遠く離れて祖国を思う。
家族を思う。
私にできることは?
結局、最後は私なりに生きることしかないのだと思う。例え、美しくなくとも、立派でなくとも。
Saturday, April 09, 2011
Tuesday, November 30, 2010
ポルトに暮らす、もう一度
この街にくらしている理由。素晴らしい友人がいるということ。
自分が思っている以上に、人々が暖かいものだと教えてくれること…。
ポルトガルが例え経済危機などという病気を患っても、こればかりは変わらない。
自分が思っている以上に、人々が暖かいものだと教えてくれること…。
ポルトガルが例え経済危機などという病気を患っても、こればかりは変わらない。
Wednesday, October 27, 2010
ポルトに暮らす
あっという間に時がすぎた。
日本での六ヶ月間は正直、大変だった。
生きる意味は、prazer de viver ou alegria de trabalharはなんだと考えさせられた。
日本は、アーティストにとってはなかなかしんどい、正直。残念だけど。
ポルトガルで、与えられた仕事に専念し、奔走し、おかげでもう一年ここにいられることになった。
頑張った。
僕は強い人間でないが、弱いからこそ、何が弱いかをしって、強くなることがどういうことなのか逆に知っている。
そして人はそれを見て僕を応援してくれる。少なくともポルトガルでは。
ポルトに住むということは、ただここで、ポルトガルという歴史を負うということだけではない。
僕自身が、この、ポルトガルで生き、その歴史と社会を負っている人々とまた結びつく責務を負うということでもある。
しかし、それはmy pleasure, completely。
2006年に日本を出て、いったりきたり。これからも、どうなるか。
でも、今ここで、出来ることをやっていくことに、変わりはない。
日本での六ヶ月間は正直、大変だった。
生きる意味は、prazer de viver ou alegria de trabalharはなんだと考えさせられた。
日本は、アーティストにとってはなかなかしんどい、正直。残念だけど。
ポルトガルで、与えられた仕事に専念し、奔走し、おかげでもう一年ここにいられることになった。
頑張った。
僕は強い人間でないが、弱いからこそ、何が弱いかをしって、強くなることがどういうことなのか逆に知っている。
そして人はそれを見て僕を応援してくれる。少なくともポルトガルでは。
ポルトに住むということは、ただここで、ポルトガルという歴史を負うということだけではない。
僕自身が、この、ポルトガルで生き、その歴史と社会を負っている人々とまた結びつく責務を負うということでもある。
しかし、それはmy pleasure, completely。
2006年に日本を出て、いったりきたり。これからも、どうなるか。
でも、今ここで、出来ることをやっていくことに、変わりはない。
Monday, January 18, 2010
Sunday, January 17, 2010
Saturday, January 16, 2010
二年ぶりの日本
二年ぶりに日本へ帰っている。
二年という時間は若い僕にとってはアッという間のものであったが、その間に変わった家族や知人の姿を見ると、やはり感じるものがある。
京都の街にそれほど変化を見ることはないが(なにより支えてくれているパートナーのおかげだが)、それでもどこか違和感と、未だ外国にいるような気分がぬぐえない。特に、つかっていなかった日本語が、なんだかぎこちなく、また具体的によくどもる。
知った仲の人なら構わないが、やはり打ち合わせなどでなかなか、大変。まるでリハビリをしているような気分で日々をすごす。
二年という時間は若い僕にとってはアッという間のものであったが、その間に変わった家族や知人の姿を見ると、やはり感じるものがある。
京都の街にそれほど変化を見ることはないが(なにより支えてくれているパートナーのおかげだが)、それでもどこか違和感と、未だ外国にいるような気分がぬぐえない。特に、つかっていなかった日本語が、なんだかぎこちなく、また具体的によくどもる。
知った仲の人なら構わないが、やはり打ち合わせなどでなかなか、大変。まるでリハビリをしているような気分で日々をすごす。
Friday, December 25, 2009
Subscribe to:
Posts (Atom)