今週ずっと日本にいたおかげで休まれていた性もあるかも分からないが、割とこの手のプログラムには慣れていて、忙しくて大変でも、何となく自分のペースを持てるので、それなりにこなしている。アーティストの要求に対してなるべく素直に、それでもチャンスがあれば自分の意見を提案して様子を見る。こういうことはフィリップのワークショップで死ぬほど勉強させてもらった。
でも皆そういう風に出来るわけでなく、今日はタイから来ている Lが急に気分を悪くしてトイレに駆け込むというアクシデントがあった。ホームシックにもなっているともらしていて、まだ4日しか発ってないのに、と言ったら、それでも辛そうな顔をしていて、驚いた。一人暮らしをずっとしている性もあるのだろうけど、少なくとも僕は一週間は持つ。
さて、このアーティストと作業をしていて思うことは、やっぱりビジュアルでしかものを考えられてなくて、たとえば構造それ自体の面白さとか、「ここ」からぜんぜん飛躍していかない。というか、そういうことをやろうとしているところが、僕の珍しい点であることの裏返しでもある。では何故そんなことをわざわざ人のプロジェクトでも挑戦しようかというと、それはそのアーティストがもしかしたら一緒にこれから出来るかもしれないという期待と、可能性のリサーチをしているわけだ。
いつかMさんが web上でダンスはこことか今につい絡みとられるみたいなことを書かれていたが、こういうことなのだと思う。僕の強調する「ここ」や「今」は、実際のところそこから飛躍している限り、動的な可能性として、静的な「ここ」「今」とは全く異なるのだ。
Sunday, November 26, 2006
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