日と同じくビートルズがかかっていて、思わず苦笑いする。

新しいウェブサイトはもう少しで仕上がる。ずっとオーガナイズされていて、イントロダクションとしては十分。
html/cssの編集の細かさはもとより、短縮した文章を書くのが大変…。

Monday, May 04, 2009

visible/invisible



This is a video installation project, collaborated with Thelma Bonavita(Brazil) in 2007.

Sunday, April 26, 2009

Mandala Festival

Poland、Worclaw(まだ発音できない)、dontdiemyfriendtommyの上演終わる。
よく分からずにきたが、これはダンスではなく、パフォーマンス・フェスティバルであった。
そのプログラムの冒頭にRoselee Goldbergの言葉が引用されているのだから、もう直球。
こういったマーケットがあることをまるで知らず、特にあるドイツ人とのアーティストとの出会いは、今後自分がやっていきたい方向性に少なからず示唆を与えてくれた。

で、作品dontdiemyfriendtommy。
やはり冒頭小便をする場面はこちらの観客にとってはまだまだ刺激が強かったそう。
終わった後のカンファレンスでも、どうしてもそこに質問が及んだので、リアリティ(アクチュアリティといえば良かった…)と結びつけるために、小便のマテリアリティが必要だと説明しておく。
あとは、観客の一人がとうとうと、「私はロンドンに二年すんでいて、当地の社会制度にもくわしいが、イギリスの福祉政策は極めて厚く、のぞまなければホームレスになれないほどだ、あなたはその事情を知っていたのか?」などと作品にあてられた(もちろんそのプロセス自体はありがたいのだけど)、ポイントレスな発言に少々つきあわされる。
僕はいつもボヤボヤ発言する(発言にゆらぎを持たせながら空間に意味を探っていく)のがくせだから、こういうときなかなか困るが、件のドイツ人アーティストがきれいに言いたいことを変わってびしっと喋ってくれたので助かる。「アーティストは政治家ではないのです。」

Tuesday, April 21, 2009

ようやく春らしくなる

昨日からようやくポルトも春らしく暖かくなる。
今日も天気がよく、衣装を買いにぼんやり歩いていたら、何年も使っていた綿のマフラーをどこかで落としてしまう。しまった。

しかしポルトの道は色々とお店があり、こんな日はついフラフラしてしまうものだ。
家具や工具やドアノブや寝具のボロボロの建物につらなった店々のショーウインドウを眺めたり、中をのぞいておじさんたちがたむろしているのをみるとなんだか楽しい。

今週末はポーランドのフェスで、もちろん有り難く楽しみでもあるのだが、やっぱりこの街を離れるのはあまり好かない。
二年ほども放浪をつづけ、やはり一番のストレスは言葉が分からないこと。ここなら片言とはいえポルトガル語で誰とでもコミュニケーションがとれるし、カフェにいったって周りの人が何を喋っているかだいたい分かるから、気をもむこともない。

ポーランド語で分かるのはありがとう(ジンクイア)だけ。思えば2006年以来である。

しかしながら、先日友人とアイリッシュ・パブ(!!)にコーヒーをのみにいったとき、ポルトガルではまだまだマシズムが強いのだととうとうと語られた。女性の一人暮らしが珍しくない日本の話をすると、うらやましそうな目をされた。彼女は三匹の猫と暮らしているそう。

Thursday, March 26, 2009

Gigazine: なぜ路上で生活するホームレスになることを選んだのかという知られざる10の理由

意外かもしれませんが、一時宿泊施設などに入所するよりもホームレスでいる方が安全な場合があるとのこと。というのも、一時宿泊施設を運営しているのはプロフェッショナルではなく、いわゆるボランティアであり、暴力的な行為などに対する処置をすることによって個人の安全を守ってくれるわけではありません。凶悪な犯罪者、麻薬常用者、精神的に不安定な人が同じ部屋を共有して眠る場合、個人の安全は保証されません。それならホームレスとして路上にいる方がまだマシ、というわけです。

Gigazine: なぜ路上で生活するホームレスになることを選んだのかという知られざる10の理由

Saturday, March 21, 2009

ポルトの街はちょうどいい

相変わらずなんだかんだと忙しく、特に来週は二つアプリケーションを仕上げなければいけないので、ピリピリしている。

それでも朝から疲れて歩いていると、道で突然友人にあったりする。カフェで仕事をしていると人に話しかけられたりする。そういう何か、人のつながりがもっと明らかなこの街は、自分で自分を追い込みがちな僕にはとてもちょうどいい。

ポルトの恩師は、ある時忙しそうにしている僕を見て、「何も忙しいことなんてないんだ。もっと前をみなくちゃ。」ととうとうと説教してくれたことがある。人生はまだまだ長いのだ…

Thursday, March 05, 2009

なんか忙しい

ポルトにきてからなんだかんだと忙しい。
結局、仕事がないときって仕事をみつけるために奔走するからもっと忙しくなったりするんだなぁ。

Sunday, March 01, 2009

京都青少年活動センター施設使用有料化反対署名

京都の青少年活動センターが、京都市の財政難を理由に有料化されることが検討されているそうです。
あきらかなことですが、これが実際におこれば現在の京都のダンスシーンは殆ど死にます。おそらくこれから5年10年といった中長期にわたって新しい才能が出てくる(正確にはそうした才能がプロフェッショナルとして成長する)機会を完全に失います。

で、東京の現状を鑑みれば、アマチュアの領域において恵まれた環境をたもってきた京都のダンスシーンが陥没すれば、日本のダンスシーン全体が今後終息していく可能性もあります。

反対署名が、オンラインで出来ます。
http://www.shomei.tv/project-796.html

Sunday, February 01, 2009

How to write a CV

Even work in a shop, bar or restaurant will involve working in a team, providing a quality service to customers, and dealing tactful with complaints. Don't mention the routine, non-people tasks (cleaning the tables) unless you are applying for a casual summer job in a restaurant or similar.

http://www.kent.ac.uk/careers/cv.htm

YES!

Friday, January 30, 2009

Forgiveness

Derrida says:

One cannot, or should not, forgive; there is only forgiveness, if there is any, where there is the unforgiveable. That is to say that forgiveness must announce itself as impossibility itself. It can only be possible in doing the impossible.

-On Cosmopolitanism and Forgiveness, P.32

Wednesday, January 21, 2009

NEVE GORDON: How to Sell "Ethical" Warfare

NEVE GORDON: How to Sell "Ethical" Warfare

One of my students was arrested yesterday and spent the night in a prison cell. R's offence was protesting the Israeli assault on Gaza. He joins over 700 other Israelis who have been detained since the beginning of Israel's ruthless war on Gaza: an estimated 230 of whom are still behind bars. Within the Israeli context, this strategy of quelling protest and stifling resistance is unprecedented, and it is quite disturbing that the international media has failed to comment on it.

Simultaneously, the Israeli media has been towing the government line to such a degree that no criticism of the war has been voiced on any of the three local television stations. Indeed, the situation has become so absurd that reporters and anchors are currently less critical of the war than the military spokespeople. In the absence of any critical analysis, it is not so surprising that 78% of Israelis, or about 98% of all Jewish Israelis, support the war.

Friday, January 16, 2009

京龍館が大変です

以前京都でモダンダンス他を習い、またパフォーマンスを上演させてもらったり、クリエイションのスペースを提供してもらったり、また運営の手伝いもさせてもらっていた、京龍館がちょっと大変なことになっているそう。

www.kyoryukan.com

Institutionとしてオーガニゼーションに色々難しいところもあったりしたのですが、それでもアーティストにとって非常に貴重なスペースでした。

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■News■ 京龍館の移転につきましてのお願い
京龍館は、このところ現テナントの家主と裁判になっていました。一審で京龍館は、テナントの退去及び985万円(約10万ドル)の支払いを命じられました。この判決は全く予期できず、引っ越しについても金銭的にも、また心の準備さえできていませんでした。
京龍館側は控訴し、交渉は現在継続中です。
しかし京龍館は、来年早々に(おそらく1月末)引っ越せざるをえません。
そこで、これらの支払い及び引っ越し費用を捻出するために、どうか皆さまの暖かいご支援をお願いする次第です。

京龍館としては、以下のことを考えています

○12月20日より週末ごとに、イベントとパフォーマンスを行います。
○京龍館Tシャツや、衣装、マスク、作品などを販売します。 
○レッスンやワークショップを開催します。


ご支援をしていただくには、以下のような方法があります。

○イベントのチケット購入し、友達をいっぱい連れて来て下さい。
○京龍館で、グッズ等を買って下さい。
<インターネットでもご購入いただける様準備中です。>
○イベントに出演して(出演者も募集中)、家族や生徒や、ファンを連れて来て下さい。
○京龍館の状況を、いろんな人に話して下さい。
○レッスンやワークショップをとって下さい。
○寄付をして下さい。
○ボランティアとして力を貸してくださる方、そして京龍館を存続して行く為のアイディアをお持ちの方、連絡をいただければ幸いです。


12年の長きにわたり京龍館は、アーティストによる芸術の発表の場として働いてきました。個々人の着想や試作を発表し、才能を培い、アーティスト同士でまたそこに集う人々が交流し共同で何かを作り上げる場として、ここ京都で働いてきました。この12年の間には、いろいろな成功がありました。もちろん難しい問題もありましたが、京龍館はなんとか生き残り、継続してくることができました。
京龍館がこれまでやって来れたのは、主宰のピーター・ゴライトリーの力だけではなく、スタッフやボランティアの努力のお陰であり、またそこに集う人々の支援があったからです。
私たちは京龍館を、手軽に利用できる発表の場、コミュニティ・シアター、オープンステージイベント、芸術やダンスのレッスン及び文化交流の場として、この地域で継続して行きたいと願っています。
京龍館の存続のため、皆さまのご支援が必要です。

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1月17日にチャリティーイベントがあるそうです。

Friday, January 09, 2009

f/f in São Bento da Vitória(Porto, Portugal)



This is from a SKITe/Sweet and Tender 2008 in Porto this summer.

Saturday, January 03, 2009

Speech for today's opening

Feliz Ano Novo!!

I just wrote a text for the speech of my installation's opening event today.
I think this is the most clear and simple text so far which says what I mean in my piece.

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This piece is a discourse about the Other.
I avoid to explain my piece, how it has been developing.
Instead, I try to talk about the Other.

The Other helps me. The Other loves me. The Other hates me. The Other sometimes hurts me.
The Other is always coming from where I do not know. I can not expect anything, even I already know something about or around the Other, that does not mean I know him or her.
I do not know.

The question is, how I can live together with the Other.

While I am talking, hundreds of bombs are exploding in Palestine.
It seems, we can not find a way to live together.

Look his/her face, which always asks us "don't kill me.".
What we can do is just we do "not" kill him/her.
In order to reach there, we have to see his/her face.
Or at least we should be conscious that we can see his/her face.

Needless to say, always there is a difficulty of forgiveness.
There is the unforgiveable, surely.

Even so, I hope we can draw our dream, here and now.



Wednesday, December 31, 2008

Thursday, December 11, 2008

さむい

温度だけみると毎日10度以上あるのだが、それでも寒い。
町中はFeliz Natal(=Happy X'mas)の言葉であふれ、サンタがのったNatalトラムも走っていた。

来週はまた雨だという。ウンザリ。

Thursday, December 04, 2008

じめじめ

今週は天気が悪い。雨ばかりで、雹までふった。さすがにおどろいた。
寒い寒いと思うが、しかし昼間は10度以上ある。こたえるほどではない。

ようやく気持ちが上向いてきた。スペイン人のAが、つめこんでつぶれるんじゃなくて、毎日少ない仕事ででも続けるんだよといっていたのを思い出す。それができればな。

先日メトロの電光掲示板に一月からタクシー料金値上げとでていて、バカみたいに安いリスボンのタクシーもさすがにやってけないのか、と思っていたら、今月からバスまで値上がりしていた。たしか75centぐらいだったのが、81cent、たいしたことないようだけど、いつも10回分まとめて買うので、8.10euroと店でいわれて驚いた。これはちょっと痛い。かといってこの天気で自転車は無理だ。;(

Saturday, November 29, 2008

forgiveness

A lot of works, or a pressure from "a lot of works".
I was quite depressed last and this month sometime from my situation, especially from a lot of paper works!! I hate it.
Yes, but I'm getting better.

Just I started to read Jacques Derrida's "Cosmopolitanism and Forgiveness", although I have not yet finished to read "Writing and Difference" :P
Forgiveness is very interested for me now. And also cosmopolitanism.... last month I read a book about a situation of immigrants in France(well, that was in Japanese though).
There's a lot I have to confront it. As a person, and (maybe... or hopefully) as an artist.
Somehow I will make an installation again in Instituto Franco Portuguese, as a consequence of my thought these days.

And I am also working with one Portuguese artists for her new piece. It would be shown on January.

Sunday, October 19, 2008

Wednesday, October 08, 2008

雑記

先週末は駆け足でスペインはTerrasaへ。Barcelonaから一時間の小さな町だけれど、おしゃれなカフェやレストランがたくさんあるきれいなところだった。
それにしても忙しく、木曜日にリスボンから着いたその足でリハをこなし、金曜日にマーケットでの即興(!)と、土曜日に今夏PortoでつくったスペインのIsabelとのデュオ。翌日曜日にはリスボンへ。結局バルセロナを見に行く時間もエネルギーもつくれなかった。
収穫はスペイン料理に舌鼓をうったことと(先に来ていたイタリア人の友人が最高のレストランを見つけていた)、一応は四つ星のホテルに泊まったことか。

日曜日に帰ってすぐに近くのtascaにいってTosta MistaとChocolate com Leiteをたのむ。すさまじく狭くお世辞にもきれいといえない店内に地元のおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんが溢れかえってペチャクチャペチャクチャ、お店のおじさんは一人でかけまわっている。Terrasaのキレイなcafeとはまるで対照的で、でもこれぞポルトガル、なんだかホッとした。

学校では今週Vera Monteroの授業。彼女の作品は好きなんだけど、授業ではどうも「教えよう」という姿勢がありすぎるというか、もっと生身の、アーティストとしての彼女と向き合えないのが歯がゆい。

Tuesday, September 30, 2008

あんまり休むヒマはない

夏のSKITe/Sweet and Tender(Porto)が無事終わり(インスタレーション+デュオピース発表)、学校が即始まり(mon.-fri. 10h-17h)、そして今週はバルセロナで先のデュオピースを踊りにいく。
来年のプロジェクトの準備も相変わらず忙しく、また11月に予定している某氏のコンサートのコーディネイトもある。あとスカラーシップの申請もしなくちゃならない…。ポルトガル語の勉強もしたい…。
正直あんまり休むヒマがなく、それでも無理矢理ウィークエンドは何もしない時間をつくったりして何とかバランスをとっている。

ルームメイトはまだ二十歳になったばかりだから、「もう少し学校に集中できる程度にしたら」というけれど、まさかもうティーンエイジャーでもあるまいし、人に迷惑までかけてヨーロッパまで来てるのだから、やれることをやっとかなくちゃならない。

Saturday, September 20, 2008

レヴィナス

 「事物のみに適用される諸範疇から人間を解放しようとする現代哲学の配慮は、静的なもの、惰性的なもの、決定済みのものに、人間の本質たる動性、持続、超越、自由を対置することに甘んじてはならない。何よりも重要なのは、人間が存在の地平を起点としてわれわれと係わることをやめるような場所、つまり人間がわれわれの権能に委ねられることをやめるような場所を、人間に対して見出すことである。(中略)」
 「了解は、存在の開けをとおして存在と係わりつつ、存在を起点として存在者の意味を見出す。このようにして了解は存在者に暴力をふるい、存在者を否定する。暴力とは部分否定である。存在者が消滅することなく私の支配下に入るという事態によって、否定のこの部分性は記述される。暴力という部分否定は、存在者の自存性を否定する。つまり、存在者は私の所有物となるのだ。所有とは、ある存在者が実存しつつも部分的に否定される様相である。(中略)他者との遭遇の本義は、私には対象を所有することができないという点に存している。すでにして私が身をおいている存在の開けは、私の自由の領域のごときものである。然るに、他者が全面的にこの領域に組み込まれることはない。他者が私と出会うのは、存在一般にもとづいてではない。他者のうちにあって、存在一般にもとづいて私に到来する要素はどれもみな、私による了解と所有に供される。他者の歴史、その環境、その習慣にもとづいて、私は他者を了解する。しかし、他者のうちで了解からこぼれ落ちるもの、それこそが他者であり存在者なのだ。私が存在者を部分的に否定しうるのは、存在一般にもとづいて存在者を把持し、それによって存在者を所有する場合に限られる。他者とは、その否定が全面的否定、つまり殺人としてしかありえないような唯一の存在者である。他者とは私が殺したいと意欲しうる唯一の存在者なのである。」
 「私は殺したいと意欲しうる。ところが、この権能は、権能とは正反対のものである。この権能の勝利は、権能としてそれが敗北することである。殺したいという私の権能が実現されるまさにその瞬間、他者は私からすでに逃れてしまっているのだ。たしかに私は、殺すことで、ある目的を達成しうるし、獣を狩ったり射止めたりするのと同様に、樹木を伐採するのと同様に、殺すことができる。しかし、私が殺しうるのは、存在一般の開けのなかで、私の住む世界の構成要素として他者を捉え、地平線上に他者を認めたからである。私は他者を正面からは見なかった。私は他者の顔と出会わなかった。全面的否定への誘惑は、全面的否定の企ての際限のなさ並びにその不可能性の尺度であるが、かかる誘惑こそ顔の現前なのだ。他者と対面の関係を持つこと、それは殺せないということである。それはまた言説の境位でもある。」(「存在論は根源的か」合田正人編訳『レヴィナス・コレクション』より

Tuesday, September 02, 2008

Text of my Research about/around the idea of the other

This texts are displayed in Teatro Caros Alberto(Porto, Portugal) in the 3rd open house of SKITe/Sweet and Tender 2008, as a part of my installation of Resarch about/around the idea of the other.

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1

Na tentativa de criar relações com informação que já conhecemos, realizamos, no nosso dia a dia, qualquer tipo de coisas.

In our daily life, according to making a relationship with infomation we already know, we realize any kind of things.

In unserem taeglichen Leben nehmen wir unsere Umgebung in ihrer Gesamtheit wahr, da wir mit der Information vertraut sind.

私たちは日々の生活の中であらゆるものごとを、既に知っている情報と関連づけることで了解(realize)する。

2

Acontece que temos medo quando enfrentamos o desconhecido.

So, we get a fear when we meet up unknown things.

Deshalb bekommen wir Angst, wenn wir auf unbekannte Dinge treffen.

だから我々は何も分からない未知の存在、未知の領域に恐怖を覚える。

3

Na escuridão, um lugar nunca alcançado pela luz, nunca chegamos a descansar.

In the darkness where no light can reach, we never arrive to rest.

In der undurchdringbaren Dunkelheit, werden wir niemals Ruhe erlangen.

光の全く届かない闇の中で、安息は訪れない。

4

Este tipo de acções (ou auto-acções) acontecem porque precisamos de nos sentir em segurança. Então, muitas vezes, essas mesmas acções permitem-nos estar em contacto tanto o “desconhecido” como o “conhecido”.

This action(or auto-action) is because of to keep our security. Thus, often this action let us realize even “unknown things” as “known things”.

Diese Haltung (oder auch Reflex) existiert zu unserem Schutz. Sie laesst uns das Unbekannte oft als bekannt erscheinen.

この行為は自身の安全(security)を保全するためにある故に、しばしば本来「分からないもの」さえ「分かるもの」として了解しようと促す。

5

Por vezes, como consequência deste processo, acontecem “mal-entendidos” na nossa comunicação.

Sometimes a consequence of this process appears as “misunderstanding” in our communication.

Manchmal erscheint eine Konsequenz dieses Vorganges als “Missverstaendnis” in unserer Kommunikation.

その結果はコミュニケーションのレベルにおいて、時に「誤解(misunderstanding)」を生み出す。

6

O que é a discriminação? O que é o racismo? O que é a guerra?

What is the discrimination? What is the racism? What is the war?

Was ist Diskriminierung? Was ist Rassismus? Was ist Krieg?

差別とは何か。民族主義とは何か。戦争とは何か。

7

Mais ainda, quem é o outro?

Even more, who is the other?

Und ausserdem, wer ist der andere?

さらに加えて、他者とは誰なのか。

8

O outro não sou eu.

The other is not me.

Der andere ist nicht ich.

他者は私ではない。

9

O outro é diferente de mim.

The other is different from me.

Der andere unterscheidet sich von mir.

他者は私とは異なる。

10

O outro vem de um lugar que eu não conheço.

The other is coming from where I do not know.

Der andere kommt von einem Ort, den ich nicht kenne.

他者は私の知らないところからやってくる。

11

O outro é inesperado.

The other is unexpected.

Der andere ist unerwarted.

他者は予期し得ぬ。

12

O outro representa impossibilidades e possibilidades.

The other is impossibilities and possibilities.

Der andere steht fuer das unmoegliche und das moegliche.

他者とは不可能性と可能性である。

13

Apesar de tudo, temos que viver com o outro.

Although, we have to live together with the ohter.

Dennoch muessen wir mit dem anderen zusammen leben.

しかし私たちは他者と共に生きてゆかねばならない

14

Portanto, temos que ouvir a voz do outro. Temos que enfrentar a face do outro.

So we have to listen a voice of the other. We have to confront a face of the other.

So muessen wir auf die Stimme des anderen hoeren. Wir muessen uns mit dem Gesicht des anderen konfrontieren.

だから私たちは他者の声に耳を傾けねばならない。他者の顔に向かい合わなければならない。

15

O outro pede-nos sempre “Não me mates”. Este é o início da nossa ética.

Always the other asks us, “Don’t kill me.” It is the beginning of our ethic.

Der andere bittet uns darum: “Toete mich nicht”. Das ist der Beginn unserer Ethik.

他者は常に私に語りかける。「殺さないで。」 それは私たちの倫理の始まりである。

16

Eu “não matarei” o outro. Portanto, poderemos viver juntos.

I do “not kill” the other. Therefore we can live together with the other.

Ich toete den anderen nicht. Deshalb koennen wir mit dem anderen zusammen leben.

私は他者を「殺さないで」いる。それ故に私は他者と共に生きることができる。

Tuesday, August 12, 2008

レジデンスカード届く

レジデンスカードが届いた。これでようやく滞在のための法的プロセスは終了。長かった。ヨーロッパ諸国にはいきやすくなる。

Monday, August 11, 2008

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

Wired VIsion: グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い

ロシアは、この地域の分離独立派を支持することで緊張を高めてきたが、一方で米国も、今回の戦争に関して公平な監視役にはなれない。米国軍は何年もの間、グルジア軍の訓練や装備に協力してきたのだ。
米国政府は2002年の初めから、グルジアに対して、軍事面で莫大な額の支援を提供してきた。米国からグルジアへの支援はまず、『Georgia Train and Equip』(グルジアの訓練・装備)計画という名目で始まり(これは表向き、パンキシ渓谷にいるアルカイダ勢力に対抗するためのものと言われた)、その後は『Sustainment and Stability Operations』(維持と安定の作戦)計画へと引き継がれた。

既にそこにある

フランス人の旅行者が一泊していった。大阪に一年ほど住んだことがあるらしく、変な日本語を喋るが、注意するきもあまりおきない。自分の英語とポルトガル語もいいかげんなもんだ。


引き続き具合が悪く、そういう状況を彼に話すと、「今が一番悪いだったらこれから良くなる以外にないってことだよ、待つしかないさ」と言われる。それはそうだ。


彼の妹さんだかお姉さんだかはハープ奏者だそうだ。「芸術家っていえば聞こえはいいけど、実際生き延びるには散々」と言う僕の言葉に相づちで返すのは、その妹さんだか姉さんだかのことを知っているからだと。


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机の前には2004年に上演した「これが私の優しさです」のチラシを貼っている。この作品は僕にとって大きな転機になった作品だった。それは前のめりになって何かを「創造」することへの疑問を肯定し、自分が既に見ているもの感じているものを素直に現すあり方への挑戦だった。


メルロ・ポンティの現象学的視点の基本は「既に(already/já)、そこにある」ということである。私は既に知っているのであり、「何を」知っているのかにとどまらず、「どうやって」知っているのかと問い掛けることが重要なステップである。


だけれども、残念ながら(コンテンポラリー)ダンスの世界ではこうした発想に至る人は多くない。詩や絵画にくらべて弱さと、また歴史の浅さを感じるのはこういうところだ。



Tuesday, August 05, 2008

SKITe/Sweet and Tender Porto 2008

I would participate this collaboration project from 14th Aug. this summer in Porto.
web site: http://www.sweetandtender.org/

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Summary


Following the project held in PAF - Performing Arts Forum, in 2007, this second edition, co-launched by the Association SKITe and Sweet and Tender Collaborations, will gather 40 young artists from 26 countries and different performance-related disciplines during a period of a full month.
▪ Date: August 15th to September 20th 2008
▪ Place: Porto, Portugal
This project will bring together various institutional and non-institutional partners in Porto and open itself up to a wide range of international collaborations
▪ Theme: relation between artistic process & product through the creation of an environment based on constant showings and feedbacks.
▪ Primary purpose: A systematic experiment with modes of artistic exchange, creation and production inside a specific context provided by the hosts (Portugal, Porto)
Participants will engage in a practice of exchange and dialogue, open up their research to the others - from the formulation of their ideas to their referential sources, practices and concerns.

Events and activities

<laboratory>
▪ What Artistic experiments, research, workshops, dance classes, showings, feedback sessions, open house days, ...
▪ When August 15th to September 13th
▪ Where Porto: Teatro Nacional Sao Joao, 555, Maus Hábitos
▪ Duration One month

<running>
▪ What Remake of a performance choreographed by Meg Stuart in 1992
▪ When From August 17th to August 21st
▪ Where Porto: Mosteiro São Bento da Vitória (Teatro Nacional Sao Joao)
▪ Duration Five days

<fragments>
▪ What Public presentations of the work in progress
▪ WhenSeptember 12th and13th
▪ Where Porto: Mosteiro de Sao Bento da Victoria
▪ Duration Two days

<site-specific>
▪ What Residençial da Praça in the frame of FIMP festival: workshops, sound installations, radio show, ..;
▪ When September 14th, 15th and 16th
▪ Where Porto: Praça do Joao I
▪ Duration Three days

<debriefing>
▪ What Evaluation, General Assembly of SKITe/ Sweet and Tender Collaborations participants
▪ When September 17th to September 20th
▪ WherePorto: Mosteiro Sao Bento da Victoria
▪ Duration Four days

<diffusion>
▪ What International public presentations
▪ When February 2009 to May 2009
▪ Where Barcelona, Paris, Brussels, Oslo
▪ Duration Long run

To the Day-to-day schedule

Objectives
<Short Term>
▪ Consolidation of Sweet and Tender Collaborations network sustainability in the long run.
▪ Deepen a collaborative dynamic (sharing resources and initiatives) among young artists from different nationalities and working with various media.
▪ Involving a local community in discovering how a creative process evolves.
▪ Testing the validity of an experimental and autonomous project inside a specific context establishing a direct interaction to Porto city.
▪ Exploring modes of public presentation of artistic works
<Long Term>
▪ Openness and deepening of dialogue with certain cultural institutions in Europe to increase the support for emerging models of research and production in artistic creation, and different practices of interaction between artists and art institutions
▪ European diffusion of the SKITe/Sweet and Tender Collaborations results on a European level through the diffusion of Fragments of Experiences project
▪ Follow up of the initial proliferation of artistic projects started and nursed in SKITe/Sweet & Tender Collaborations in Porto – their further development.
▪ Research on European Financing to consolidate the structure of Sweet and Tender Collaborations as an artistic project and as a model of artist-led network organization

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Monday, August 04, 2008

休暇三日目

今日は休暇三日目。
大分調子がよくなってきたのを感じる。具合の悪いときは、考えすぎて何も手が付けられなくなる。
朝から、大分気持ちが落ち着いている。

仕事のメールを書いて、それからドイツのレコード会社に直販で注文したCDの代金を振り込む。
ドイツ人のスタッフからのメールはやたら気さくだった。

昼ご飯にご飯をたきつつ、その合間に汚れきったシャワーユニットを掃除。
今週の土日にフランス人の旅行者が泊まりにくるのだ。彼は大阪に住んだことがあるらしい。

昼間はさすがにこちらも暑い。しかし朝晩は肌寒いほど冷え込む。

Sunday, August 03, 2008

休暇

さて休暇である。昨日は休暇一日目。

朝からMedia Marktにいくために、Benficaスタジアムへ。バカでかい建物。必然的に「税金の無駄遣い」という言葉がうかぶ。すぐそばには新築のマンションがあり、売り出し中と大きく貼り出されているが、人気がさっぱりない。試合のたびに騒音で寝れなくなることは明らかすぎるほどだ。帰りにカフェでコーヒーを頼み、おじさんに「5centあるか」といわれ、つい反射的に「ない」と答えたら舌打ちされる。

昼にすうどんを作って食べる。

アニメーションをつくってみたいなぁと思っていたので机にむかってみるが、空回り。やっぱり今は何もしない方がいい。

リヴィングの缶詰などを置いているシェルフで蛾のような虫が繁殖しているので、夕方、窓を閉め切り、扇風機をまわして、殺虫剤をまく。一、二時間そのままにして見に行くと、でるわでるわ死体の山。掃除機で全部吸い取る。すっきり。

ワインを飲んでYouTubeを見ていたらいつの間にか寝る。休暇だ。

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朝、しみじみ思ったが、こと家に関しては僕は本当にラッキーであったと思う。キレイではないが、なにせこの家はシャワーも広いリヴィングもちゃんとあるし、こまごまとした家電、家具まである。洗濯機、冷蔵庫、カウチ、ベッド、机…何一つ買わずにすんだ。

Friday, August 01, 2008

メルロ・ポンティ「哲学をたたえて」

なんとか(後半はかなりひどかったけれど:P)一週間をのりきり、夏休みに入った。二週間弱の休憩。ホッとひといきだ。
みんなも疲れていたし、Veraも疲れていて、彼女も一回こなかった。人間誰でもそんな時期がある。

少し落ち着いてきたので、読みかけてほったらかしにしていたメルロ・ポンティ「哲学をたたえて」(「眼と精神」所収)の最後5,6ページほどを読み終える。

途中引用されたアランの言葉「近くしか見えないわれわれ人間にとっては、真理は束の間のものである。それは或る状況と或る瞬間に属しているのである。滑稽にも前や後ではなく、まさにその瞬間に真理を見、言い、なさなくてはならない。何度もというわけにはいかない。何ものも何度もあることはないのだから」が見事だ。
果たしてこれがまさにポンティ的な現象学的視点の基礎であり、これによって世の中の見方はずっと広がるのであるけれども、そのことを「どうやって」伝えるのか、僕は言語としてもアートとしても格闘し続けている。

それから、最後のページ、最後の段落の始まりも美しい。---
哲学者は、おのれを世界や歴史に結びつけている真理の絆をよりよく体験するためであるにしても、まず<反省>によって世界や歴史から身を引き離すわけですが、その反省の果てに彼の見いだすものは、自己や絶対知の深淵ではなく、むしろ世界の新しいイメージと、その世界に他人とともに植え付けられている自己自身なのです。彼の弁証法ないし彼の両義性は、誰でもがよく知っているものの一つの表現方法にすぎません。
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Monday, July 28, 2008

ボロボロだ

今週一週間をのりきればferias(おやすみ)だ。
しかしもうすでにボロボロである。木曜日、学校から帰ってくるも、Theoryのクラスのテキストが精神的にどうしても書けず、そのまま雪崩のごとく調子が悪くなり、金曜日は家から出れなくなってしまった。この土日も引きこもり。食料を買い込んでいたのが救いだった。
(引きこもれる家があるだけましであることは確か。)

それでもMySpaceに同級生からメールが入ってた。「みんな激疲れてるけど(exhausted)、あと一週間、そして夏だよ!!」
うんうん、あと一週間このぞうきんみたいな自分をひきずって頑張ろう;)

そしたらとりあえず一週間はガスぬきして、ビーチでもいこう…。

Sunday, July 20, 2008

何もしない日 -新作にむけて

今日は何もしなかった。そのために昨日やるべきことを無理矢理片付けておいたりした。
誰だって疲れる時はある。

来月からのポルト滞在もあるし、新作のことをぼんやり考えている。
今回のMontemorでのレジデンシーの間、自分の中で変わったなぁと思ったのは、あまり手法や方向性に固執する気概がなくなったということだ。それはこの五年ほどの挑戦のconsequenceであるんだろう。

「これが私の優しさです」では暴力的表現に頼った即興をやめ、コンセプトを下敷きとした振付作業に挑戦した。
「Parole」ではコンタクト・インプロはもとよりミュージシャンとのコラボレーションも行い、作品全体のプロデュースを通じて観客とのコミュニケーションを現象学的視線に基づいて模索した。
「visible/invisible」ではビデオを中心に、オルタネイティヴな表現のありかたでどれだけ自分の目指すことが実現できるか、必死に格闘した(それが表面的に観客を裏切るリスクを多分にはらんでいるということを自覚しつつ)。
「dontdiemyfriendtommy」では、逆に近年控えていた演劇的感情表現やnarrativeを再び取り入れ、個人のパースペクティヴを強烈に観客に押し付けることで、複雑な社会問題の一端を直接に観客に問い掛けた。

そしてもちろん、ライフ・ワークである即興作品「f/f」を、ポルトガル、フランスと上演を重ね、様々な観客との交流を重ねれたことも大きい。さらには、ワークショップ「Open Your Body to All The Possibilities」を行うことで、自信の経験、P.O.Vが他のダンサーやアーティストにとっても十分に興味深いことが分かってきた-confidence。

いろいろやってきたということだ。
それで、手法はある意味「道具」として(もちろんそれ自体をより探求し、自信を鍛錬していく必要性をしっかりと感じつつも)、何よりもアーティスティックには自分がそのときにやりたいこと、coreを明確にして、それに適した道具を気概なく使う、そんな肩の力がぬけた感じになってきた。

それで、今やりたいこと。
「他者」
それから
「narrative」。
もしかしたら、あまりにも普通にソロワークでいいのかもしれない。

coming back to Lisboa, my home

3週間のレジデンシーを終えてLisboaへ戻る。
集団食中毒が出て、最後の週は大変だった。幸い僕は何ともなかったが、もともとあまり体調が優れていなかったので、全体の雰囲気が重くなると僕も影響をうけてなかなかしんどかった。
ただ、Miguelとの一ヶ月に及ぶリサーチは非常に刺激的だった。

久しぶりのLisboaは、トラムのチケット代が値上がりしていたことをのぞけば変わらない。
Camopo de Ouriqueは大都市にあるとは思えないほど本当に静かでのどかだ。
帰り道、土曜日の昼下がりを子供たちがかけていく。

家に着くと、疲れがどっと出て、ベッドへ。
だらだらしながら、Miguelに寺山修司のことを簡単にメール。YouTube にもいろいろ資料があるものだ。

寺山修司 PlanBにて - 1/2/3/4

Sunday, July 13, 2008

Saturday, July 12, 2008

Basic philosophy of my work

This is a text which I wrote this week for one application: the explanation of my basic philosophy of all the artistic work.

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  I chose art as my work, because I would like to affect general people on our primitive level of sense and thought. I would like to provoke people to confront or even just think about our social problems on their each own perspective, especially with focusing our communication.

  Speciality of art is that it can connect directly and profoundly people's mind at a moment. For instance, when we confront a great picture, it grabs our mind immediately; then often that great pictures also provokes us into thinking something about/around/beyond it. Dance has also the same effect, but dance has a "corpo". On the level of provoking people into thinking of a dance work, people can see the things through the dancers' body.

  Of course in our daily life, everyday we are seeing somebody's body. Although, under the certain structure or the frame of dance, I found that we can find a primitive level of human's activities: intension, personal history, cultural background, social behavior, etc. Those things are very subtle and rarely to be conscious about it, more than obvious characters such as race, language, religious and economical situation. Yet those human's primitive activities are important keys to realize our communication in terms of understanding(or at least being aware of) the other just as he/she is.

  In 2006 and 2007, I was traveling around western Europe. As an artist, I was working and studying in several places. But not only artistic experiences, also I could have experiences to see a lot of social problems on the very basic level. Most impressive experience is that, once I had to sleep on the street in London. I understood physically how the homeless people were feeling. How complex the problem of the poverty is. Clearly I could feel there is a certain gap between the mind of the politic and reality.

  Anyhow the politic is always assuming the center area(which often called "normal") in our society(community) even unconsciously, and excluding things out of its limit. This is a very first motivation of a mind to exclude homelessness, immigrants, aliens, different race... That means, in this process, the politic projecting its own perspective and ignore the personality/thought/philosophy/emotion/reason of each own excluded person. The war is good example of this, we assume some people as enemy and stop a effort to understand them just as they are, then start to exclude them physically.

  With a speciality of art and dance, letting people think about/around/beyond the art work and notice human's primitive activities(intension, personal history, cultural background, social behavior, etc), I would like to provoke people into re-thinking about our communication —re-looking the other just as he/she is before putting him/her into a particular context. Performance is a place where artists expose their work. At the same time, performance can be a place where people "experience" something through the art work. As a dance artist, again, in this way I would like to stimulate general people to confront or at least be aware of our social problems on their each own perspective.

Saturday, July 05, 2008

月光荘

銀座の画材屋さん、 月光荘、昨年無事お引っ越しされていたとのこと。あのキレイなお店にまたいけないのは残念だけど、なくならなかったことが本当に嬉しい。僕は月光荘の絵の具を入れる鞄を普段使いにもう5,6年肌身離さず。しっかりした裁縫で、ほころび一つない。

それから、代表の日比谷さんのインタビューもウェブに掲載されていました。以下はそのインタビューより引用。

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小、中学生で
ものがなくなっても
気がつかない子もいるし
探そうともしない子もいる、
そういう物質文化のなかに
いま日本はいるんだなと思うんです。

(略)

自分が便利に使っていたものをなくして、
どこいった、大変だと、
思えないようなものを日常使ってるなら
その人の生活もそんなような程度の
ものなんじゃないかと思うんです、
----

ヨーロッパにきて驚いたのは皆ものを大事にするということ。
もちろんそれは、日本に比べて文房具だろうがなんだろうが高いということもあるのだけど。
モノがありふれると、当然社会も疎外化される。

Thursday, July 03, 2008

first week of the residence in o espaçao de tempo

O Espaçao de Tempoでのレジデンシー、今日で四日目。明日はMiguelのクラスはないので、ホッと一息といったところ。

こうしたグループでのレジデンスは、danceWEB、Pointe to Point、Sweet and Tenderと、まあ数は少ないものの、ある程度経験があるので、そんなにもう興奮もしない。加えてAnanilフェスのときここには既に泊まっていたので、余計新鮮味といったところはない。ただともかく、静かな環境でゆったりとMiguelのクラスに集中できるのがいい。

Sunday, June 29, 2008

2年間という時間

明日からは再びMontemor-o-Novo。3週間学校のプログラムでMiguel Pereiraとともにリサーチとプレゼンテーションを行う。
ここのところ連日30度を超す夏日で、夜は下着にタオルケットで寝ている(といっても夜の気温はかなり低くなるので、窓は閉めたまま)。

正直いって、疲れている。おそらく5月、6月からいろいろたて込んだこともあるのだろうけれど、というよりはもっと長期的に、ずっと不安定な生活が何年も続いてきたことに由来するようなきがする。
鬱もそうだが、「揺り戻し」というものがある。ちょっとよくなってきたな、と思ったら、また突然悪くなったりする。それを繰り返しながら、少しずついい方向へ向かっていく。だから、この「揺り戻し」も過程の一部として見なさければならない。あわててはいけない。

先日、学校のダイレクターが来年の話をちょろっとつぶやいた。バタバタしていると忘れてしまう。なんと僕は来年もここにいられるのだ。走り続け、息切れしそうになった二年間と、ひと呼吸をおくこの二年間。そんな風にうまくバランスがとれてくれたらと思う。たくさんの迷惑をかけているが、しかしこの機会を本当に有意義に、つまりはよく休んで、英気を養って、そして冷静に、自分の未来へ投資する時間にしたい。

ポルトガルは、そのために最適な場所だ。この土地と、人々と、文化が、暖かい。ありがとう。



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ポルトガル語の基本的文法がよくまとめられたウェブサイトがあった(英文)。たすかる。

Learning Portuguese

Friday, June 27, 2008

Hard Times Come Again No More


by Nanci Griffith

This is a american folk song, also sang by Japanese pop singer Akiko Yano.
One of my favorite songs by Yano.

Here is the lyrics:
Let us pause in life's pleasures and count its many tears,
While we all sup sorrow with the poor;
There's a song that will linger forever in our ears;
Oh Hard times come again no more.
There's a song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin door;
Oh hard times come again no more.
While we seek mirth and beauty and music light and gay,
There are frail forms fainting at the door;
Though their voices are silent, their pleading looks will say
Oh hard times come again no more.
There's a pale drooping maiden who toils her life away,
With a worn heart whose better days are o'er:
Though her voice would be merry, 'tis sighing all the day,
Oh hard times come again no more.
Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,
Tis a wail that is heard upon the shore
Tis a dirge that is murmured around the lowly grave
Oh hard times come again no more.

---


by Stephen Foster


by Bob Dylan

腰椎椎間板ヘルニアのオランダ人を助ける(訳しただけだけど)

旅行者のメーリングリストに入っていて、まあ殆どまともに読んでないんだけど、なんと日本を旅行中にヘルニアになって緊急帰国したっていうオランダ人が、日本のドクターが書いた書類が意味不明で困っているとポストが入っていた。急いで連絡をとって翻訳して送ってあげたらたいそう喜ばれた。というか、おそらく頑張って仕事してお金ためて、休暇もつくって、ようやく日本にいけたというのにヘルニアって…どんだけついてないんだろう。
あと、おかげで学校の課題が間に合わなかった ;)

Tuesday, June 24, 2008

煮る、焼く…

メールマガジンのポルトガル講座が届いていた。
今回の語彙、これは便利!!

1. 焼く   assar
2. 煮る   cozer
3. 炒める   frigir
4. 揚げる   fritar
5. 蒸す   cozer ( banho maria )
6. 温める   aquecer
7. 沸騰させる   ferver
8. 冷やす   esfriar
9. 混ぜる   meser, misturar
10.茹でる   cozer

Sunday, June 22, 2008

New Video: f/f in Maus Hábitos(Porto, Portugal)

I uploaded the video of my work, "f/f", last month in Maus Hábitos(Porto Portugal). It was on 9th May 2008.

duration of the video: 10:18


About "f/f":
   f/f is improvisaton dance project, which is core of all of Hajime Fujita’s dance works, and has been presented in several places (Reims, Motemor-o-Novo, Osaka, Kyoto and Yokohama) since 2001. The original theme is showing the existance of himself, not only showing “dance” or “performance”. To do that, he trys to be honest and to show everything what he feels/thinks/reminds.... on the each moment. So sometime he losts, he hesitates, even sometime he starts to speak

   Recently, this piece is also involved by presenting in the alternative places. Especially, in the Festival Ananil in Motemor-o-Novo, Portugal, Fujita represented this piece on the path of country side besides old house, collaborating with Spanish musician, Andreu Jacob, was quite appreciated. All of the nature surrounding him affects his sence, and make the movements diverse and flexible. Also in the French momument, Palais du Tau, he danced in the outside place.

read more and watch other videos (on Hajime Fujita official web site)

Tuesday, June 17, 2008

danceWEBはやっぱり最後の青春だったんだな…

今週はLoïc Touzeが講師で、今年度の仕上げであるソロワークのためのイニシャル・ワークといったところ。
彼とは2006年のdanceWEB以来…。とにかく再び会えたことが本当に嬉しい。

それにともなって、ついついいろんなことを思い出す。
danceWEBに参加したときは確か24才。参加しているそのときから、「ああ、これがきっと僕の最後の青春になるんだろうなぁ」と感じ、だからこそバカなこと・無茶をたくさんやったけど、今更にそれを確認する。しみじみ。

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ご飯の炊き方をほぼマスターしたので(ただし我が家のキッチン限定)、ここのところそればっかつくっている。慣れると手間がかからずすごい簡単、かつバリエーションがいくらでもできる。
1.材料を適当な大きさにカット。野菜、肉、魚、豆、なんでも、すきなもの、適当に。
2.鍋に米と1、塩少々を入れる。
3.米:水=1:1.3ぐらいの量で水を入れる(米以外が多ければ少し多めに)。
4.ふたをして、強火で加熱。
5.沸騰してきたら、トロ火にする。
6.待つ。水が沸騰しているのが見えなくなって、しばらくしたら、芯がなくなっているかみる。9割以上なくなっていれば大丈夫。
7.火を消し、鍋の上にタオルをかけて、10分ほど蒸す。できあがり。

Sunday, June 15, 2008

Coming back from Ananil

just coming back from Ananil. 2 performance + 1 workshop(my first workshop!!) in 3 days, pretty busy, but really great people and familiar beautiful festival. Now time to back to the reality again, and rest somewhat... zzz...





Wednesday, June 11, 2008

内田樹の研究室: 記号的な殺人と喪の儀礼について

今回の秋葉原の事件について僕(藤田一)としては今ひとつピンとこないところがある。
やはり離れてくらしていると、いくら母国のことといえあまり実感がない。
とはいえ、その在り方はまさに僕がそこにいたとき感じていた日本の人々のちょっと「おかしな」傾向に対する違和感を再確認させるものだった。ちょうど内田先生が分かりやすく書いて下さっている。

内田樹の研究室: 記号的な殺人と喪の儀礼について

ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること。
これは事実レベルの問題ではなく、物語レベルの問題である。
そして、この「ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること」は私たちの社会では「政治的に正しいこと」として、このような事件についてコメントしている当の社会学者や心理学者たちによって、現につよく推奨されているのである。
「ハラスメント」にはさまざまなヴァリエーションがあるが、私たちがいま採用している原理は、あるシグナルをどう解釈するかは解釈する側の権限に属しており、「加害者」側の「私はそんなつもりで言ったんじゃない」というエクスキュースは退けられるということである。
「被害者」はどのようなコメントであれ、それが自分にとってもっとも不愉快な含意を持つレベルにおいて解釈する権利をもっている。
「現に私はその言葉で傷ついた」というひとことで「言った側」のどのような言い訳もリジェクトされる。
これが私たちの時代の「政治的に正しい」ルールである。
その結果、私たちの社会は、誰が何を言っても、そのメッセージを自分のつくりあげた「鋳型」に落とし込んで、「その言葉は私を不快にした」と金切り声を上げる「被害者」たちを組織的に生産することになった。
たしかにそのような記号操作をしていれば、世界はたいへんシンプルになる。
私たちはメッセージを適切に解読するために、実際にはたいへん面倒な手続きを踏んでいる。
言葉が語られたときの口調や表情、身ぶりといった非言語的シグナル、前後のやりとりとのつながり、どういう場面でどういう立場からの発言であるかという「文脈」の発見、発言者のこれまでの言動の総体の中に位置づけてその暗黙の含意や事実認知上の信頼性、遂行的な確実性を査定すること・・・そういった一連の作業を経てはじめて、無限の解釈可能性のうちから、とりあえずもっとも適切と思われる解釈にたどりつくことができる。
これは面倒な仕事である。
特に、「おそらく『こんなこと』をいおうとしているのであろう」という暫定的な解釈に落ち着きかけたところで、その解釈になじまないようなシグナルに気づいて、自分がいったん採用した解釈を捨てて、もう一度はじめから解釈を立て直す、というのは心理的にはたいへんむずかしい。
この面倒な仕事をしないですませたいという人がふえている。
ふえているどころか、私たちの社会は、今ほとんど「そんな人」ばかりになりつつある。
目に付くすべてのシグナルを、「ひとつのできあいの物語」を流し込んでしまえば、メッセージをそのつど「適切に解釈する」という知的負荷はなくなる。
メディアで「正論」を語っている人々の中に「話の途中で、自分の解釈になじまないシグナルに気づいて、最初の解釈を放棄する」人を私は見たことがない。
この二十年ひとりも見たことがない。
これはほとんど恐怖すべきことであると私は思う。
知的負荷の回避が全国民的に「知的マナー」として定着しているのである。

Tuesday, June 10, 2008

"f/f" on 13th/15th June in Montemor-o-Novo

I would represent my improvisation piece called "f/f" in the festival Ananil in Motemor-o-Novo(eastern Portugal). This is 2nd time to show this piece in the same festival since last year. Please visit and enjoy the great summer atmosphere surrounded beautiful Portuguese country side :) :) :)

"f/f"
   f/f is improvisaton dance project, which is core of all of Hajime Fujita’s dance works, and has been presented in several places (Reims, Motemor-o-Novo, Osaka, Kyoto and Yokohama) since 2001. The original theme is showing the existance of himself, not only showing “dance” or “performance”. To do that, he trys to be honest and to show everything what he feels/thinks/reminds.... on the each moment. So sometime he losts, he hesitates, even sometime he starts to speak

   Recently, this piece is also involved by presenting in the alternative places. Especially, in the Festival Ananil in Motemor-o-Novo, Portugal, Fujita represented this piece on the path of country side besides old house, collaborating with Spanish musician, Andreu Jacob, was quite appreciated. All of the nature surrounding him affects his sence, and make the movements diverse and flexible. Also in the French momument, Palais du Tau, he danced in the outside place.


=videos from last year in Ananil (collaboration with Andreu Jacob)=

Saturday, June 07, 2008

Miguel Pereira "DOO"

部屋の外からまだうるさい音楽が聞こえる。今日はEuro 2008でポルトガル戦があって、どうやら勝ったらしい。

Alkantara Festival、今日Miguel Pereiraの"DOO"をCCBで鑑賞、これで僕は買ったチケット分全部みた。
他は、Berlin "Bonanza", Parts "New Works", Jonathan Burrows+Matheo Fargion "Speaking Dance"、Vera Montero "até que deus é destruído pelo extremo exercício da beleza"。雑感としては、Jonathan Burrowsはやっぱり面白かったけど(でも2006年の"Both Sitting Duet"の方がスッキリしていてよかった)、ほかは正直どうでもよかった。Partsは、友人二人のデュオはよかったけど、ほかの学生の作品があまりにも素人すぎて、翌日別のプログラムにいく気力がなくなってしまった(劇場が郊外にあるのと、公演が21時から3時間もあるというのも手伝った。昨年の卒業公演の作品は結構面白かったのに。)。Vera Monteroはいい作品だったけど、もう一つピンとこなかった。彼女の作品はともすると作り込みすぎるきらいがあるが、この作品もちょっと磨きすぎた感があった(お客さんの半分が帰ったというフランスでのプレミアを見たかった)。

で、Miguel Pereira。ほっとした。ちゃんとしたアーティストの作品だった。おそらく短期間のレジデンシーによるものだとはいえ、よく練られていた。

クレジット:
project by miguel pereira | in collaboration with ana pais, bernardo fernando (pak), nuno coelho, rui catalão, sérgio cruz, thomas walgrave, jari marjamaki | production o rumo do fumo | co-production alkantara, théâtre national de bordeaux en aquitaine | artistic residence and support centa (vila velha de ródão), culturarte (maputo), capa/devir (faro) | support balleteatro (porto), associação binaural, atelier re.al, centro cultural franco-moçambicano, rádio oxigénio, instituto camões| o rumo do fumo is supported by ministério da cultura/ direcção-geral das artes | project co-produced by next step, with the support of the culture program of the european union

以下は、学校で後日レポートを書かねばならないので覚え書き。

作品の流れ:
舞台、全体的にブラックボックス。スモークが舞台上にたかれていて、煙たい。CCB小アトリエ。舞台後方に木目の色そのままの長スツールがおかれている。中央にテーブル、ミュージシャンがパソコンほか機材をそこにおいてオペレーション。テープルの前には小さいスピーカー(モニター用?)、電源ドラムなどがおかれている。舞台上手側、スツールのすぐ脇には黒い扇風機。

開演、Miguel(以下M)、Bernardo(以下B)、Jari(ミュージシャン、以下J)上手より現れ、それれ上手、中央、下手に腰掛ける。MはすぐにLPレコードプレーヤーを舞台中央手前におき、自信はしゃがみこんでそのすぐ後ろに。クラシックミュージックながれる(曲目判別できなかった。)。スポットが、客席の中央あたりからと、かなり後方よりレコード番に投影され、Mの顔にレコード版の反射がゆらめいている。レコードは、始め通常に流されているが、途中からMが針を動かし何度か場所を変える。最後は短いフレーズが自動で繰り返される。

レコードプレーヤーを片付ける。その電源コードを扇風機に付け替える。扇風機動く。首をふりながら。扇風機は、舞台下手方向斜め後ろにむいていて、Mがスツールにすわるとちょうど彼にあたる角度になっている。

M、座っていた位置から真っ正面、つまり舞台上手側に立ちナレーションを始める。モザンピーク、アフリカ、彼の生誕の地。30年と足を踏み入れていなかった彼のふるさとに訪ねたこと。モザンピークはポルトガル・コロニーであったことの確認(一言で)。彼の思い出話。コカコーラを始めてみて、それはポルトガルもそのころ独裁政権化でみることが不可能であったからとても驚いたので、両親に「コカコーラだよ!!」といい、それから「コカコーラ」と呼ばれるようになったこと。そしてモザンピーグの伝統舞踊「Txava Txava (チャバチャバ)」という歌と踊りを学校で練習し発表したこと。歌と、チャバチャバの意味をとうとうと説明(しまった、詳細忘れた:P)。

するとおもむろにBたちあがり、舞台下手がわ、Mと同じライン上にたち、Mにチャバチャバの意味はそうじゃないと簡潔に、キッパリと反論する(たしか女でドラムの中に入るとか何とか)。二人、おもむろに後ろ向きで腰を左右に降り始める。スタンプも始める。ふたりで踊る/歌うチャバチャバ。腰を振り、スタンプをふみ、指差しながら左に回り、右に回り。しばらくして、Bを残しMはスツールにもどって腰掛ける。荒い呼吸。「Bにあって、45になったら自分がかつてのようにチャバチャバがおどれないと分かった」

(このへん少しうろ覚え)
二人で踊ること、Bが踊りながらMがナレーション。これを何度か繰り返す。途中、MはBと会って彼の過去のピースを思い出したといい、そのピースと思われる振り付けを二人で踊る。そのときMはかつら(アフロ)とハイヒール(ともにそのピースで使ったのだと説明する)を身につけて。Bがサイドステップを繰り返しているときに、M「モザンピークで、かつて自分たち家族が暮らしていた家に訪ねた。家はまだそこにあった。住んでいる人に、ぜひ中を見せてほしい、私にとって大切なことなんだと訴えるが、彼らは上司に尋ねないとわからないという。再び訪れ、その上司と話すが、彼は私を招く準備をしていなかった、また連絡するから、という。しかし連絡はこなかった。」

Bが靴をぬぎ、靴下を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンをまくり上げる。Mはかつらとハイヒールを舞台中央手前におく。かつらが上手側、ハイヒールが下手側で両者の間にはやや間隔がある。上半身裸になったはそこに近づき、しゃがみこんでかつらをみにつける。ハイヒールを両手でそれぞれにつかみ、トウの部分を握って、かかとの部分でリズムをたてる。アフリカドラムの律動。次第にはげしく。J、サンプリングしていたのか、Bのリズムと時にシンクロするようにドラム音がスピーカーより。どんどん両者の音が激しくなり、照明が暗くなっていく。代わりに舞台再度床からのライト(しばしばフロントライトに利用される小さな灯体が並列に並んだもの)があがっていき、Bはかつらとハイヒールをぬいで、Mがおいた元の位置に。舞台下手側にうつり、Bは次第に激しく踊り始める。Jの音も電子音がまじり、オリジナルのドラム音がどんどん遠くなりながら、激しさを増していく。照明は今度は全体に暗くなり始め、Bの影がはげしく躍動するのをみせる(このへん冗長だった)。舞台シーリングの蛍光灯が何度かパチパチと瞬き、暗転になっていく。クロスフェードして、後方のスツールにスポット。音は少し残っているが、Bは腰掛ける。J、ゆっくりと音楽をフェードアウト。M、立ち上がり、扇風機のコンセントをぬく(つまりこれまでずっと動いていた)。ファンが止まるまで動かない。静寂。3人立ち上がり、舞台上手へ消える。終演。

考察:
パフォーミングアートにおける現象学的可能性について意識的、戦略的である。
あらゆる情報は断片として提供され、それは作品内において対象化されない。すべては点として出現し、観客はその向こうへ誘われる。

当然ながら、断片はそれ自体として観客をその向こうに誘導しない。この作品では二つの事象を対比させ、その間を線として結ぶことを挑発することで、観客の思考を現象面の向こう側へと展開させる。

舞台美術そのものが、シンメトリーであり、左、右、中央と幾何学的に分割され、対比関係を想起させる。しかしここで秀逸なのは、中央のテーブルは厳密には中央ではなく、大体中央、であり、その前に置かれたモニター用と思われるスピーカーも下手側によっているなど、全体としてのシンメトリーを微細に崩している。上手側にも扇風機が置かれ、下手側とは完全に同一ではない。この崩しが、観客を強迫せず、リラックスさせる。中央にミュージシャンを配置することも、音楽を操作するという行為を見せることで、彼を観客の側の存在(オブジェクトとしての存在ではない)と見立て、架空の舞台であるという構造をあらわにし、了解させることで、観客に安心感を与えている。この崩しが、緊張感を与えずに、観客の視線における、対立という関係性の想起をゆるやかに助けている。

対立軸として何よりも考えさせられるのは、言うまでもなく、ヨーロッパ人とアフリカ人、ないし白人と黒人。これには当然植民地主義とポルトガル/モザンピークにおけるその歴史的事実を介在させる。白人であるMがアーティストとしてダンサーであるBに指示を与えている。Mが彼の個人的な経験を吐露し続けるのに、Bが冒頭をのぞいて無言であり続けることがそれを明示・強調する。また、Bが着ている服はヨーロッパ人の服である。しかし、Mが踊るその真後ろでBは淡々と同じステップを踏みながら、Mを超えて、虎視眈々とした眼差しで観客の方を向いている。先進国としてのヨーロッパ、開発途上国としてのアフリカ、しかしその構造がいつまでも続くとは限らない。
Mはモザンピークに行き、かつての家を尋ねたが、まるで断られてしまった。語られてはいないが、そこに住む人々が黒人であったとも考えられる。支配されていた側が、まるで違うあり方でふるまう。
あるいは冒頭でMがアナログレコードを聴きながら、まるで踊らずにじっとりとしゃがむ姿と、Bがデジタルミュージックで激しく踊る姿。それは皮肉か予言か。

もちろん、老いと若さも一つの対立軸としてとらえることができる。へたるM、無言で踊り続けるB。Mを始めとした、西側ヨーロッパの代表的アーティストの世代が老いに入ってきたという事実。

narraitive、特にここではMの体験と思い出話は、ガイドとしての役割を果たしながら、解説者にはならず、その柱から胞子をとばし、舞台という構造(visual/time)を利用して、観客を現象面の向こうへと誘う。彼の物語そのものにとどまらず、そこから想起させる社会や歴史といった一般的事象にまでその視線を拡散させる。それこそが、パフォーミングアートの現象学的可能性であり、「この次の世代」である私達がよりいっそう探求していくべき主題である。Mはプロフェッショナルとして、あるべきアーティストの姿を確かに見せてくれた。

Sunday, June 01, 2008

Renewal of Website

As you see, I am improving my web site and add the section of text. Moreover, the section of works shows a lot of information and videos.

Slowly, but certainly I am making better my web site. I would continue to organize to make it easier to get information of myself for the visitors.

Hajime Fujita Official Web Site

お金の手前にも人がいるが、お金の向こうにも人がいる

実に2年ぶりにone of my best friends(どう書いたらいいんだ日本語で:P)の友人Sに会う。落ち合った劇場で思わず感情的に声をあげてしまう:D インド人の彼はロンドンで働くダンサーで、僕とは似ても似つかないフィジカルなダンサーだが、どこか頭の芯が一本ぬけてて、なんとも美しい人間だ。

彼とともにリスボンの港湾地帯にあるクラブへ。20euroというエントランスがポルトガル人の若者にどう意味するのかは簡単に予想のつくことである。しかしそれはそれでよかった。お金の手前(持たない/持てない側)のことを、まあ自分がそうなんだから当たり前なんだけど、いろいろ考えてきたけど、お金の向こうにだって人がいるということも、決して忘れてはならないのだとフッと気づかされた。

薄明かりの中タクシーからおりて、ふらふらと少し歩き、帰宅。さすがに酔っぱらったか、思わずうずいて泣き出してしまう。いい友人ほど遠く、思ったときに会うことはできない。

Saturday, May 31, 2008

私を傷つけるもの、私をケアするもの

映画「Derrida」を観る。インターネットでの評価は分かれるようだけど、僕はiPodにうつして少しずつ観たので、それほど引っかからずすんなり見れた。ちょっとくさいところもあるけど、こういう切り方は嫌いじゃない。

他者とは遠いものである。(それがまずコギトを基点とした西洋哲学から生まれてきたという背景を持ちつつも…)
他者は私を傷つけるが、他者は私をケアするものである…。

昨日はちょっと悲しいことがあって、落ち込んでうろうろとバイロアルトを歩いて一人でコーヒーを飲んでいた。どうしようもない気持ちがぬぐい去れなかったけど、約束なのでその後友人と落ち合ってお茶をのんだ。彼も疲れていたが、一緒に話をするとこれほど気楽になれるとは思いもしなかった。

いい友達を持てることは何事にも代え難い。

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友人の友人はウェブデザイナーで、いろいろと話をしていたが、今ここで行われているダンス・フェスティバルについて。チラシを見て何か面白いものがないと探したが、作品についてそこに書かれている情報はどこぞこの劇場で上演されたとか、どこぞこの文化機関に支援されているとかそんなことばかりで、具体的な内容がさっぱり分からなかったという。小さなコミュニティーに向けられた内向きなあり方。(でもこのフェスティバルも文化庁の支援という形で税金が使われてるじゃない!!) 思わず溜め息がつく。

そういえば先日フェスティバルのショウの一つにいってきたが、劇場につくとチラチラとこっちを見るような視線。「あれは誰だろう」なのか「ああ彼は…」なのか分からないけど、なんかこうコミュニティーに異物が入ってきたときのような気持ちの悪い空気。日本でもそうだし、ヨーロッパの大都市の劇場なんてどこでもこんな感じ…でも正直あんまり楽しくない。僕は作品を見に来ただけなのに…。そうでなくても普通に話しかけてくれればいいのに。
(まあ劇場が社交場だというのもヨーロッパの文化的歴史の断片といえるのかもしれないけど)

Wednesday, May 28, 2008

授業再開

今日から授業再開。
調子はボチボチ。学校の授業もボチボチ。

なんだか知らないがここのところ天気がしめっているし、やたら寒い。冬用ジャケットをまだ着ているなんて考えてもいなかった。

Monday, May 26, 2008

IHT: Burmese villagers had little, and lost it all

IHT: Burmese villagers had little, and lost it all

Since Cyclone Nargis devastated the area May 3, this isolated village in the Irrawaddy Delta has been all but ignored by the junta. As of this past weekend, it had yet to be reached by international relief workers.

Then Khin lost 15 family members when Nargis swept through. For those in the family who survived, life is a litany of woes and the recovery has only just begun.

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For people like Then Khin's family, for those who live in the isolated, outlying hamlets of the delta, putting their lives back together after Nargis has been a sad affair - and a struggle that international aid workers have largely been unable to help ease. The Myanmar government, critics say, is distrustful of outsiders and does not want the villagers to meet foreigners. Meanwhile, the ruling junta is unable or unwilling to provide adequate help on its own.

"I don't expect anything from the government. I never have and I don't now," Then Khin said. "I heard on the radio about foreign help on its way, but I haven't seen any in the past 20 days. It's the same as before, nothing changed."

Friday, May 23, 2008

今日の撮影はCascais

今日の撮影はCascais。初めていった。
観光地であるけれども、確かに本当に美しい風景だった。

絶壁のへりで打ち付ける波を背後に一時間半ほど撮影。Kは大分いい感触があったみたい。よかった。

長い溜め息

この一ヶ月はまるで忙しく、様々なことがいっぺんにおこり、一息ついたらさすがにまいってしまった。まさに長い溜め息をつくように、昨日からの休暇に入ると、何も手のつけようがない状態。おきまりの軽いdepression。やるべきことは、休むこと、待つこと。難しく考えないこと。

今日はSintraにポーランド人の友人Kの撮影にいく。エメラルドグリーンのビーチは言葉にならない美しさであったが、水は冷たく、雨もふってきたので早々に撮影は中断。しかし彼女の友人である写真家Gのテンションが高く面白い。一緒に仕事がしたいと言われると、もちろん嬉しい。疲れてるときはどうしても「こんなことやってて誰か喜んでくれる人なんているのかなー」とネガティヴにいってしまうから、そういう言葉が何よりも励ましになる。…この仕事をいつもギリギリのところで嫌いにならないのは、たくさんの友人のおかげだ…言うまでもなく。

それでもポルトガルはいい。京都と同じだ。逃げ場がある(というと悪い意味に聞こえてしまうかもしれないけど、決してそうではない)。パステレイリアにいって、1euroそこらのスープをペロリとすると、なぜか元気がでる。おじいさんや、おばあさんが、道ばたでえんえんとしゃべり続けているのを聞いていると、自然と心が軽くなる。

早く調子がよくなってほしい。元気になって、また皆とバカなパーティーをしたい。:) 今はじんわり、ゆっくり、そのときを待つ。

Sunday, May 18, 2008

pois...

Last 2 weeks were the busiest moments since I came to Portugal.
I worked in Festa da Dança in Lisboa and showed 2 pieces: "dontdiemyfriendtommy" in Alkantara and "f/f" in Terreiro de Passo, in collaboration with Hana Kogure.
Then I went to Porto to show "f/f" in Maus Hábitos and support the concert of Hana Kogure, as general cordinator and translator.
All of things were just great and I really appreciate all the people we met there: public, stuff, artists. It is incredible that I met how many great people... Muito obrigado.

Though, afterwards, I got really tired and sick again. Now still on the way to recover. But I think it takes time. So here just I apologize to be late to send a plenty of e-mails to thank a lot of people. Anyway I am here and slowly getting back the pleasure of my life.

I have a show of "f/f" and a workshop on Festival Ananil next month in Motemor-o-Novo. If you have a chance or have some friends (near from) there, please (ask them to) visit and have a nice summer time together in beautiful outside festival :)

Beijinhos,

Hajime

Sunday, April 27, 2008

産経: やはり中国は中国 モスクワで甦った7年前の「悪夢」

やはり中国は中国 モスクワで甦った7年前の「悪夢」

 08年夏季五輪の開催地に北京が選出されたのは2001年7月13日、モスクワの世界貿易センターで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でのことだった。当時、モスクワ特派員としてこの模様を取材したが、中国から送り込まれていた多くの政府や五輪招致の関係者、報道陣らは歓声を挙げて小躍りしていた。
 当時から、北京五輪への課題として人権問題が指摘されていた。IOCのカラード事務総長(当時)も「7年後の開催までに改善されることを切に望んでいる」と語っていた。香港から来たジャーナリストにこのことをただすと、「日本の負け惜しみだ」と逆ねじを食らわされたが、欧米や日本など自由と民主主義という価値観を共有する国々の多くが、IOCの見切り発車的決定を憂えていたのは事実だ。

---引用ここまで

別のニュースでIOCの会長が「ヨーロッパ諸国も植民地政策を行いながらオリンピックをおこなってきたではないか」と発言したそうだが、これははっきりいって言語道断である。大切なことは、今現在苦しんでいる人々がいて、その状況を好転するべくその術をさがすことであって、中国がいいとか悪いとか、そういう話をする段階ではない。この手の子供じみた論理軸のすり替えを会長自身がするのを聞いていると、オリンピックというものがずいぶんいいかげんなものなのだなと、印象を持たざるおえない。

Wednesday, April 23, 2008

内田樹の研究室: ダライ・ラマ畏るべし

内田樹の研究室: ダライ・ラマ畏るべし

私たちがその名と事績を熟知し、そのメッセージを繰り返し耳にする機会のある中国少数民族指導者はダライ・ラマ14世ひとりである。
ダライ・ラマ14世は、毛沢東、周恩来以来すべての中国指導者と五分で渡り合い、いまだに中国の「対抗者」のポジションにいる世界でただ一人の政治家である。
スターリンもフルシチョフもケネディもニクソンもネルーも蒋介石もスカルノもみんな死んだ。リー・クアン・ユーもマハティールも李登輝も現役を引退している。
その中にあって、ダライ・ラマ14世だけがただ一人現役の「中国のカウンターパート」として、つねに世界のメディアの注目を集めている。
繰り返すが、これはきわめて例外的なことである。
私たちはなんとなくダライ・ラマ14世というのを穏和で平和主義的な宗教家だと思っているけれど、この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。

Improvement of my Web Site

Slightly improving my web site.

Now I just added the pages about my dance pieces.
This could be very useful to watch all the videos uploaded on the internet.

Wednesday, April 16, 2008

CoffeeGeek.com: Coffee: Portugal's Other National Drink

CoffeeGeek.com: Coffee: Portugal's Other National Drink


What can you expect in a Portuguese coffee shop?

In Portugal most people don’t have an espresso machine in their house. If you’re entertaining friends you offer them Port wine. If they want a coffee, you invite your guests to go with you to your neighbourhood pastry shop/ coffee shop/ bakery, where coffee is affordable and the atmosphere is relaxing. What can you expect when you get to the coffee shop?

When you enter, the first thing to catch your eye will be a large cabinet containing a coffee grinder and an espresso machine that can make anywhere from four to eight cups of coffee at the same time. Here are the different types of coffee you can order in a Portuguese bar or restaurant:

+Bica: Espresso shot
+Café Pingado: A dripped coffee, served in a beaker with a bit of hot water.
+Café Longo: Similar to a Café Pingado, but taller.
+Galão:A Café Longo with the ratio of 1:3 milk in it. It can be foamed and/or steamed.
+Garoto: Garoto also means "kid" and this drink is mostly milk and a favourite for children. It is made like a Galao but the coffee has been run through twice on the espresso machine and is weaker.

Festa da Dança、ようやく場所きまる

Festa da Dança、セレクトしてくれたのはありがたいのだが、突然事前連絡なしに上演場所/方法を変えるとオーガニゼーション側がいってきて、まいった。チャンスではあるし、友達にも言われて思いとどまったが、何しろ怒ってもしょうがないので、頑張ってなぜ作品にとってプロポーズしていた形式(インスタレーション)が必然であるのか、とうとうと書いてe-mailで送る。翌日さっそく電話がきて、こちらの要望通りの場所に。ホッ。いつでもそうだが、基本的にヨーロッパでは何もしゃべらないと何も考えてないと思われて、相手にされない。かといって、(どこでも同じだけれど)コミュニケーションにおける気遣いももちろん欠いてはならない。この辺のバランスがすごく難しい…。

Anyway. I am going to show the following pieces:
"dontdiemyfriendtommy" (installation) - 3rd Maio 2008 in Alkantara
"f/f" (improvisation dance) - 4th Maio 2008 in the public place (detail to be confirmed.)

Friday, April 11, 2008

Performance on 3/4 May in Lisboa, in Festa da Dança

I would represent my two pieces (f/f and dontdiemyfriendtommy) in 3rd and 4th May in Lisbon, in Festa da Dança.
More details to be confirmed.

Thursday, April 10, 2008

REUTERS: Ice cream stick ship's Atlantic bid

REUTERS: Ice cream stick ship's Atlantic bid



A Viking ship made from ice-cream sticks set sail for England from the Netherlands on Tuesday.

The 15-metre (50-foot) long ship, named after the Norse god Thor, is made from 15 million recycled ice-cream sticks glued together by U.S.-born stuntman Robert McDonald, his son and more than 5,000 children.

"If you can dream it you can do it ... I want to teach children that anything is possible," McDonald said.

Badly injured as a child in a gas explosion that killed the rest of his family, he has loaded his ship with cuddly toys and plans to reach London and visit children in hospitals.

Monday, April 07, 2008

IHT: Torch draws protest fury in London's Olympic run

IHT: Torch draws protest fury in London's Olympic run



In a fresh bid by protesters to use the Beijing Summer Olympics as an opportunity to highlight China's human rights record, thousands of demonstrators crowded into the streets of central London on Sunday and turned the Olympic torch relay into a series of angry scuffles and melees. The police said that at least 30 people had been arrested.

Friday, April 04, 2008

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

日経BP: チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論

ところがここで、日本側のあるメディアのジャーナリストから意外な報告があった。
餃子事件の発生後、天洋食品などにこのメディアは50人の記者を派遣して徹底取材をしたのだがなかなか実態がつかめなかった。だが、彼らはその取材過程の中で、日中の捜査当局にも接触していた。そこで、中国側の28日の捜査当局の発表は突然ではないということがわかったという。捜査協力といいながら、実は日本側の捜査当局は中国側の捜査当局とずっと対立していたというのだ。
例えば、中国が日本側に対して、捜査のために事件を起こした餃子の1つを貸してほしいと依頼されたが、日本側は断った。日本は、農薬が混入したのは中国だと決め付け、その混入経緯を捜査しようとしており、一方、中国側も混入したのは日本だという前提で、その結論ありきでプロセスのみを捜査しようとしていた。
2月28日の中国側の発表の前から、日中間は話し合いではなく激しく対立しており、もの別れ状態だったのだ。従って、これは必ずしも中国が唐突的に反日的な発表をしたわけではないのだという。
確かに、仲たがいでもしなければ、それまで詰めて話し合ってきたものを突然壊して、中国側が独断で発表を行うはずがない。しかし、日中の捜査当局の間で対立していたことは、取材で明らかになっていたわけだが、日本の新聞などではあまり大きく取り上げられなかったのだ。

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この議論の中で最も対立したのが、やはり報道に対する価値観の違いだ。
中国側は、究極の報道の目的は「国益のためになる報道をすることだ」と主張している。これに対して、日本側は、「国益と国民の利益は全く違う」という考え方だ。
第2次世界大戦の時、日本政府は「国益のためになる」と言って、満州事変、日中戦争、太平洋戦を行った。それによって国民はものすごく大きな被害を受け、犠牲になった。これを体験しているので、日本人は国益と国家というものに対して非常にナーバスになっている。「報道の目的が国益なんてとんでもない。報道は国益になろうがなるまいが事実を報道するものだ」と、日本側は主張した。
これに対して中国側は、「中国は戦後独立したわけで、中国の人々はみな、国益=国民益だと非常に素直に考えている。日本と違って国益に対する疑惑や疑問、不信感はないのだ」と述べた。そこはある意味そうなのかもしれない。
日本側は「それは違う。あの文化大革命は何だったのか」と返した。
中国政府は国益のためと言って、数多くの中国人が犠牲になった。西側諸国が報じている情報によると、死者の数は3000万とも7000万とも言われている。これは国民益といえるのか。政府は国益だと思ったかもしれないが、国民はひどく迷惑したはずだ。

-----引用ここまで

中国の問題は非常に複雑で、先日のIHTの記事でもよく分かったけども、政治的のみならず思想的なアプローチも忘れてはならない。彼らの「正義」と西側の「正義」は同義ではなく、いずれも「正義」に基づいて行動しているという点では同義である。(言うまでもなくそれは、チベット問題、あるいは天安門事件における人道的問題を忘れていいという話ではない。大切なことは、現状をよい方向に向かわせるにあたって、他者たる中国人への積極的向かい合いなくして絶対に実現は難しいということも事実であるというところだ。戦争がおこるときは、いつも同じ…。旧ナチスドイツにとって反ユダヤが「正義」であったという事実は、決して見逃してはならないし、そうでなくてイスラエル-パレスチナの問題は理解しようがない。)